第十一話 都会の夜景

 大ビャルネ記念文化会館を後にしてからも、オーケビョルン達はエクルンド市内のあちこちを見て回り、その建物の洗練された様子、街並みの美しさに目を細めていた。

 そして陽が落ちはじめ、街路脇に並ぶ魔法灯が次々に明かりをともし始める頃。サビーヌが懐中時計を取り出しながら笑顔を見せた。


「そろそろいい時間ですね、お夕飯を食べに行きましょうか」

「おお、楽しみじゃ」


 彼女の言葉に、オーケビョルンが目を見開いた。気が付けばもう夜になろうとしている。旅の最中だと、この時間には宿泊するための村を探す時分だ。しばらくはエクルンドに滞在する予定だから、その心配がなくて有難い。

 マルクスが小さく肩を回しながら、サビーヌへと声をかける。


「サビーヌ先生、夕食の場所に当てはあるのかい? エクルンドのレストランはどこもすごく美味しいけれど」

「そんなに粒ぞろいなのか?」


 マルクスの問いかけにオーケビョルンが首を傾げた。八百年余生きているドラゴンとはとても思えない問いかけだが、彼はずっと長いこと、スヴェドボリ山に引き籠もっていたのだ。ここ数百年の町の発展など、疎いのも当然だろう。


「レストランの数が、アッシュナー大陸北部では有数だよ、エクルンドは」

「ほほう、それはそれは」


 だからマルクスの答えに、彼は大きく驚いた。

 マルクスの言葉通り、エクルンドは多種多様なレストランが軒を連ねることで有名だ。港湾都市と言う性質上、世界各国の食材が集まってくる。さらにはドラゴンの離着陸場がしっかり整備されていることもあって、ドラゴンの来訪数も多いのだ。必然的に食事をする場のバリエーションも多彩になる、というわけである。

 そして二人の話をじっと聞いていたサビーヌが、見るからに口角を片方持ち上げ、自信ありげな表情を作ってから言った。


「ふっふっふ……お二人とも、聞いても驚かないでくださいよ」


 そして勿体つけて間を置いてから、サビーヌが指をある方向に向けた。

 彼女が指さしたのはエクルンド市内でもひときわ高い、五階建てのビルディングだ。その最上階あたりを指さして、彼女は力いっぱい宣言する。


「なんと!! 今日の夕食に、『ベック』の窓際の席を確保してあります!!」

「えぇーっ!?」


 その言葉に、マルクスが大声を上げた。その声は演技しているという風ではない。結構真剣に驚いているように見える。

 さっぱりこっきり訳が分からないといった様子のオーケビョルンが、大きく首を傾げた。


「有名なのか?」

「エクルンド市内でも有数の高級レストランだよ……すごいなぁ、サビーヌ先生……」


 老竜に対して、マルクスは眼鏡の奥の瞳を大きく見開いたまま答える。

 「ベック」はエクルンド市内で特に名の知られた、上流階級の人々向けに運営されている高級レストランだ。そのサービスはアッシュナー大陸全土で見ても五指に入り、この店を贔屓にする王族や貴族も数多い。

 そしてこの店を名店たらしめているのが、夜の時間に窓から見渡せるエクルンドの夜景だ。「1万シルケルの夜景」と称される光り輝くエクルンドの街並みを見下ろしながら味わう食事は、誰もかれもを魅了するのだ。

 マルクスにはにかむような笑みを向けながら、サビーヌが口を開く。


「えへへ。頑張っちゃいました、マルクス先生とオーケビョルン先生がいらっしゃるなら……と、ちょっと奮発したんですが、いやー喜んでもらえそうで良かったです」


 そう話しつつビルディングへと向かうサビーヌの後を、オーケビョルンとマルクスが呆気に取られながら後をついていく。

 ちなみに「シルケル」とはアッシュナー大陸全土で使われている通貨の単位だ。ディナーのフルコースのお値段が、席料も含めてちょうど1万シルケル。エクルンド市に住む一般市民の平均月収が6万シルケルほどなので、とても手が出せる価格ではない。それを「ちょっと奮発した」と言い切れるあたり、サビーヌの研究者としての地位が伺える。

 オーケビョルンとマルクスについては、今更言う必要も無いだろう。収入に関してはサビーヌ以上に潤沢だし、この旅に出るにあたって一枚で1万シルケルになるシルケル大金貨を何枚と持ってきている。


「いつの間に……しかも窓際席だって? 予約一ヶ月待ちもざらにある席じゃないか。よく取れたね」


 近づいてくるビルディングを見上げながら、マルクスがため息交じりに零す。

 彼の言葉通り、「ベック」は夜景を見渡せる窓際席が最も人気だ。年末年始の頃合いや秋の万霊節デアダス・ターグの前後は、湾内で花火も上がる。夜景と花火を一望できる場所として、ビルディングは人気が高いのだ。

 なのでその時期には店内が予約で満席、その予約も一ヶ月先にしか取れないと言われるくらいに、窓際席は争奪戦が激しい。今はオフシーズンなので比較的予約しやすいが、それでも一週間以上は見ないといけない。サビーヌが小さく肩を竦めた。


「先生方がルーテンバリを発たれるお話をいただいた直後くらいに、予約を入れましたからね。本当は昨日に取る予定だったんですけれど、今日にずれて……でも幸運でした、先生方の到着が今日になって」

「お、おお……それは、何と言うか、すまなんだ」

「本当は昨日に到着予定だったからね。まあ、結果オーライだ」


 彼女の言葉に、ハッとしながら頭を下げるオーケビョルンだ。気ままな旅だと思っていたら、こんな形で他の人に迷惑をかけてしまいそうになっていたとは。本当に幸運だった。

 何はともあれ、三人はエクルンド市を海から離れる方向に向かって歩く。そして高級住宅地の中を進んでいって、サビーヌがその場所で足を止めた。


「さ、ここですここ」

「おお……」


 ビルディングを見上げて、オーケビョルンは感嘆の声を漏らした。

 石を積み上げた上に漆喰しっくいで塗り固めた、五階建ての巨大な高層建築だ。市内でも高台に位置することもあり、てっぺんは海岸沿いに作られたエクルンド離着陸場よりも高い場所にある。「ベック」はその最上階に位置するわけだ。


「マルクス先生は初めてでしたっけ? 窓から夜景をご覧になるの」

「初めてだよ。いつも内側の席にしか座ったことが無いからなぁ……」


 そう話しながら、二人はビルの中、昇降機に乗り込んでいく。オーケビョルンもその後に続きながら、二人へと興味深そうに問いかけた。


「夜景……ということはあれか、この町の夜の風景がここから見れると」

「そういうこと。ほら、魔法灯がともっているし、建物にも明かりがついているだろう? あれが一望できるわけだ。離着陸場の明かりも見えるよ」


 世間知らずもはなはだしいオーケビョルンに、マルクスは優しい笑顔を向けながら話す。そうこうするうちに昇降機は五階に到着、ゲートが開く。そこから一歩中に入れば、「ベック」の上質な空間と柔らかいじゅうたんがお出迎えだ。


「そうか……それは、すごいことじゃなぁ」

「一度は目にする価値がありますよ。詩の題材にもいいんじゃないですか?」


 店内を進み、受付を済ませながら嘆息するオーケビョルンだ。彼にサビーヌが意味ありげな表情を向けながら手続きを済ませる。

 それもそうだろう、バーリ公国三大風景の一つに数えられる風景を、最上の環境で目にすることが出来るのだから。これを詩にしないでなんとする、というやつである。

 そして、係員に案内されたオーケビョルンの前に、その風景が姿を現す。


「こちらのお席になります」

「おお……!」


 案内された席からすぐ傍の大きな窓、そこから見える景色に、オーケビョルンは息を呑んだ。

 エクルンドの街並みが文字通り一望できる。先程までいたアンネリエ通り、それと並行して町を貫くマルタ通り、海沿いの港や離着陸場に沿って広がるデニース通り。町の有名な通りだけではない、その通りと繋がる細かな通りにも魔法灯が赤々と点り、夜闇の中に線を浮かび上がらせている。

 そして街路の魔法灯に沿うように点る家々や建物の灯りが、まるで木の枝に生る果実のように光っている。海沿いの離着陸場など、木の先端で煌々と輝く朝日のようだ。

 まさしく絶景だ。これほどの風景を、こんな位置から見れるとは。


「これは……凄いのう」


 感嘆の息を吐き出すオーケビョルンの背に手を触れながら、マルクスがにっこりと笑った。


「どうだい? これがエクルンド名物の一つ、『1万シルケルの夜景』だ」


 マルクスの言葉に、無言で頷きながら席に座るオーケビョルンだ。

 なるほど、これは「1万シルケル」と称される理由も分かる。大金貨一枚、夜景の美しさを表現するには幾らか安いと言わざるを得ない額だが、これはその額がつけられるのも当然だ。1万シルケル払えば、この店からこの光景を目にすることが出来るのだから。


「凄いでしょう。この風景を見るために、何人もの王侯貴族が、ドラゴンが、この町にやってくるんですよ」


 サビーヌの言葉に、オーケビョルンが長く息を吐き出した。感動の面持ちで彼は静かに言葉を漏らす。

 そういえば離着陸場の職員が話していた。ドラゴンの離着陸は夜、あるいは日暮れの時間が多いと。


「そうか……夜にこの町に飛んでくるドラゴンが多い、と空港の職員が言っておったが、これを見るためにか……」

「そういうことだね」


 マルクスがテーブルに頬杖を突きながら笑っている。そんな友人の表情を見ながら、オーケビョルンが静かに右手を差し出した。


「……マルクスや」

「分かってる。はいこれ」


 先んじて用意していた、と言わんばかりに、マルクスが手帳と硬筆を差し出した。それを受け取るや、ページを開いて紙面に爪文字を書き始めるオーケビョルンに、サビーヌが口をとがらせる。


「あ、オーケビョルン先生、お料理来ちゃいますよ」

「まあ、料理は料理で楽しむだろう。彼のことだから」


 彼女の言葉にマルクスも苦笑を見せた。二人の会話など気にする様子もなく、オーケビョルンは手帳のページを睨み、また窓から見える絶景を見つめていた。

 そんなやり取りをする間にも料理は作られ、運ばれてくる。「ベック」自慢のバーリ料理のフルコースだ。

 さすがにオーケビョルンも、料理が運ばれてくる中で筆を走らせるわけにはいかない。料理を味わいながら食べ、食べ終わったらまた書いての繰り返し。

 そして最後のデザートまで綺麗に平らげて、1万シルケルと追加のチップをいくらかテーブルの上に残し、それとついでにオーケビョルンが手帳の一ページを切り取って残して、彼らは「ベック」を後にした。

 夜更けの通りを歩きながら、オーケビョルンが満足そうに腹をさする。


「……ふーっ」

「どうだったい、オーケビョルン」

「ご満足いただけましたか?」


 嬉しそうに微笑む老竜に、マルクスとサビーヌがそれぞれ声をかけると。二人に向かって満面の笑みを見せた。


「いやぁ、凄かったわい。料理も美味い、風景も美しい。これは人気店なのも当然じゃなあ」

「それは良かった」


 その賞賛の言葉に、サビーヌが満足した様子で笑った。ここまで喜ばれるなら、連れてきた甲斐があったというものだろう。

 彼女の言葉の後を継ぐように、マルクスがいたずらっぽく笑う。


「で、そっち・・・の方はどうだい?」

「うむ、ばっちりじゃ」


 彼の言葉にオーケビョルンはにやりと笑いながら、手帳と硬筆を持ち主に返す。マルクスのためにと、店のために。二度書いたから内容は頭の中に刻まれている。

 夜空に向かって、彼は朗々と詩を紡ぎ上げた。


――夜の闇の中に、浮かび上がる光たち。

  幾百、幾千もの光が美しい町を彩っている。

  麗しきエクルンド。北岸の青き宝石。

  その輝きが、願わくば長く保たれることを願ってやまない――


 淡々とした、抑揚を抑えた声が町に溶け、夜空に消えていく。それを間近で聞いていた二人が、ほうと息を吐いた。


「おぉぉ……!!」

「君らしいじゃないか。僕は好きだよ」


 感動の声を漏らすサビーヌに、手帳を確認して訳文を見るマルクス。二人に恥ずかしそうな笑みを向けつつ、オーケビョルンが頬をかいた。


「うむ……出来れば、石屋で石を買って刻んで、街のどこかに置きたいもんじゃ」

「ははは、それは難しいな」

「街中の設置物は、当局の許可を取らないとなりませんから……」


 三人はそんな会話をしながら夜道を歩く。今日はサビーヌの手配してくれた宿に泊まって、明日からまた活動再開だ。

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