第十四話 市長との面会

 エクルンド港の市場で新鮮な海産物を堪能して、腹も満たされたところで、港を後にして街を歩きながらマルクスがオーケビョルンに声をかけた。


「さて、オーケビョルン、どうする? もうだいぶ、エクルンドの見るべきところは見たと思うけれど」


 友人の言葉に、オーケビョルンがあごひげを撫でる。確かにエクルンド市の主要な観光名所は見て回った。市内にももう滞在して二日目だ。濃密な二日間だったが、その分満喫させてもらった。


「んん、そうじゃなぁ……確かに十分に堪能させてもろうた」

「そうですね。私も案内するべきところは、だいたい出来たかと思います」


 サビーヌもうなずきながら口を開いた。案内役の彼女がそういうのであれば、もう十分と言えるだろう。

 納得した様子のオーケビョルンを見つつ、マルクスがくいと親指を自分の方に向けた。


「よし、それじゃ最後に一箇所、寄るべきところに寄ろう」

「む?」


 彼の言葉に首を傾げるオーケビョルンだ。

 言われるがままに先導するマルクスについていくと、そこには市内でもひときわ立派な、石造りの背の高い建物が建っていた。マルタ通りの中心地に連れてこられたのだと、周囲を見れば分かる。


「ここは……」


 建物を見上げながらオーケビョルンが呟くと、建物を指し示しながらマルクスが笑った。


「エクルンド市の市庁舎だよ。この市の数々のまつりごとが集約されている場所だ」


 エクルンド市の市庁舎。この市庁舎の中には市長がいて市政を行う他、市内に関わる様々な事務作業、建築、財政管理、イベント運営などを行っているのだ。

 当然、市内に新しい建造物を建てるのにもここに来ないといけない。ここまでの大きな市になると、句碑を勝手に建てるわけにも行かないのだ。


「ああ、そうですよね。市庁舎に申請を出さないと、新たな句碑は建てられないですから」

「せっかくこの市内でたくさんの詩を書いたんだ。句碑を建てる申請は必要だろう?」


 ポンと手を打つサビーヌに頷いて、マルクスが市庁舎の扉を開ける。手筈が整いすぎていて、オーケビョルンは何も言えない。

 この友人はここまで考えて動いていてくれていたのだ。有り難いったらない。


「そういうことじゃったか。確かにのう……じゃが、いいのか? かなり混み入った街じゃて」


 市庁舎の中に入りながら、心配そうにオーケビョルンが問うた。

 このエクルンド市は大きな町とはいえ、壁に囲まれていて拡張性は無い。市内の家々はひしめくように建っていて、新たに句碑を建てる場所を見繕うにも苦労しそうだ。

 なんと言うか、自分の勝手なわがままで句碑を建ててもいいものか、と思ってしまう老竜である。

 しかし人間の友人に心配そうな様子はない。市庁舎の内扉を押し開きながらまた笑った。


「それは相談次第、ってやつさ。さあ行こう」


 そう言われて三人が立ち入ったエクルンド市の市庁舎の一階は、大きなカウンターテーブルがフロアの中に設置されていた。カウンターの内側では市庁舎の職員が何人、何十人といて、自分たちの仕事に精を出している。

 そのカウンターテーブルから少し離れたところにインフォメーションがあった。エルフの女性職員が、にこやかな顔で三人を出迎える。


「エクルンド市、市庁舎にようこそ。どのようなご用件でしょうか?」

「市内に建てる新たな建造物の申請は、どこですればいいかな」


 確認するようにマルクスが問いかけると、女性職員がカウンターテーブルがある方に手を伸ばす。


「かしこまりました。二番の建築課にどうぞ」

「ありがとう」


 指し示されたのはテーブルの真ん中あたり、二番の看板が掲げられたところだ。そちらに向かって歩み寄ると、カウンターテーブルの内側で待っていた人間の職員が顔を上げる。


「いらっしゃいませ……って、えっ!?」


 と、職員がハッとした表情になって声を上げた。その視線の先にいるのは、マルクスだ。

 ニッコリと笑いかけるマルクスを見て、女性職員が小さく震え始める。


「ミ……ミヨー先生? エクルンドにお越しになっていたんですか?」

「うん。友人の付き添いでね。一つ申請を出したいものがあるんだが、いいかな」


 カウンターテーブル前の椅子に腰を下ろして、マルクスがペンを手に取る。インク壺にペン先を浸し、さらさらと申請用紙に必要事項を記入していった。

 すなわち、『オーケビョルン・ド・スヴェドボリの新作詩歌を記載した句碑の建築申請』である。


「オーケビョルン・ド・スヴェドボリの句碑を、市内に建てられたらと思っているんだけど……許可を出せる場所はあるかな」

「ひぇっ」


 その申請用紙を受け取った職員の身体が文字通り跳ね上がる。用紙を両手に持って目に見えるくらい震えながら、女性職員が立ち上がった。


「あ、あのミヨー先生、すみません、上に確認してまいりますので……お、お部屋にご案内いたします」

「うん、よろしく」


 職員が用紙を手に持ったままでカウンターテーブルから出てきて、オーケビョルン達三人を先導するようにして歩き出す。向かう先は市庁舎の二階、応接室などがあるフロアだ。ここの応接室の一室に通されて、ソファーに腰を下ろしたオーケビョルンが目をパチクリとさせる。

 

「なんか、大事になってきたのう」

「まあ、マルクス先生もなんだかんだ有名人ですからね。仕方がないですよ」


 オーケビョルンの言葉にサビーヌも苦笑しながら言った。曰く、マルクス・ミヨーという男はアッシュナー大陸でも指折りの竜語ドラゴニーズ研究者で、国内で知らない者はいないほどの有名人なのだとか。

 今更ながらに明かされたその事実にオーケビョルンがため息を付いていると、応接室の扉が開かれた。その向こうから初老の獣人の男性が姿を現す。


「ミヨー先生、お待たせしました。ご申請ありがとうございます」

「やあ、ジリベール市長。お邪魔しています」


 入室してきた男性に挨拶をしながら、マルクスが頭を下げた。そして顔を上げると、彼が市長と呼んだ男性に向かって手を差し出す。


「オーケビョルン、紹介しよう。こちらがエクルンド市の市長、レミ・ジリベールだ」


 その紹介文句にオーケビョルンは目を見開いた。

 市長。ということは間違いなくこの市の中で一番偉い人物だ。バーリ公国は公国であるため、当然国を治める公爵がいるわけだが、国を治める人物と市内の政を行う人物が別にいるのは、なんらおかしな話ではない。

 すぐに立ち上がって、深く頭を下げるオーケビョルンである。

 そのオーケビョルンの白白とした頭を見やりながら、市長であるレミは驚きに満ちた表情をしていた。


「オーケビョルン・ド・スヴェドボリご本鱗とおっしゃる?」

「うむ、そういうことなのじゃ。すいませんのう、突然お邪魔させてもろうて、その上でこんな不躾なお願いを」


 レミの言葉に顔を上げながら、オーケビョルンは申し訳無さそうな表情を見せていた。

 何しろ、突然やって来て自分の詩を書いた句碑を建てさせて欲しい、という申請を出したのである。これが世界に名だたるオーケビョルン・ド・スヴェドボリだからいいものの、そういう輩でなかったらこの申請は一蹴されていただろう。

 はたして、レミはゆるゆると頭を振りながらオーケビョルンに笑顔を見せた。


「いやいや、かのオーケビョルン・ド・スヴェドボリの句碑とあらば、こちらからお願いして建てさせていただきたいくらいです。誠に名誉なことだ」

「お、おお……」


 寛大にもほどがある言葉に、オーケビョルンが言葉を失う。サビーヌが隣で勝ち誇ったような表情をしているのとは対照的だ。

 こうまでトントン拍子に事が進むとは、いっそ怖い。それだけ、オーケビョルンの詩には価値があるということなのだろう。文学的にも、歴史的にも。

 思いの外すんなりと話がまとまったところで、マルクスが一枚の紙を鞄から取り出す。この二日間でオーケビョルンが詠んだ詩を書き写し、まとめたものだ。


「この数日の間に、オーケビョルンがエクルンド市内で詠んだ詩の一覧と、詠んだ場所になります。句碑の設置にお役立てください」

「おお、よ、よろしいのですか、こんな貴重なものを」


 紙を受け取ったレミが目を丸くする。何しろオーケビョルンの詠みたてほやほやの詩の数々だ。彼のファンからしたら垂涎の品だろう。

 しかしオーケビョルンはスランプ真っ最中、この詩も文学的観点から見たらどれほど重要視されるものかは分からないのだ。ただ、「オーケビョルン・ド・スヴェドボリが詠んだ詩」という以上の価値があるわけではない、そう彼は信じて疑わない。


「わしが手慰みに詠んだ詩じゃからな。出版するかどうかも決めておらんし、好きに使ってくれて構わんよ」

「ありがとうございます……決して無駄にはいたしません」


 オーケビョルンの言葉に、レミが恭しく頭を下げた。

 こうしてオーケビョルンの句碑設置に関わる申請と相談は、全く滞りなくスムーズに進んでいくのであった。

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