嵐の夜に 2
シュメルに案内されながら、私は詳しい話を聞いた。
どうやら、どこからかフラッと町に立ち寄った男性が、雨避けのためにハラルドさんの酒場に入り、突然発狂しだしたのだとか。
証言を聞く限りだと、その男性も最初は普通に食事を食べて、酒を飲んでいたらしい。でも、何の前触れもなく暴れだして、周囲の客に手を出し始めたのだとか。
その店には冒険者達が何人か居て、総動員でその男性を押さえ付けた。それでも男は暴れ続けているせいで、危険な状態が続いている。
「それはどうして?」
「わからない。だが、とてつもない力で暴れまわったせいで、怪我人は沢山出ている。店の被害も凄まじいものだ」
「そんなに強い人だったの?」
「……いや、俺も少し見たが……とてもそうには思えなかった。ガタイが良い訳ではなく、むしろ痩せこけている方だった」
「リリスみたいに、見た目で判断出来ないってことと同じなのかな」
「どうだろうな。リリスから感じる、特別なオーラというのは感じなかったが、とりあえず会って見ればわかるだろう。……ここだ」
話している間に、ハラルドさんの酒場まで来た。
入り口には野次馬が群がっていて、その間を割って入る。
「ハラルドさん!」
「……ん、おお! ティア嬢ちゃんじゃねぇか!」
中は悲惨なものだった。
テーブルは叩き割れていて、そこらに誰かの血が飛び散っている。ジョッキや皿がいくつも転がっていて、料理もぶちまけられて勿体無い。
店の端の方で、冒険者風の格好をした人達の集まりがあった。
そこでハラルドさんを見つけた私は、その集団に駆け寄る。
「ハラルドさん、血が出てるよ!?」
「……あ、ああ、少し掠っちまった。軽傷だから問題ない」
「残ったらどうするのさ。これタダであげるから、ポーション飲んで!」
「え、いや……悪りぃよ」
「いいから! ほらっ!」
「……うっ、ありがとよ」
ポーションを強引に手渡し、ハラルドさんに飲ませた。
私はそれに満足して、次は冒険者に話しかける。
「商業ギルド専属のティアだよ。その人が、
「ああ、そうだ。今は麻痺毒を使っておとなしくさせているが、いつ動き出すかわからねぇ。危険だから近づくなよ」
「怪我人はどこに? 数は?」
「酒場の二階を借りて避難させている。……すまん、こいつを抑えるのに必死で正確は数えていないが、10人ちょっとだった」
「……そう、わかった。シュメル」
「何──っと」
私は20本のポーションが入った袋を、シュメルに投げた。
それ以上のことを言わずとも彼は察したように頷き、ハラルドさんを連れて二階へ行った。
死者は出ていないとのことだし、怪我人の方はあれで大丈夫だろう。
問題は──こっちだ。
「退いて。調べる」
「おい、危ねぇって」
「大丈夫。何かあったら、すぐに逃げるよ」
それよりも、この男性のことが気になる。
「が、うぐぁ……!」
意識はあるようだけど、理性は失っているようだ。
動けないのをいいことに、顔を上げてライトを目に当てる。
「焦点が定まっていない。息が荒い。脈も……速いな。アルコール濃度はそこまで高くないみたいだから、酔ったのが原因じゃないね」
「ああ、こいつはあまり飲んでいる方じゃなかった」
「だったらどうして、この人が暴れ出したのかが気になるところだけど……何でもいいから、知っていることを話してくれない?」
「……こいつはこの町の奴じゃない。事件が起きるまで目立ったことはしていなかったが、いきなり奇声を発して暴れ出したんだ。ひょろひょろした見た目からは考えられない力でな、抑え込むのに一苦労だったよ。そのせいで、何人かが怪我を負ったんだ」
……なるほど。
事前に聞いていたのと、あまり変わりない情報だな。
「他に酔っ払った誰かが、変に絡んだとかは?」
「……いや、無かったはずだ」
「んじゃぁ、見られすぎて嫌になったとか……って、それは流石にないか」
「ああ、俺達も珍しい奴がいるなと思っただけで、後はいつも通り飯を食べていたからな」
他に気になることと言えば、男の格好だ。
彼は一般人の格好をしている。この町に住む人と同じ、平凡な服を着ていた。
でも、それはおかしなことだった。
男は町の外から来たと聞いた。
町の外は魔物が蔓延っているので、とても危険だ。何の力も持たないただの市民が、そこをうろつけるはずがない。しかもこんな嵐の夜で、一番近くの町まで歩くとなると、丸一日はかかる。
そんな人が、どうして無事にここまで来れたのか?
その疑問は、すでに私の中で答えが出ていた。
「臭うなぁ……」
「……臭う? そこまで気になるほどじゃないと思うが」
「いや、私が言っているのは、魔力の臭いだよ。最初は感じなかったんだけど、近づいてよくわかったよ。ねぇあなた──」
私は男の前に座り、ニコリと笑顔を作る。
「──悪魔でしょ?」
「う、がぁああ! が、ぁあああああああああっ!!」
それまでおとなしかった男性は、急に暴れ出した。
目は充血して、歯は剥き出し。唾が飛ぶことを御構い無しに叫ぶ。
「おおっと、危ない。……ふむ、自我が崩壊しているのか。さては悪魔に乗っ取られたね? 可哀想な人だ。乗っ取られた挙句、悪魔の良いように使われているんだもの。……おそらく、お前が麻薬を広めた犯人だね? ははっ、自分から来てくれるなんて、手間が省けたよ」
「ティアちゃん危ない! 逃げろ!」
「なんだこいつ、いきなり暴れて……!」
「ガァ! ぎ、がぁあああああ!!」
冒険者達が慌てて押さえ付けるけど、それを意に介さず後退した私目掛けて突っ込んできた。
身体面で劣る私が逃げ切れるはずがなく、壁まで追い詰められた私は、呆気なく男に捕まった。そのまま持ち上げられ、私は空中に浮く。
「ぐ、うくっ……」
首を掴まれているせいで、上手く息が出来ない。
足をバタバタとさせるけど、その程度では悪魔に操られた男は引かない。
……これは、やばいな。
何か行動を起こすのなら、リリスが近くにいる時にやるんだった。
相手は戦闘系の悪魔だと、自分でも理解していたはずだ。
それなのに敵が勝手に舞い込んできた。地道に探す手間が省けた。と、嬉しくなってしまった。
私としたことが、功を焦ってミスするなんて……情けない。
「ティア!」
騒ぎを聞きつけたシュメルが出て来て、今まさに男に掴まれている私を見つけ、悲痛な叫びを上げた。
「しゅめる……リリスに、伝え──」
「ぐるぁ!」
「がっ──!」
全てを言い切る前に壁に叩きつけられ、私は言葉を中断せざるをえなかった。
後頭部に激しい鈍痛。視界がチカチカと光り、私は意識を保てなくなってきた。
「私は、大丈夫だから……早く、リリスに……お願い」
「う、うぅ──がぁあああああ!!」
男が苦しそうに呻いたと思った瞬間、背中から悪魔のような翼を生やした。
こいつ、まさか悪魔を体内に……?
「どぅわ……っぷ!」
「くっ、ティア!」
そのまま大きく飛び上がり、酒場の天井を突き破る。未だ私は奴に掴まれたままだ。
「ぐぁ……あぁああ……」
もはや人間ではなくなった男は、苦しげに呻きながら飛び去ろうとする。
下を見ると、シュメルや冒険者が阻止しようと構えているのが見えた。でも私に当たってしまうことを考えたのか、皆悔しそうに構えを解き、上空を見上げていた。
──こうして私は、悪魔に攫われることとなった。
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