第四話・悪魔

 さらに時は進み、王都スペサルチン近郊には王都の戦力の全てである役四万の連合軍が集まった。冒険者、騎士、魔術師、近衛、この四つの軍隊による合同作戦は史上初めてのことだった。

 その目標はただひとり、丘の上で逃げもせずただ待っていた。


「頭が高い」


 標的とされる、アルタナは四万の軍勢に対して言い放った。

 途端に王都から派遣された軍の人間たちは、その不遜な言葉を嘲笑する。常識的に考えるならば、ひとりの人間が四万を超える軍隊に勝てるはずがないのだ。

 だが、嘲笑した人々はアルタナというものを侮っていた。


「メティスの権能を以て命ずる。平伏せよ人間!」


 アルタナは仮面を外し、叫んだ。

 途端に戦場にとてつもない重圧が降り注ぐ。あるものは膝を折り、あるものはもはや意識すら保てず気絶する。

 しかし、その中で一人だけが立ち上がった。


「なぜメティスを殺した!」


 ひとりの女だった。

 彼女だけは最初から、アルタナに嘲笑を向けず明確に恨みのこもった目を向けていた。


「殺したかったからだよ、当たり前だろ?」


 アルタナは、可能な限り薄気味の悪い笑みを浮かべてみせた。

 メティスの権能から放たれる命令に抗った女、すなわちそれは神だ。


「神を殺したかっただと? 不遜にも程がある!」


 女の中での理論はこうだ。人間は、自分たち神々が作った玩具に過ぎない。玩具は玩具らしく、ただ弄ばれていればいい。だが、それを多くの人の前で晒すことはアルタナに求心力を与えなかねない。だから、あくまで神官としての範疇を出ないように演技をする。

 だが、それは求心力を求めないアルタナにとって好都合だった。


「不遜? お前こそ不遜だろう? 俺は平伏せよと命じた。お前は逆らった。不遜なお前は見せしめにここで殺すとしよう」


 アルタナはマーリンの神格から、錆びた剣を呼び出そうとする。

 だが、マーリンの神格はその剣を出さなかった。

 アルタナは今、英雄ではなく悪魔として認識されている。

 英雄として乞い願われ生まれた英雄の神の剣、それをどうして悪魔が抜けるのだろうか。それに気づいてアルタナは、自嘲し、メティスの神格からグリモア・オブアカシックレコードを呼び出す。

 メティスの権能に、信仰は必要ない。そもそも、メティスは世界が生まれる前から存在した創造神だ。だからこそ、信仰がなくてもその力は一定以下になることはない。


「貴様が、それを使うか!」


 戦況はさらにアルタナの都合のいい方向へと流れる。

 女は、メティスのグリモアを見て激昂し、剣を抜いてアルタナへと斬りかかる。


「何をそんなに怒る? 殺した相手が、いい武器を持っていたら使うものだろう?」


 詠唱すらされていない、だが、メティスの権能によって生まれた魔力の障壁は女の道を遮る。

 だが、女もまた神なら、それを一刀で突破し、さらに前へと進む。

 その一刀が、女に話す時間を与えてしまった。


「彼女は優しかった! だからこそ、アレスの名において、貴様を討つ!」


 アルタナは女のその言葉を聞いて、ほくそ笑んだ。

 メティスが人間に優しいはずがない。だからこそ、王都で無差別に、人間を殺しかねない重圧を放っていた。

 それに、メティスの権能には神界の歴史も細かく記されている。メティスは、たしかにアレスに優しかった。だが、それは、アレスの戦闘能力が欲しかっただけだ。

 天界において、直接的な戦闘能力で第三位を誇るアレスを、自分の手元に置いておきたかっただけなのだ。それが、メティスの権能である知識に残っている。

 だから、その言葉は、アレスの神官としてのものではなく、アレスとして、権能を有効化するためのものだ。


「そうか……なら、向こうで会えるといいな。死んだあと、神がどこに行くのか知らないがな! ……イクリプス」


 アルタナの声に呼応して現れる災厄の狼。対象を追い詰め、蝕み、殺す、悪夢の狩人が女に、アレスに迫る。


「軍神剣一刀破断!」


 アレスの剣は光り、山をも切り飛ばす圧倒的なエネルギーが狼を切り飛ばし、アレスはそのままさらに前へと踏み込む。


「シャドウライトニング!」


 アルタナはその行動を予測していた。

 イクリプスが放つ狼はとてつもなく強力で、それを退けるためには、かなりの力が必要だ。だが、狼は魔弾としては遅い。

 だから、振り抜いた瞬間にその狼に追いつくように、魔弾最速の雷撃系を選択する。

 シャドウライトニング。神域魔法指定魔法最下位のそれは、威力は低いものの神に手傷を負わせることができるからこそ神域の魔法に指定されている黒い雷。


「ぐあああああ!」


 アレスは雷に打たれ、全身を痙攣させ、硬直する。

 アルタナが、この魔法を選んだのには理由があった。

 アルタナにとって、この場で女を嬲る姿を見せられるのが非常に好都合だったのだ。


「ライトニングスピア!」


 アルタナは歩み寄って、雷の槍で直接アレスを貫く。

 この場合、ライトニングスピアは物理攻撃として作用する。

 神域魔法ではないからこそ、神であるアレスは雷によるダメージは負わない。だが、槍としてのそれに貫かれ、吹き飛ばされる。


「ぐ……ガッ……」


 地面を転がり、何度も叩きつけられアレスは苦悶の声をあげる。


「どうした? 神官様がいじめられてるぞ? 神の助けはどうした?」


 アルタナはアレスを追いかけて踏みつける。

 そんなの来るはずもない、なぜなら今嬲られているこの女こそが、現れるべき神、マルスだ。

 たしかに、人間とは思えないほどアルタナの魔法に耐えた。おかげでアルタナの膨大な魔力ですら枯渇目前だ。

 だが、どうしようもないほど戦いが下手だった。神は、自分と同等の力を持つ相手と戦ったことがないのだ。


「マレウス・マレフィカルム」


 アルタナが唱えた途端に、アレスは十字架に貼り付けられ炎に焼かれる。

 神域魔法の一つ、対象を確実に殺す神の魔法でありながら、術式に必要な魔力は破格に低い。対象の魔力を奪いながら、その魔法を維持するのだ。

 対象にしているのはアレスだ。おそらく、魔力が尽き、魔法陣が崩壊したところで生きてはいるだろう。もう二度と立つことすらできない体で。

 そんなの例え、神であっても生きているとは言えない。だからこそ、アルタナは最後に残しておいた魔力の残滓でゴーストソードを呼び出すと、アレスの胸を一突きしてその命を奪った。


「ごめん……」


 と散々嬲ってしまったことを謝りながら。

 やがて、炎の横から、姿を現すとアルタナは笑った。


「お前らのせいで一人死ぬんだぜ。この炎は、この女を焼き殺すまで決して消えない。悔しかったら、立ち上がってみろよ。」


 そう言いながら、アルタナは戦場を見渡す。

 誰ひとりとして立ち上がるものはいない。何人もの兵士たちが立ち上がろうと必死で足に力を込めるが、誰も立ち上がることはできない。アルタナがメティスの権能で命じているから。


「愚かな人間ども、哀れな人間どもに告ぐ。我が名はアルタナ、司る権能はこの世すべての悪だ!」


 アルタナはそれを確認すると、高らかに宣言する。自らが神として、悪魔として。

 戦場に集まった四万の人間、それは一様にアルタナを恐れた。

 アルタナに向け、感情が流れ込んでいく。

 恐怖、絶望、畏怖、憧憬。それぞれ抱く感情は別々だが、それは邪神の誕生と何も変わらない現象だった。


『アルタナ・ウィルソンに向けられる感情が一定値を超過しました。神格・アルタナの発生に伴いサードバースデーが開始されます。成長痛にご注意ください。』


 突如アルタナの脳内に声が響く。


「また会おうぜ、人間ども……」


 アルタナはその声を聞いて、焦る。

 だが、それでもその一片でも見せてはいけないのだ。アルタナはそう言って、すぐに転移で誰もいない森の深くへと転移していく。

 戦場では、アルタナの重圧が解け、兵士たちが次々に立ち上がる。

 マルスを助けんと、兵士たちが手を伸ばすが、マルスは既にそこにいなかった。死んで、焼き尽くされ、十字架は崩れ去っていく。

 それを見て、兵士たちは自分の無力さを嘆いた。

 戦場の端には新人の冒険者すらいた。

 その中で少女が一人、女冒険者に抑えられている。


「離して……」


 少女はナキアだった。


「いい加減目を覚ましなさい! 私たちの知ってるアルタナはもういない! あれは悪魔よ……」


 抑えている冒険者はエルザだった。

 エルザは戦場でアルタナがしたこと、そして自分たちが何もできなかったことに恐怖し、アルタナを悪魔と捉えていた。


「違う!」


 ナキアはそれに強く反論する。


「何が違うって言うの!!??」


 エルザはナキアに怒鳴り返す。


「違うなら何故、私たちは生きている! ……何故、一人しか死んでない!?」


 ナキアは激昂してた、なぜ考えないのかと。

 本当に悪魔と対峙したなら、もっと多くが死んでいる。

 だが、アルタナは単体にしか影響を与えない魔法ばかりを使った。戦闘の余波に巻き込まないように戦っていた。魔法なら、広範囲なものの方が高威力の魔法は多い。


「私もそう思うよ。それに、彼の話し方には違和感があった。追いたいところだが、魔法で逃げられては追跡できない。今は、とにかく情報がないか探ろう……」


 ナキアに向かい、一人の見知らぬ鎧姿の女が語りかけた。


「あなたは……?」


 ナキアは鎧姿の女に尋ねた。


「シンシア、意気地なしの神官騎士さ……」


 鎧姿の女は自嘲気味に、そう答えた。

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