脅しではありません

「──ちょっと、退いてくださいまし!」


 桃色の髪をした女性が、人混みを掻き分けてこちらに近づこうとしていた。

 シュメルを安全に避難させるため、しばし別行動を取っていた私の契約悪魔リリスだ。


「ティア様! ご無事ですか!?」


「ああ、うん……私は大丈夫だよ」


「……そうですか、良かった…………それで、こいつらを滅ぼしてよろしいのですよね?」


 リリスは安堵の表情を浮かべたかと思うと、即座に雰囲気を狂気に変えた。

 紅のオーラが彼女の体に纏わりつき、幻魔を滅ぼした時よりも巨大な炎を、それぞれ両手に持つ。


 周囲の温度が急上昇して、木製のテーブルが焦げ始めた。おい、器物破損だぞ。


 ……にしても、暑い。

 このままでは血液が沸騰してしまいそうだ。


「ティア様への侮辱。万死に値しますわ。己の愚行を嘆き、魔界へ堕ちるがいいです」


「──ヒィ!」


「こらリリス。待て」


「わかりました」


 それまで放出していた魔力が、嘘のように消え去る。

 暴走しているのかと思ったけれど、まだ言うことを聞いてくれているだけ正常だ。


 私は黒焦げになったテーブルを修正してから、腰を抜かしているアリス王女の腕を引っ張り、ひとまず椅子に座らせた。


「私の部下が先走ったようだね。でも、謝るつもりはないよ。リリスの怒りは、私の怒りでもある」


「……本当にすまない。私は、とんでもないことをしてしまった」


「謝ってももう遅ぇんだよ!」


「王族だからって調子に乗りやがって!」


「俺らのティアちゃんに迷惑を掛けやがって!」


「本当にティアちゃんが出て行ったらどうするんだ!?」


「ぜってぇ許さねぇからなクソッ!」


「俺らの天使を返せコラァ!?」


 ──おい、私はいつ天使になった?


 冒険者も私に味方してくれているのは、嬉しい誤算だ。

 この人達の天使になったつもりはないけれど、こういう時は心強い味方になってくれる。


 アリス王女は冒険者の罵倒を聞き、ビクッと震えた。もう最初の時のような威厳は、彼女から感じられなかった。ただ己の過ちを理解し、四方から降り注ぐ怒りにビクビクと耐える少女が、そこに居た。


 流石に可哀想になってきたけれど、まだ私は許すつもりはない。


 でも、収集が付かなくなってきたのは事実た。

 私は目を閉じて、これ以上何も言わないという雰囲気を出す。後の進行はジュドーさんに任せた。


「これまでの話を纏めましょう。アリス王女は、最近になって民の間で流行っている未知の薬品を、独自に調査していたと。それで情報を集めていたところ、同時期にティアさんが謎の回復薬『ポーション』を売り出しているという情報を掴んだ。間違いありませんね?」


「……ああ、そこで私は詳しい情報を求めて変装し、ポーションを所持しているこの町の冒険者に『その薬は何だ?』と聞いたのだ。それで返ってきた言葉が……『この薬はすげぇんだ! まるで新しく生まれ変わったかのように元気になれる。一度手を付けたら、二度と手放せねぇぜ!』と……」



 私はテーブルを蹴り飛ばした。



「誰だぁ! 私の薬を怪しさ満点の言葉で紹介したアホは!」


「あ、すまん。俺だ」


「キッドさんんんん!!」


 犯人あんたかい!


「……いや、ここらで見ない格好だったから、ポーションの噂を聞きつけた奴なのかなぁと思ったんだ。どうせ知ってもらうんなら、少し大げさに言った方が印象に残るかと…………悪気は無かったんだ。ほんとすまん」


 どうやら彼は、私のためを思って紹介してくれたらしい。その気持ちは嬉しいけど、もう少し言葉を選んで欲しかったなぁ。


「私もその一言で、この男はもう理性を失っている。噂に聞いていた薬の効果と同じだ。と決めつけてしまった。……もっと、他の者にも聞き出しておけば良かったと、深く反省している」


「例の薬のことは、私の方でもコネを使って調査をしていました。そのタイミングでティアさんが騎士団に捕まったと報せを受け、まさかとは思ったのですが……ティアさん。申し訳ありません。あなたを巻き込まないようにと手回しをしていたのですが、結果的にこうなってしまいました」


 王国の第二王女と、商業ギルドの代表が、揃って私に頭を下げる。客観的に見ると、凄い絵面だ。

 これで丸く収まったと思いきや、私の懐刀の怒りは収まっていなかった。


「それでも、ティア様を侮辱した罪は消えません。この方の言葉が無ければ、例え王族だろうと、文字通り全員を八つ裂きにしていました」


「ここで大量殺戮は、流石にダメだからね?」


「わかっております。ですが、それ相応の償いを受けるべきかと」


「それはわかっている。だからさ……ねぇ、ジュドーさぁん?」


「……ん、何でしょう? ティアさん?」


「店への押入り。冤罪。人権を否定されるほどの侮辱。客からの信頼が失われ、商人としての命を削られたこと。…………さて、損害賠償はいくらほどになるのかねぇ」


 ニヤニヤと、私は嫌ったらしい笑みを浮かべる。

 すると、ジュドーさんもそれに乗り、顎に手を当てながら、同じように顔を歪めた。


「王族が、ティアさんのことを一人の平民だと考えるならば、それだけのことをしても返ってくるのは軽い賠償金でしょうね。ですが、ティアさんは国家を揺るがすほどの、貴重な技術をお持ちだ。莫大な金額を要求しても、まだ足りません」


「……だってさ。王女様は、どう考えているの?」


「……普通ならば、君はただの平民扱いだ。特別扱いは出来ない」


「あっそ……よくわかった」


 アリス王女の返答を受け、私の考えは決まった。

 そして、この町に住む全ての人が集まる場所で、私は手を挙げて宣言する。




「私は、ヒューバード王国及びそれが抱える領地に、




「あぁあああああ!!?!? 待ってください私が悪かったですそれだけはお許しくださいっ!!」


 アリス王女が私にしがみつき、大粒の涙を流しながら喚いた。


「ごめんなさいごめんなさい! ポーションの凄さは知っています! どうか、どうかっ……!」


「えー? だって、私ばかり損するのは嫌じゃん?」


「すいません! 今回のことを深く反省し、十分に話し合いをした後、ティア様にはお望み通りの賠償金を支払います! なので、それだけはお許しください!」


「えぇ……? リリスはどう思う?」


「見捨てていいのではないですか? ティア様を蔑ろにした者の言葉など、聞く必要がありませんわ」


 そう切り捨てたリリスは、まるでゴミ屑を見るかのような目をしていた。

 それを見たアリス王女の絶望した顔。


 でも、そこで彼女に救いの手が差し伸べられた。


「ティアさんもリリスさんも……王女を苛めるのはそれまでにしてあげてください」


「ジュドー殿……」


 ジュドーさんに注意されてしまったなら、仕方ない。

 それに、アリス王女はちゃんと話し合って賠償金を渡してくれると言ってくれた。今回はそれで許して…………ああ、いや。まだ足りないな。


「はーい」


「……私は本気でしたけどね」


「まぁまぁ、王女様はこう言っている訳だし、今回だけは許してあげよ?」


「…………むぅ、ティア様が、そう言うのであれば」


 リリスはまだ納得していない様子だったけど、渋々と頷いてくれた。

 まだ許してもらえたという事実を信じられず、呆けているアリス王女に向けて、私はなるべく明るい笑顔を作った。


「アリス王女様、損害賠償についてはどうでも良いよ。その代わり、私と取引をしよう?」


「取引、だと?」


「うん……と言っても、簡単な取引だから安心して。私は錬金術師だってことは知っているでしょ?」


「あ、ああ……そう聞いている」


「私は、この世界の人達に錬金術を広めたいんだ。それに協力してくれると嬉しいなぁ……と思うんだけど、どうかな?」


「錬金術をか……? 今やその技術は、完全に潰えてい──」


 途中で言葉が途切れる。


 どうしたのかと思って後ろを見ると、リリスが微笑んでいた。

 見た人全てを籠絡してしまうような笑みなのに、どうしてか心の底から寒気が止めどなく溢れてくる。そんな不気味な笑みだ。


「リリス。威圧しないの」


「申し訳ありません」


 リリスから感じる威圧感が消えた。


「ティア殿を馬鹿にしている訳ではないのだ。ただ、広めるのは困難な道だと……」


「それはわかっているよ。…………本当は、もう広まっているはずだったんだけどね」


「え、今なんと……?」


「……何でもない。それで協力してくれないかな? 王女様が後ろ盾になってくれるのなら、すごく頼もしいんだけどな」


「だが、まだティア殿の技を見ていないので、何とも言えない……」


「ほぉう? いまだにティア様を疑っていると?」


「──ヒッ!」


「リリス! おすわり!」


「あぁんっ!」


 いや、そこは『わんっ』って言ってよ。どうして喘いだ?


「じゃあさ、今ジュドーさんとアリス王女が調査している件。私も協力してあげるよ。それで役に立ったら、私を認めてくれる?」


「だが、これは我らの問題だ。ティア殿をこれ以上巻き込むわけには──」


「アリス王女殿下、私はティアさんの言葉に賛成です」


「ジュドー殿……」


「どうやら、殿下も捜査に行き詰まっている様子。実は私の方も、これ以上は難しいと思い始めています。これ以上足踏みをしていると、被害者は増える一方。この機会に、彼女の協力を受けると良いのでは?


「……しかし、ティア殿は一般人だ」


「ティアさんの知識と技量は、凄まじいの一言です。それは私が保証します」


 ジュドーさんの紹介を真摯に受け止め、アリス王女は腕を組んで瞠目する。

 きっと、まだ悩んでいるのだろう。領民想いの姫様だけど、それではジュドーさんの言った通り、被害者は増え続けるだけだ。


 ならば、絶対に無視出来ない言葉で後押ししよう。


「私は──その薬を知っているよ」


「──っ、なんだと!?」


「ティアさん、それは本当ですか!?」


「医者から話を聞いた感じだと、私の知っている薬に非常に酷似していた。原材料も、作り方も全て知っている。犯人を絞り込むには、結構重要なことだと思うけど?」


 その言葉が効いたんだろう。

 二人はお互い視線を交わし、同時に頷いた。


「……わかった。ティア殿、どうか、我らに力を貸してくれ」


「私からもお願いします」


「うんっ、勿論。私も、それのせいで薬の売れ行きが怪しくてね。ちょうど邪魔だと思っていたんだ」


 きっとこれ以上、この件を野放しにしていたら、更に面倒なことになる。

 そうなる前に、麻薬を広めている人物を叩き潰す。


「ここで話すのもなんだし、応接室に行こうか」

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