第十三話 大いなる港

 宿を出て、サビーヌと合流したオーケビョルンとマルクスは、海岸に向かって歩いて行った。だんだんと朝日を浴びて輝く海が近くなってくる。

 そして、海岸沿いを通るデニース通りを離着陸場に背を向けながら歩けば、視界に広がるのは海とレンガ造りの岩壁、そして大小さまざまな船、船、船だ。


「オーケビョルン先生、マルクス先生、ここがエクルンド港です」

「おお……」

「おおー……」


 そのずらーっと居並ぶ船を指し示しながら、サビーヌが手を差しだす。そこにあるこの大きな港こそ、エクルンド市の敷地内で最大の面積を占めるエクルンド港だ。

 バーリ公国首都であるエクルンド市は、この港を中心に栄えた港湾都市だ。北洋を渡る際の中継地点として発達した港は、人が集まり、宿屋や店が並び、やがて大陸の北海岸沿いで最も大きな町へと発展した。

 今や、住人の数も来訪者の数も大陸北部でトップクラスの大都市である。それを支えるのが、ドラゴンによる長距離輸送が一般化してもなお強い存在感を発揮する、この港である。


「さすが、アッシュナー大陸北海岸最大の港じゃのう」

「バーリ公国の物流のみならず、大陸北部の国々の物流をまとめる中心地でもあるからね。とはいえこの規模、この船の数」


 オーケビョルンがしきりに視線を動かしながら言えば、マルクスも感嘆の吐息を漏らしながら声を発する。そして彼は一度言葉を区切ると、そこでオーケビョルンの顔を見ながら笑った。


「圧巻だねぇ」

「全くじゃのう」


 オーケビョルンもマルクスの眼鏡をかけた顔を見返して笑う。あまりに圧巻なものを見ると笑えてくるというのも、これを見れば誤りでないことが分かる。

 そうして船がずらりと並んだ桟橋のかかる広い道路を歩きながら、オーケビョルンは先を行くサビーヌへと声をかけた。


「しかし、よいのかのうサビーヌ先生、わしらの観光に、すっかり付き合わせてしまっとる形になるが」


 荷の上げ下ろしをする人足にんそくがひっきりなしに行き交う道路を眺めつつ、オーケビョルンがこぼす。

 エクルンド港は市民にも大いに開かれており、内部に荷揚げされた魚を扱う市場が存在する。毎朝、その市場に並ぶ魚を求める市民の姿があるくらいだ。

 立ち入ることをとがめられなどしないだろうが、それでも立派な研究者であるサビーヌを、観光ガイドのように扱っているのは否めない。


「いえいえ、いいんですよ」


 しかしサビーヌはにっこり笑いながら首を振った。


「何しろオーケビョルン・ド・スヴェドボリと言ったら竜語古典文学発展の功労者の一人ですからね! 市からも『その行動を妨げることまかりならん』と言われていますし、どんどん連れ回してください」


 そうして彼女が返してきた言葉に、オーケビョルンは目を大きく見開いた。

 自分が古代竜エンシェントドラゴンであり、竜語ドラゴニーズ文学に長く携わってきたことは間違いない。事実だからだ。

 しかし、竜語古典文学発展の功労者・・・と言われて、首をすぐに縦には振れなかった。功労も何も、目立った功績を上げてきたことなどほとんど無いのだ。


「こ、功労者って……」

「功労者だよ、君は立派な。君の長い竜生の中で、君はどれだけ竜語文学史に残る作品を書いてきたと思う?」


 戸惑いの声を上げるオーケビョルン。しかしサビーヌだけではない、マルクスも今更何をと言わんばかりの表情だ。

 サビーヌが指折り数えながら、オーケビョルンの作品名を読み上げにかかる。


「『星詠みのアンセルム』はもちろんのこと、『英竜伝えいりゅうでん』、『果実をむフレドリカ』も、竜語ドラゴニーズ文学を語る上では外せない著作ですものね」

「ええ……わし、そんな立派な竜ではないぞ、ほんとに」


 彼女の言葉を聞きながら、ぽかんと口を開きながらぼやくオーケビョルンだ。

 確かに、サビーヌの挙げた三作品については結構評判が良かったと記憶している。「星詠みのアンセルム」も「英竜伝」も、今でも本として刷られ、人々に読まれていることも事実だ。「果実を食むフレドリカ」など、スピンオフ作品が子供向けの絵本にもなっている。

 だが、それだけだ。それだけのはずなのだ。自分は長いことずっと山に篭もっていた引きこもりで、そうした栄誉とは無縁に生きてきたはずだったのに。

 しかしマルクスもサビーヌも、二人してオーケビョルンを平気な顔をして褒め称え、持ち上げてくる。


「立派かどうかは君が決めることじゃないさ。君の功績は君以外の皆が……それも君の活動した時期より後の皆が決めることだ」

「そうですよ。オーケビョルン先生は未だご存命ですし、ずっと活動をされていたから実感がないかもしれませんけれど、活動初期の頃に書かれた作品は、もうとっくに古典扱いなんですよ。六百年は経過しているんですから」


 サビーヌの発言にオーケビョルンは唸った。

 そう、古典文学だ。作者当鱗が未だに生きて創作を続けているから勘違いしているが、オーケビョルン・ド・スヴェドボリは古典作家なのだ。

 先に挙げた三作はいずれも、オーケビョルンが若い頃に発表した作品だ。書き上げてから優に五百年以上は経過している。それは、古典と言われてもしょうがない。

 そしてそれだけ時間が経っているゆえに、文学作品としてはとかく昔に書かれたものとして扱われるわけである。これもまた、オーケビョルンにとっては否定のしようがない。


「そうなんじゃがのう……」

「まあ、その辺はとりあえず気にしない方向で。それで、どうですか? この港の風景」


 ぼやくオーケビョルンに、サビーヌが笑みを見せながら手を伸ばす。その手の先に見えるのは、何人もの人足が荷の上げ下ろしを行っている様子、さらに市場を開く建物に魚が運び込まれている風景だ。

 整然と船が並んでいる様子は圧巻の一言。さらに何人もの人が行き来し、中型のドラゴンが荷下ろしに加わっている姿も見える。人の営みがそこには確かにある。

 目を細めてその様子を眺めつつ、マルクスから預かったままの手帳と硬筆を手に佇むオーケビョルン。その横でマルクスが、ちくりとサビーヌにくぎを刺した。


「サビーヌ先生、急かしちゃいけない。本鱗がその気になるまで待たないと」

「そうなんですけどー。やっぱり所感を聞きたいじゃないですか、エクルンド市の誇る一大観光地ですよ」


 しかしサビーヌも口を尖らせて反論した。彼女の言うことも尤もだ。これだけの光景、ここでしか見ることは叶わないだろう。反応を見たいという気持ちも分からなくはない。

 とはいえ、創作活動とは得てしてその気にならないと出来ないものである。オーケビョルンだって、問われてすぐ情感たっぷりの詩を吐き出すことなど、出来ようはずもない。

 しばらくその場で船を見つめるオーケビョルン。そのまま五分はいただろうか、唐突に彼は口を開きながら硬筆を動かし始めた。


「そうじゃなあ……サビーヌ先生」

「はい、なんですか?」


 手帳に爪文字を書きながら、オーケビョルンは淡々と言葉をつぶやいていく。その口調は静かで、どこか厭世的でもあった。


「わしはずーっと俗世ぞくせから離れて引き籠もっておったから、今の国の地理とか、どの国が存続しているのかとか、今の国旗や軍旗がどうじゃとか、さっぱり分からん」

「あ……」


 その言葉と声色に、サビーヌがハッとする。そう、ここにいる老竜は数百年もの長きに渡り、スヴェドボリ山から出たことが無いし、スヴェドボリ山の外に目を向けてこなかったのだ。他国どころか、バーリ公国の中のことでさえ無頓着、エクルンド市と港の隆盛すら知らなかった有様である。

 こうして様々な国からやってきて貿易をしている船を見たとして、どの船がどこの所属かなどと、分かろうはずもない。

 だが、手元の手帳に目を落としながら、オーケビョルンは話を続けた。


「じゃがそんなわしでも、この港に各国から船が集まっていることだけはハッキリと分かるわい。この港がそれだけ栄えているということものう」


 そう言いながら、彼はふっと笑って硬筆を止めた。

 その船がどこから来たか、どこへ去っていくのか、オーケビョルンには分からない。ただし今こうして、たくさん集っているということは間違いなく分かる。

 そうやって年若い研究者に話しながら、彼は手帳をマルクスへと差し出した。


「じゃから、こうじゃ」


 出された手帳を、マルクスとサビーヌが覗き込む。そこには、爪文字でこのように書かれていた。


――集まり、並び、去っていく。

  人と共に訪れ、人と共に佇み、人と共に去っていく。

  エクルンドの港よ。北海岸に屹立きつりつする巨人よ。

  お前はどれ程の船を迎え、そして見送ってきたものか――


 その見事な詩に、二人ははーっと長い息を吐いた。


「はー……さすがです、オーケビョルン先生」

「港を巨人と形容するか。さすがの比喩ひゆだね」


 マルクスが感心したように眼鏡を直した。オーケビョルンの作品に、こうした擬人化表現が出てくる頻度は高い。彼の比喩は、そのスケールの大きさがありありと伝わるということで評価が高かった。

 その比喩の力を、ここで遺憾なく発揮して見せたわけである。オーケビョルンがサビーヌに向かって片目をつむった。


「ま、このくらいはやってのけんとな。わしはそれだけのことを求められる物書きなのじゃろう?」

「もう、先生ってば」


 からかうように話すオーケビョルンに、サビーヌが小さく笑う。そうして三人は、改めて港の市場に向けて一歩を踏み出した。

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