逆鱗に触れた罰です
リリスは、私が望んだタイミングで現れてくれた。
登場を見計らっていたのかと思ったけど、彼女の表情は心底安心しているように見えた。
相当急いで来たのか、額には若干の汗が浮き出ていた。肩も微かに上下させ、目には涙を溜めている。
本当に偶然で、あのタイミングでここを見つけてくれたらしい。
「リリス、痛い」
強く抱きつかれてしまい、私の体は悲鳴をあげていた。
悪魔に殺される前に、私の悪魔に殺されかけるのは遠慮したい。
「ああっ! 申し訳ありません!」
リリスはすぐに謝り、慌てて距離を取る──ことはなく、私に引っ付いたまま抱き締める力を緩めた。
ついでに頬をスリスリしてきやがった。
どうやら彼女は、何が何でも私から離れたくないらしい。
「……あなたは、ティアさんの従者でしたね。どうしてここにいるのです?」
悪魔は私から距離を取り、新たに登場したリリスを警戒したように睨み付ける。
でもリリスには、そんな言葉は耳に入らなかったらしい。
「ティア様……ああ、こんなに濡れてしまって、可哀想に……汚されてしまったのですね」
「待て、後半の言葉いらない」
こいつはいつも通常運転だな。
緊張した空気が、リリスのせいで緩んだ気がした。
でもそれは私がそう思っただけで、ヤギ頭の悪魔は違かった。
自分の質問を無視されたことに腹が立ったのか、地を蹴りリリスに肉薄して腕を振り下ろす。
私はリリスに抱かれたままだ。奴の攻撃がダイレクトに伝わってくると思い、反射的に目を瞑ったけれど……不思議なことに、いつまで経っても衝撃は感じられなかった。
「ふふっ、怖がっているティア様も可愛らしいですわぁ……」
悪魔の拳は、リリスの人差し指だけでピタリと止められていた。
本気を出した一撃だったはずなのに……私の従者は何事もなかったかのような表情をしている。圧倒的すぎる実力差に、悪魔だけではなく私も驚いた。
──公爵階級と子爵階級では、こんなにも力の差があるのか。
何度も言っているけどリリスは魔力型だ。力比べなら部が悪い。そう思っていた。
悪魔は何度もリリスを殴りつけた。
それなのに、私は一度も衝撃を感じなかった。
「まったく……低級悪魔風情が、調子に乗らないでください」
「ぐおおおおおお!!」
「その面だけではなく、耳も悪いのでしょうか? ──ちょっと黙っていなさい」
「ガァアアアアアア!!? わ、私の腕が──!」
リリスは指を爪弾き、降り掛かる悪魔の拳と衝突した。
いわゆるデコピンというやつだ。
でもそれは、そんなよくある攻撃ではなかった。彼女のデコピンは悪魔の拳を吹き飛ばし、その断面から血が吹き出す。リリスが気を利かせて魔法障壁を張ってくれたおかげで、返り血が私に掛かることはなかった。
「何なのですか。何なのですかあなた方はぁ!」
ヤギ頭を苦悶に歪ませ、唾を飛ばしながら悪魔は半狂乱に叫んだ。
最初の印象にあった紳士的な風貌は、すでになかった。リリスによって化けの皮が剝がれ、醜い悪魔の本性が現れたのだ。
「この程度で騒ぐのですか? ……ハッ、器の小ささがよくわかりますわ」
「何だと……女の分際で、調子に乗るんじゃねぇ!」
「口調も変わりましたね。容姿にお似合いの汚らしい言葉ですわ。とても、子爵階級だとは思えない低脳ぶりですわね。……最近、小癪な手を使ってでも階級を上げようとする悪魔がいて、困っていたのです。それらのせいで誇り高き悪魔の評判が下がっているので、正直言って目障りでしたの」
「貴様ぁ!」
「ああ、それ以上は進まない方が身のためですわよ?」
リリスが軽く腕を振るい、悪魔の足元に線を描いた。
「舐めるなよ小娘がぁ!!」
悪魔は躊躇わずにその線を踏み越え──
「あぇ……?」
その足が──付け根から消滅した。
片足がなくなったことで、悪魔は地面に倒れる。上手く動かない足を不思議に思ったのか、後ろを見つめ「ヒッ!」と短く悲鳴をあげた。でも、その足から血は出ていなかった。まるで最初からそこに足なんてなかったという風に、断面さえも塞がっている。
……見たことのない魔法だ。
いつ攻撃したのか、あの一瞬でそんな危険な罠を張ったのか。それとも最初から張っていたのか。それすらもわからない。
隠密性が高く、殺傷能力も異常な未知の魔法。
リリスはいつも通りな風を装っているけど、内心はとても怒っている。
それはあの時の幻魔よりも……。
「ふふっ、言うことを聞かないから、こうなるのですよ?」
「何をし──ギャァアアアアアア!!」
リリスは全てを言わせる前に、悪魔の左薬指をヒールで踏み潰した。
「──痛いでしょう? 私の魔法で、感度を倍増させていますからねぇ」
「いだい! ごの、わだ、私がぁ!」
「まだまだ終わりませんよ。終わらせません。私のティア様を誘拐したのですから、当然の罰ですわよねぇ?」
「ヒッ、いやだ。わたしは、まだ……死にたく──ァアアアア!?」
次は左中指。そして小指。人差し指。親指。最後に手の甲をヒールで貫き、グリグリと踏みにじった。
何の表情も浮かべず、ただ無慈悲に、路上の蟻を踏み潰しているかのように。
「コヒュー、コヒュー……」
片手が使い物にならなくなった時、悪魔はまともな呼吸が出来なくなっていた。
「いぁ、だ……もう、ゆるじて。もう、ころし──がぺっ!」
「あら? 私がいつ、発言を許しました?」
ヤギ頭は涙を滝のように流し、鼻水も撒き散らし、股間には水たまりが出来ていた。
片手を潰しただけだというのに、酷い有様だ。きっと悪魔は、心から死を望んでいる。本気で死にたがっている。だからこその言葉だった。
しかしリリスは、そんな悪魔の懇願を足蹴にし、クスクスと笑って応えてみせた。
「まぁ私は寛容です。その言葉に答えて差し上げましょう。……でも、ダメですわ。あなたは簡単に殺しません。だって殺してしまったら……あなたは魔界へ帰るでしょう? そんなの、この私が許す訳ありません」
悪魔の顔は、絶望で歪んだ。
「左手は潰しました。次は右手です。その後に四肢をもぎます……って、ああ、もう片足は消滅しているのでしたね。その後はどうしましょう? 目を抉りましょう。その目障りなヤギ角を少しづつ削り、最後に男の尊厳を消滅させてやりましょうか。……ああ、ご心配なく。あなたは絶対に死にません。あなたは強いのでしょう? この程度で死ぬなんて、ありえませんよね? 大丈夫です。そのように暗示を掛けました。だから、ゆっくりと楽しんでくださいね?」
そう言ったリリスは、上位の悪魔に相応しい笑みを浮かべていた。
一時間後。
「ふぅ……これくらいでいいですかね」
リリスは一息つき、私に振り向いた。
「ティア様は、どうでしょうか?」
「あ、うん。もういいんじゃない?」
「かしこまりました」
リリスは頷き、悪魔を蹴り飛ばした。
……いや、もういいって言ったじゃん。
「ああ、申し訳ありません。つい蹴ってしまいました」
返事はない。
それはそうだ。なぜなら、悪魔は原型のない肉塊と化しているからだ。
これでもヤギ頭の悪魔は死んでいない。
リリスの暗示があるせいで、死ぬことが出来ないんだ。
悪魔は『精神生命体』だ。
体が機能しない状態になったとしても、精神が『死んだ』と思わない限り、魂は魔界へ戻ることが出来ない。
そこでリリスは悪魔に『どんなことがあっても、自分は死ねない』という暗示を掛け、絶対に悪魔を死なせないようにしてしまった。
人の形をしていなくても、血がぶちまけられても、死ぬことは許されない。
これがリリスの魔法『精神支配』だ。
それがリリスの逆鱗に触れた罰なんだ。
相変わらずえげつないことをする。でも、それだけ私のことで怒ってくれているのだと思えば、少し嬉しい気持ちになった。
「では、さようならです」
リリスが手元に蒼炎を作り出した。
これは幻魔を魂ごと消滅させたものと同じ、悪魔を完全に殺すための炎だ。
ようやく、この悪魔は死ぬことが許されたらしい。
炎に包まれ、悪魔は完全に消滅した。
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