愁いを知らぬ鳥のうた

@chauchau

私は貴方の優しさを利用する


「師匠、師匠! あそこ見てください、ほらほらッ」


「ぁン?」


「あの人カナリアを連れてますよ、ペットですかね? 可愛いなぁ……」


「違うわ、馬鹿」


「え?」


「あれはな」


 瞳を輝かせて纏わり付いてくる少女の頭を、男は煩わしそうに遠ざける。男の態度にムキになった少女が必死で男に抱きつこうと抵抗を開始した。

 男と少女の攻防は端から見れば仲の良い親子のじゃれ合いのようであり、周囲を歩く人たちの疲れた顔に少しの微笑みを生み出していた。


「あれは……、あれ、あれは……いい加減、離れろ!」


「い! や! ですぅぅう!」


「ッたく」


 先に折れたのは男の方。少女の頭に乗せていた手を自分の頭に当てなおし、わざとらしく大きなため息を付く。

 勝利を得た少女は、まるでコアラのように男の身体に抱きつき、幸せそうに頬ずりを開始した。


「それで? ペットでなければ何なのですか?」


「ぁあ? ……ああ、ありゃ毒探知だ。カナリアは俺たち人間より毒に弱い。鉱山だのトンネルだのへ向かうときに冒険者がよく使う手の一つだよ」


「……そうなんですね……」


「教会のお優しい連中が命がどうのと五月蠅いわ、いつ騒ぎ出すか分からねえわで俺は使わないがな」


「知ったあとだと、なんだかあのカナリアが可哀想でもありますね……」


「さてね。当の本人はそのときまで大事に餌をもらえて生きられるんだ。案外野生で生きるよか幸せなのかもよ」


「……」


「結局不幸なんてものに気付かずにいられりゃそれは幸せとおな、ふんッ」


「ふぎゃァ!?」


 トンネルへと消えていく冒険者の背中をどこか寂しそうに見つめる男にチャンスを見いだした少女が動く。あと数センチで口付けを達成できたその前に、抵抗する暇もないほど鮮やかに少女は地面へと叩き付けられていた。


「油断も隙もねえ」


「ご、ッ! ごぉおぉ……ッ」


 地面で小さく痙攣を続ける少女に手を差し伸べることもなく、男はトンネルへと足を進めていく。


「あどずごぢぃぃい!」


 あまりの少女の悔しがりように、通行人達は思わず頑張れとエールを送るのだった。



 ※※※



「これぞまさしく! 絶! 景!! なんと見事と言うほかないのでないでしょうか!」


 街を見下ろす高台で少女は小さな身体をこれでもとかと広げて高らかに叫ぶ。降り注ぐ日光を反射して、彼女の美しい銀髪が輝いていた。


「この世界はなんと美しい! 小さな世界しか知らなかった私にとって毎日毎日が新鮮なれど! やはり美しきは自然と人間の手による調和! 師匠もそうは思いませんか!!」


「え、どなたですか?」


「他人のフリ禁止ぃぃぃい!」


「いや、ほんと勘弁してください。恥ずかしいんでマジで。知らない知らない。お前みたいな恥知らず本当に知らない」


「二回言ったなァ!? 正確には四回も知らないって言った! 私の身体のすみからすみまであんなことやこんなことしてこねくり回してもう師匠がいないと生きていけない身体にさむがッ!?」


「おぉっと、はやく宿を取らねえと野宿になっちまうな!!」


 ロリコン……。

 え、処す? 処す?

 まずはあそこを斬り落とそう。

 官憲さーーん!


 騒ぎ始める周囲の人間が行動に移る前に、男は少女を抱きしめ、長い坂道を猛ダッシュで駆け下りていった。


 五百年前まで大陸のなかでも最大級の高さを誇っていた山に、一匹の邪竜が現れた。周囲の森を焼き尽くし、命という命を刈り尽くしたその竜は、一人の勇者によって討伐された。

 彼らの戦いは凄まじく、三日三晩通して行われた戦闘が終結した時には、山には巨大な大穴が生まれているほどであったという。


「で、その大穴を利用して出来たのがこの街ってわけだ」


「街がすり鉢状になっていて、中心に行くほど下に行くのがまた面白い構造ですね」


「そもそもが山の中だから鉱石が取りやすくて、いまでは大陸一の鍛冶の街だな。おーぃ! エールおかわりーッ!」


 無事に宿を取った二人は、近くの酒場にて英気を養っていた。久しぶりの酒に舌鼓を打つ男に呆れた様子で少女はテーブルに並べられた料理へと手を伸ばす。

 肉体労働者が多いためか、味付けの強い料理が多い。血の滴るレアステーキを口いっぱいに頬ばって彼女は幸せそうに喉を鳴らす。


「山の中だと聞いたときは新鮮な食材は諦めてたのですが、なんともジューシー!」


「交通技術の発展のおかげだな。昔はそれはそれは悲惨な飯でな。しかも街全体が臭いっていう」


「……今の時代に旅が出来たことを幸運に思います」


 ほうれん草のバター炒めももぎゅもぎゅと食べ続ける少女はまるでウサギか子牛のようである。


「思うか食べるかどっちかにしとけ」


「そうですね」


 そう言って彼女はどんどん料理に手を伸ばす。

 食べることを選択したようだ。


 男の酒がどんどんと進んでいく。負け時と少女が並べられた皿の中身を空に変えていく。気付けばすっかり日は暮れて、店は仕事を終えた筋肉質の男達でいっぱいになっていた。


「あー……、食った食った」


「師匠はほとんど飲んでばっかりだったじゃないですか。ちゃんと食べないと血肉になりませんよ」


「良いんだよ、俺は」


「良くない、……はッ! つまりこの後宿でしっぽり私の身体を貪って痛ィ!?」


 情け容赦なく落ちた拳骨が見た目に不相応な台詞を吐こうとした少女の口を物理的に閉じさせる。


「またぶったァ! お父様にも殴られたことないのに!!」


「良いんだよ、俺は」


「良くなァい!」


「店も混んできたし、もう行くぞ」


「あーッ! 話をそらしましたね! 絶対いま面倒くさいって思っているでしょう!」


 男の腕に抱きつき騒ぐ少女のことを周囲の人たちは五月蠅いとも思わない。普段とは違う客、それも可愛い少女だというのであればこれもまた一興だと皆が笑っている。

 周囲の親切に男は軽く頭を下げ、金を払って店を後にする。会計が終わった頃には少女の機嫌はすっかり直っており、月明かりの下、男との二人歩きを心から楽しんでいるようであった。


「すぐ宿に戻りますか?」


「……酔い覚ましに少し歩くか」


「そう言ってどうして師匠の視線は屋台の酒屋に釘付けなのでしょう」


「世の中には迎え酒という文化があってだな」


「もう! 今日はこれ以上お酒は駄目ですから!」


 それでも視線をはずそうとしない男の様子に少女は普段の男をまねしてわざとらしいため息を付く。

 渋々、再度振り返りつつも、男は夜道をゆっくりと歩き出す。


「次の街にはいつ出発する予定ですか?」


「そうだな……、明後日、いや明日かな」


「えー……、せめてもうちょっと居ましょうよぉ」


「こんな大きな街に何泊も出来るか。路銀が底をつくわ」


「師匠の甲斐性なし」


「どやかましい」


「仕方ないですねぇ……、こんな師匠についていける女は私しか居ないわけですし?」


「……空が高ぇなァ…………」


「無視されたッ! 無視しないでくださいよ、ねえ師匠! ししょ……お?」


 再びじゃれつこうとしていた少女の動きを止めたのは、どこからともなく聞こえてきた美しい歌声であった。

 小さく微かに、だが確かに聞こえるその声に、二人だけでなく街中の人たちが耳を傾け始めていた。


「綺麗な歌……」


「カナリアだよ」


「え?」


「行くぞ」


「ちょ、え、師匠!?」


 誰もが幸せそうに耳を傾けてるなか、唯一男だけはその歌に顔をしかめる。男の珍しい不機嫌な様子に少女は困惑しながらも、さっさと宿へと向かってしまった男のあとを追いかけていく。



 ※※※



 裸とほぼ変わらないネグリジェを身につけた少女が寝台で横になりながら不思議そうに男の顔を見つめている。

 窓際の椅子に座っている男は、少女の視線をずっと無視して煙草を吹かし続けていた。


「聞いても良いですか」


「スリーサイズはちょっと……」


「茶化さないでくださいよ。あの歌、師匠は嫌いなんですか?」


「どっちでもない」


「……カナリアって言ってましたよね?」


 煙草の火が赤く燃え上がる。

 灰となり短くなっていく煙草を灰皿へこすりつけ、男は煙を吐き出した。


「鉱石を掘るための鉱山がそのまま街になったところだ。昔は、そりゃ臭かった」


「汗?」


「危険ガス」


「おぉう……」


「採用されたのがカナリアだ。だが、どこもかしこも鉱山で何匹カナリアを用意すれば良いかも面倒くさいと準備されたのが部屋だ」


「?」


 もう消えてしまった煙を追いかけるように、男は窓の外を眺めている。


「街の中央に、部屋を造って置いたんだ。カナリアと買ってきたどこぞの少女を」


「買ってきた……」


「昔は、いまよりも貧しかったから。どこにでも売りたがる親は居たもんだ。売られた少女は、カナリアに異変があれば歌うんだ。街中に響くように造られた装置を利用して」


「ちなみにその少女とカナリアは?」


「助けてもらえる時もあったらしい」


「そうですか」


 それはつまり、


「教会連中は騒ぐがな。それでも必要なことだったんだよ、おかげで今のこの街がある」


 多くの少女が、そこに残され死んだということ。


「今はもう技術が発展してンな危険なことはほとんどない。あの歌だってこの歴史を踏まえて鎮魂の意味を兼ねて歌われているしな」


「え、あ、じゃあさっき歌っていた人は安全なんですね?」


「そうだよ。不安なんて知らない、ただの美しい歌だ」


「ふぅん……」


「……なんだ」


 少女の声色に、男が顔を向ければにんまりと笑い笑みを浮かべる顔が居る。

 聞くのも面倒くさいが聞かないともっと面倒くさいと男が諦めて尋ねれば、少女はますますその笑顔を強めた。


「つまりぃ? その歴史もあるから師匠はあの歌嫌いなんですね? きゃー! 師匠ったらやっさすぃ」


「……」


「いやー、師匠にそんなセンチメンタルなところがあるとは実にゆか、げふん! 感動的ですね!!」


「……」


「私は常日頃から師匠は極悪面の女好きの甲斐性なしの碌でなしだと思いながらもどこかでは優しい人であると知っていましたけ、ぷぷーッ!!」


 立ち上がりながら、男は自身のシャツのボタンを外していく。

 衣服を全て脱ぎ捨てて、


「あら……お、怒りました?」


「とりあえず、寝るぞ」


「キ、キスからが良い……かなぁ?」


「却下だ」


 少女が待つ寝台へ。



 ※※※



『頼む相手を待ちがえちゃいないか』


『だとしても、もはや貴方様に頼むほかに手はありませんでな』


『血を吸えば、あいつのなかの真祖が目を覚まし、それが世界崩壊の始まりとなる。だったか。まるで騒げば危険だと知らせる鳥みたいだ』


『どうしてでしょうな、二百年間私たちはなにも人に危害を加えてこなかった。貴方との約束を守り、ずっと静かに暮らしてきた』


『ああ』


『にも拘わらず、万が一があるかもしれない。それだけで娘を殺せと迫られる。教会が言う神託があったという理由だけで』


『あそこももう随分と変わったから』


『……、私たちは良いのです。もう五百年以上生きてきた。だが、あの子はまだ五十にも満たないんですよ』


『俺は、』


『分かっております。貴方が、人間を救わなければいけない存在だということは理解しております。その上で、どうか……』


『…………』


『どうか娘を、お守りください……。勇者殿……ッ』



 ※※※



 無意識に牙をむく少女の身体を優しく寝台へと押しつける。何度も精を注ぎ込まれた彼女は、いとも簡単に沈み込んでいく。

 あと少し。もう少し彼女の体力を削らなければならない。

 寝ている時に、彼女のなかの何かが牙を立てるのを阻止するためには可能な限り彼女には深い眠りについてもらう必要があった。


 だからこそ彼は身体を重ねる。

 目の前の少女からの好意を利用して。


 意識をなかば手放した彼女が、悦びの歌を紡いでいく。その声に、彼の心の何かが悲鳴をあげる。


 それでも彼は聞き続ける。


 自身が災いであることを知らぬ少女の歌声を。

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