第5話 帰路

自分の腕の中で眠りに落ちたミユをホテルのベットに横に置いて布団をかけて部屋を出た。


ホテルに誘ってきた本人が寝てしまったのだ。自分がわざわざ部屋に残る理由なんてない。ミユが起きてまた催促される前にそそくさと部屋を出るのが最善である。


あんなに暴れて情緒不安定な女の子を置いて行くのは良心が痛むがどうせ本日限り、一夜限りの関係なのだ。


彼女の希望通り一緒にホテルに行き、部屋代を払い、髪をとかし、あやし、寝かしつけてまでやったのだ。自分はお役御免と帰っていいではないか。


自分としてはそれ以上に彼女とヤリたいわけでも、深い関係になりたいわけでもない。ここいらが潮時なのである。


それに彼女だって自分じゃなくてもいいと言っていたじゃないか。だから必要以上に自分がホテルに居る事をないのである。


そうやって自分の行動に納得しながら大通りの帰路に着き、いつもの日常、明るく煩い大通りを歩いて行く。


帰路に着く途中、妹から連絡が入っており、『早く帰って来ないと私がご飯を作って待ってるからね。』とメールが届いていた。


普通なら仕事が終わって家に帰るとご飯ができているなんて嬉しいものだ。…出てくるものがダークマター紛いの黒い何かでは無ければ、だ。


アイツの料理のセンスは常人を遥かに超えておりどんなものだろうと黒い何かに変えていく。簡単なものなら変わる事などないと思い、一度目の前で目玉焼きを焼かせたこともあるが出来上がる直前、目玉焼きがフランベされ一瞬にして黒い何かに変わっていたのだ。


料理は見かけじゃないと思い、一口食べた事もあったが味はなく痛みが走る。風味も煤のようなもので吹き抜けるは刺激、触感は粉、残るはへばりつくようなあり得ない後味。到底食べ物として感受出来るものでなかった。


その妹が早くしないとダークマターを生成すると言っているのだ。命の危険が迫っていると感じ、自然と帰りの足も速くなる。


大通りを足早に歩いていると後ろからタッタッと走ってくる音が聞こえてくる。まさかと思うがミユが起きて追いかけてきたのか!?


後ろから聞こえる音は次第に近くなり『待って、待って』と呼び声が聞こえる。


これ以上彼女に関わるつもりもない上、若い女の子に絡ませている事をこんな人目のつくところで誰かに目撃でもされたら会社に後でなんて噂が立つかわからない。よって全力で逃げる事を決意。気合いを入れて家まで帰る。


「…よし!」


と気合いを入れて一気に走り出す。が、それニ、三歩と走り出したところで終わってしまう。


「ちょ、ちょっと待って下さいよ!センパーーーイ!!!」


「ん?せんぱい?」


聞き慣れた声と呼び名につられ走り出した足が止まり、後ろを振り返ると後輩の橘が息を切らしながらこちらに向かって走っていた。


「お前何してんだこんなとこで?」


橘が自分と会話が出来るところまで来たので話しかける。


「はぁ、はぁ。それは、こっち、の、セリフ、ですって。」


橘ははぁはぁと息を切らしており、呼吸も整いきらないうちに返事をする。


「はぁはぁ、…ふぅ。なんで先輩はこっちが呼んでいるのに逃げようとするんですか!」


呼吸を整えたと思ったらこの後輩いきなりキレ始めた。


「お前そりゃ誰でも追われたら逃げるだろ。」


さっきまでの事を考えるとまたホテルに連れてかれると思い逃げるに決まっている。


「こっちは吉村さんに散々こき使われてクタクタになってそれでも先輩と会う為に定時に仕事を終わらせて先輩の帰路で待ち伏せしてたのに全く先輩来ないじゃないですか!なんなんですか!いじめですか!」


「いや、こっちも追加の仕事があったから残業してたんだよ。それとさりげなく待ち伏せなんかしてんじゃねぇ。」


コイツやってる事がアイドルの追っかけをしてる陰湿なキモオタとなんら変わりがないぞ。つーか定時からって事は少なくとも3時間は張り込んでたのか、気持ち悪いな。


「こっちは先輩の事を想いながらずっと柱の影でどう先輩とイチャイチャしようか考えていたのに。私のこの想いどうしてくれるんですか!」


「そんな想いはゴミ箱に捨ててしまえ。」


非現実的な妄想を実現出来ると考えるのはどうかしてる。少なくとも俺自身は叶えるやるつもりは一切ない。


「先輩は酷いです!あんまりです!橘は損害賠償を請求します!」


「今まさに心の損害を俺が受けているんだがそれに対する賠償はないのか?」


「ありません!」


…コイツ間髪入れずに即答しやがった。


「なのでこれから私と一緒にあそこに見える煌びやかな建物についてきて下さい!」


「お疲れさん、気をつけて帰れよなー。」


「先輩ちょっと!」


「社内の噂を知らないのか?援交を助長する女性がいるって話。お触れ書きにも出ていたみたいだぞ。」


「先輩以外の情報なんて微塵も!興味が!ありません!!!」


「お前何しに会社に行ってるんだよ…。」


「無論、先輩と触れ合う為に決まってます!」


「残念ながら会社はそういうところではないんだなぁ。」


「だから今から行きましょうって!会社がダメなら外ならアリです!さぁ、さぁ、さぁ!」


「人の話を聞いてたか?お触れ書きが出てたって俺言ったよな?」


「そんなもんが怖くて行かないなんて女が廃ります!」


「お前の脳内は摩耗しきって溶けてんのか?」


「先輩お願いですー!一緒にホテルに行きましょうよー!」


大通りでねぇ!ねぇ!とお願いを続ける後輩は主観的にも客観的にもかなり恥ずかしい。大の大人が駄々を本気でこねるとマジで痛い。何よりやってる本人よりも相方の方がダメージが大きい。


「あぁもう!こんなとこで駄々をこねるんじゃねえ!」


「だって!」


「だっても何もねぇよ!…はぁ、面倒だがとりあえず、俺のアパートでいいなら来ていいぞ。」


「!!!???本当ですか!?」


「あぁ、こんなとこで騒がれるよりもよっぽどいい。」


「っっっしゃあ!駄々をこねた甲斐がありました!」


こっちが周りから見られることによって心がすり減っていた事を知らずしてかこの後輩はガッツポーズを決めてやがる。


「それではさっそく参りましょうか、先輩♪」


この後輩、当たり前のように腕に抱きついてきやがった。


「あぁ今夜私は先輩と大人の階段を登ってしまうんですね。」


「意味もわからない妄想はやめてくれ。」


適当に相手をしてるうちに携帯からメールの着信音が鳴ったので見てみると妹からの連絡だった。橘は自分の世界に入っているようで俺が携帯をいじっている事に全く気づいていない。


「でも先輩が自ら自分のアパートに招くなんて珍しいですね。いつもなら絶対入れてくれないのに。」


「…まぁ俺だって1人が寂しいときもあるんだよ。」


橘の話に適当に相槌を打ちつつメールを返す。


「そんな寂しい夜を私と過ごそうだなんて先輩は獣ですね。今日は朝まで寝れると思わないで下さいね。」


橘はうっしゃっしゃっしゃっと変な笑い方で悪戯っぽく笑っていた。


「…あれ?おにぃと楓さん?」


そう話していると目の前から買い物袋を持って歩いてくる妹がいた。


「琴香ちゃんじゃないですか!久しぶりです!元気にしてましたか!」


「ええ。私は元気ですよ。それよりおにぃ、こんなに近くにいたならもっと早く連絡入れてよ。食材足らないじゃない。」


「そんな事言ったって今連絡を返したばかりだ。もっと早くなんて出来ねえよ。」


「なんすか、なんすか?食材の買い出しなんてして琴香ちゃん自炊してるんすか?」


「ううん。普段はしてないよ。今日はおにぃの為に作るの。」


「へぇー、先輩の為に。先輩、の、ため、に…。」


橘は琴香に言われた言葉の意味がうまく飲み込めていないようだ。まぁ人間誰しも嫌なことは考える事を放棄したくなる気持ちはわからんでもない。


「ははん、そうか。そういう事ですね。」


「どうした?急に納得し始めて。」


「これは琴香ちゃんが作ると見せかけて先輩がこっそり私のご飯を作ってくれるってことですよね?いや〜先輩のサプライズは手が込んでますね〜。」


「違うよ。仕事で疲れてご飯もろくに作れないおにぃの為に私が作るんだよ。サプライズも何もないよ。」


「…だ、そうだが。」


琴香は橘の妄想、もとい現実逃避に対して琴香が冷静に現実を教える。


「…今日の夜空は星がよく見えるっすね。」


駄目だコイツ、とうとう脳が考える事を放棄しやがった。


「そんなことより早く帰ろう。楓さんもいるんだから多めにおかず作らないといけなくなっちゃったんだから。」


「…あぁ、そうだな。早く帰ろうか。」


晩飯がダークマターに決定した事でとても足取りが重くなったが妹に急かされ憂鬱な気持ちで帰路を歩く。道中、橘が『先輩、そんなとこ駄目です。首はもふもふしてないっす。』などと訳が分からない事をぶつぶつと呟いていたがこれからの事を考えると思考を放棄しているコイツのほうがまだマシなようにも思った。

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