第2話

おれたちは、グラウンドを広々と使ってロングのパス練習やロングシュートの練習をした。

練習時間が近づくと、残りの二年生部員の智也と勝、そして一年生部員六名が着いた。

 早くに来て練習していたおれたちをみて勝は呆れたような表情を浮かべ、智也は眉毛を下げて弱々しく笑った。


 その日の練習は、十七時までして解散した。帰りは、学年ごとに毎日一緒に帰る。誰かが言い出したわけではなく、自然と固まって帰っていた。


 この島には、小学校と中学校が二つずつあり、高校は一つしかない。長崎本土の高校に進学するために毎年同学年から五人ほど島を出るくらいで、残りは全員同じ高校へ通うことになる。慎太郎と智也と勝は高校で一緒になった。勝は、中学二年生の時に東京から転校してきたらしい。


 ただ、何度も言うがここは狭い島で、お店が集結しているところは一箇所しかない。違う小・中であっても顔を見たことはあったし、親が知り合いってことも珍しくなかった。おれたち島の住民にとって周りの人は親戚のように距離が近く、同級生は家族と同じかそれ以上に深い存在だった。さらに、同級生は二つの学校を合わせても百人ほどしかいなかった。


「勝のとこでパン買っていかね?」と哲二が提案した。


「いいね、行こうで」「腹減ったよな」裕也と慎太郎が乗った。


「お買い上げ、ありがとうございまーす」勝が抑揚のない声で言った。


 部活帰りに勝の実家でパンを買って食べるのは週一か二回でやる習慣になっていた。高校から近い場所にあるというのも寄り道しやすかった。だから寄り道するのはサッカー部だけではない。帰宅途中の高校生が買い食いしているのとよく鉢合わせることがあった。


 創業五十年のパン屋さんで、勝の祖父母が始めたお店らしい。地元の農産物を使った手作りのパンが棚に並び、夕方にはほとんど残っていない。


『中川ベーカリー』と書かれた看板を抜けると、レジにいた勝のお母さんが「あら、いらっしゃい」と笑って出迎えてくれた。おばさんは、高校を卒業してから一昨年戻ってくるまでずっと東京で暮らしていたと聞いた。だから、四十歳とは思えないほど美人で若々しく華があった。この島にいると芸能人かと思うほど目立っていた。


「お、ミルクパンがまだ残っちょる!」


「夏休み限定で作る個数を増やしとるとよー」


 ミルクパンは、島で育てた牛から絞った生乳で作った練乳がふわふわのコッペバンにたっぷり挟んであって、シンプルな味わいだが、長崎新聞にも掲載されたことがあるほど有名だ。おれたちにとって小さい頃から親しんできたソウルフードのようなもので、四岐島出身の有名人がSNSで紹介していたと姉ちゃんから聞いたこともある。


 最近、島にある教会が世界遺産に登録されたことから、観光客が増えた。そのため、パンの売れ行きも好調のようで、ミルクパンは一番に売り切れるほど人気だった。


 おれは、トングを片手に何を食べようかパンを入念に眺めていた。その中に「ツバキパン」という見たことのないパンを見つけた。島の特産品であるツバキオイルがパン生地に練りこんであって外側をクッキー生地でコーティングしてあった。いつから置いてあったんだろう、と考えていると、その隣を哲二と裕也が颯爽と通りレジに向かっていった。裕也はミルクパンを、哲二は、ミルクパンと、ポテトとベーコンのフランスパンと、シュガーバタートーストをトレーにのせていた。哲二はお会計を済ませると、その場でミルクパンにかぶりついていた。


 おれは、ツバキパンも気になったが、大好物のシュガーバタートーストをトレーにのせた。

カウンターではちょうど慎太郎のレジをしているところだった。塩バターパンが袋に入れられるのを後ろから見ながら、このパンはまだ食べたことがないな、と思った。あまりにも物足りなさそうなため、買おうと思ったことすらなかった。


「ツバキパンって、新商品ですか?」


「あ、気づいた?あれね、私が考案したの」


おばさんは返答しながら慣れた手つきでパンを袋に詰めて、レジを打った。


「百三十円ね。次はツバキパンもよろしく」


 おれがパンを受け取ると、おばさんは後ろに並んでいた智大のレジを打ち始めた。


 勝とおばさんに別れを告げて店の外に出ると、まだ陽の光が強く刺していた。逆方向の慎太郎と智大とは店の外で別れた。


「勝のおばさん、いつ見ても美人かよな」


 自転車を漕ぎ始めたところで、裕也が独り言のように言った。


「この島におったらな。東京では普通かもしれん」


「おい、高校卒業したら東京に行こうと思っちょる」


 突然の告白に、おれも哲二も驚いた。


「え、裕也、この島ば出るとや?」哲二がくぐもった声で言った。片手にはしっかりとパンが握られていた。「酒屋はどうすっとか?」


「兄貴が継ぐさ。おいはこがん島はよ出たか。順平もやろ?わいも出るとやろ?」


「え?」


急に話を振られて焦った。そんな先のことは漠然としか考えたことがなかった。


「おいは、まだわからん。何も決めとらん」


「えー、順平までおらんごとなっとか?寂しかなー」


「まだわからんって言いよるやろ」


 おれはこの話を早く切り上げたくて、ペダルを大きく漕いだ。

 ようやく陽が傾きかけて、空が青からオレンジがかった色に変わってきた。


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