第十話 芸術通り
整然と立ち並ぶ街路樹。整えられた石畳。道路の両脇には大きな建物が、いくつも。
まさに都会、という様相を見せる街路に、オーケビョルンは感動の声を漏らした。
「ほぉぉ……」
「どうだいオーケビョルン、ここがバーリ公国の経済と文化の中心地、首都エクルンドのアンネリエ通り。通称『
マルクスが少し胸を張りながら彼へと説明する。
エクルンドには何本か、町を代表する大通りがある。それぞれの通りには通称が付けられていて、その呼び名に見合った店や建物が集約されているのだ。
この町に出店する事業者にとって、これら大通り沿いに自分の店を構えることは大変な名誉だ。観光客も多く集まる場所故、当然の帰結だ。
サビーヌも自信ありげに笑いながら、通りの両脇に手を伸ばしつつ歩く。
「博物館、美術館、図書館、コンサートホール、多目的ホール。エクルンド中の芸術、創作に関わる建物が、この通りに集約しています。『銀行通り』と呼ばれるマルタ通りが、銀行や証券取引所の立ち並ぶ『経済の中心地』なら、こちらは『文化の中心地』というわけですね」
「すごいもんじゃのう……」
彼女の説明に感心しながら、オーケビョルンは通りの石畳を踏んで歩いた。
まさに、バーリ公国のあらゆる芸術的要素が、文化的要素が集まっている場所だ。その言葉に偽りはなく、先程から様々な建物が目に飛び込んでくる。
エクルンド絵画美術館、その隣にはブリット=マリー記念図書館、道の反対側には聖ディーサ歌劇ホール。絵画も、文学も、歌劇も、彫刻も。これはまさに、その名に違わない集まりぶりだ。
マルクスが感心しながら、道の遠くを見るように視線を投げる。
「僕も時折エクルンドには来るけれど、毎回すごいなと思うよ、『芸術通り』の充実ぶりには」
「アッシュナー大陸全土の有名な創作者の作品は、ほぼ
サビーヌが声を上げながら指をさしたのは、アンネリエ通りの中でもひときわ大きい、石造りの建物だった。
その上部の尖塔を目にしたオーケビョルンが目を見開く。
「おお、あそこか。
「そうそう。君の著作も何点か、あそこに展示されているよ」
マルクスも頷きながら、その大きな尖塔を見上げた。
大ビャルネ記念文化会館は今の話に上ったように、ドラゴンにまつわる物品、特に
アッシュナー共通語とは言語体系も文字体系も異なる
その学術研究の下支えをしているのが、こうした文化会館である。
「ほう……それはちと興味があるのう。どんな風に扱われているのか、見てみたい」
「行ってみましょうか」
オーケビョルンがにこやかに笑うと、サビーヌが建物の入り口へといざなう。傍まで寄ると、本当に大きな建物だ。入り口もドラゴンの事を思ってか、非常に広く取られている。
「やはり、扱うものが扱うものじゃから、建物も大きいのう」
「ドラゴンの遺物や創作物も展示しているからね、そうもなるさ」
話しながら建物の入り口をくぐると、猫獣人の受付嬢がこちらに気が付いた。耳をピンと立てながら頭を下げる。
「大ビャルネ記念文化会館にようこ……ラ、ラッパラン博士! ようこそ」
「お邪魔しますね、ブリジットさん」
と、彼女がすぐさま、サビーヌの姿を見て背筋を伸ばした。やはりエクルンドでの活動が多い故に、この場所にはよく来るのだろう。
サビーヌに改めて頭を下げた受付嬢のブリジットが、サビーヌの後方に立つ二人の男性に視線を向けて、身を硬直させる。
「はい! あの、そちらのお二方は……まさか……」
冷汗を垂らしながら口を開くブリジット。そのガチガチの様子にくすりと笑うオーケビョルンへと、サビーヌの手が差し出される。
「ええ、『賢竜』オーケビョルン先生と、ルーテンバリのマルクス先生です」
「はじめまして」
「邪魔させてもらうのじゃ」
オーケビョルンとマルクスが、笑顔で頭を下げる。応対したブリジットの喉から、引き
なにしろ、世界でも数少ない
緊張が最高潮に達して言葉に詰まりながら、ブリジットが頭を下げる。
「お、お、お初にお目にかかります! あ、あの、館長をお呼びした方がよろしいでしょうか」
「いや、そこまでせんでもいいよ。わしの展示を見に来ただけじゃから」
上ずった声でそう話す彼女に、オーケビョルンが慌てて手を振る。館長まで呼ばれては大ごとだ。いや、既に十分大ごとになっている気もするが、自分の展示くらいは、ゆっくり見たい。
老爺の言葉に背筋をビシーッと伸ばすブリジット。九十度に腰を曲げて、左手を館内の奥に伸ばした。
「か、かしこまりました……どうぞ心行くまで、お楽しみくださいませ」
彼女の手の差し出す方、会館内の展示ルームに向かって歩き出す三人。その間に、はーっと息を吐いたオーケビョルンが零した。
「すごい緊張しとったのう」
「ブリジットさんは一般職員ですし、新人ですから……まさか展示品を作った
「でも、
苦笑しながら先導するサビーヌに、マルクスが不思議そうに言葉を投げる。
確かに、竜語文化を紹介する文化会館にも、方向性の違いはある。一口に言っても、いろんな内容の展示物があるものだ。そしてこの大ビャルネ記念文化会館は、著作物の展示が有名な場所だ。
オーケビョルン・ド・スヴェドボリだけではない。竜語文学の超大作「
それだけではない、名も失われた古代の
「まあそうですね、大陸でも有数の
マルクスの言葉に頷いたサビーヌが、展示ルームの左手を指し示す。そこには大きな花崗岩の石板に、細かな筆跡で
ガラスケースの中に納まったそれを、サビーヌは見上げながら紹介した。
「オーケビョルン・ド・スヴェドボリ著『星詠みのアンセルム』第一巻第六節の、原語版の石板の写しです」
「星詠みのアンセルム」。竜語文学の名著として名高い、オーケビョルンの著作、その一節。
それを見上げて、途端にがっかりした表情になるオーケビョルンだ。
「えぇ……」
「どうしたんだい、オーケビョルン。そんな落胆した顔をして」
「何か、不満でもありましたか?」
不思議そうにオーケビョルンを振り返るマルクスとサビーヌ。対して、老爺は恥ずかしそうに頬をかきながら、視線を落としつつ口を開いた。
「いや、不満っちゅうほどでもないんじゃが……第六節はあまり深く考えず、勢いのままに書いた部分じゃったから……今こうして見ると、文章が練れてなくて恥ずかしいんじゃよ。それがこんな大きな会館で展示されるなんて……」
第一巻第六節は、主人公エリゼが深夜の山で帰り路を見失った時、たまたま山に住んでいた年若いドラゴン、アンセルムに見つけられて彼の棲み処に招かれた時の場面だ。山肌に開かれた洞窟の入り口、その洞窟の広々とした中の様子、洞窟の中から見た外の風景などが、克明に描写されている。
竜語文学でも、ドラゴンの棲み処について詳しく記述した物語は、それほど多くない。それもあって、こうして展示されるに至ったのだろう。しかしオーケビョルンにとってみれば、まだ未熟だった頃の自分の恥部だ。
「ははは、なるほど。それは確かに恥ずかしいな」
「でも、第六節は文化的側面からの価値も高いんですよ。ドラゴンの居住環境について、かなり詳細にされていますから」
「スヴェドボリ山の風景や、わしの棲み処の洞窟の様子を書いただけなんじゃが……」
オーケビョルンの肩を叩くマルクスに、苦笑を零して肩をすくめるサビーヌ。実際、そこまで深く考えずに書いた文章が華々しく衆目に留まるというのは、文筆家としては恥ずかしかろう。
がっくりと肩を落としたオーケビョルンだったが、展示される石板をしばし見つめると、こくりと頷いた。
「んむ」
「お、何か浮かんだかい?」
「えっ、何か?」
すぐに反応するマルクスに対して、まだ意図を汲み切れていないサビーヌが首を傾げる。彼女には目もくれず、オーケビョルンがマルクスへと手を差し出した。
「ちょっとな。マルクス、お主の手帳と硬筆を貸してくれんか」
「いいよ、はい」
その言葉を受けて、マルクスが自分の手帳と一本の硬筆を差し出す。
それらを受け取ると、老爺はまっさらなページにカリカリと、爪文字を書き記していった。
内容が、アッシュナー共通語に翻訳すると、こうだ。
――人は遺す。人は写し取る。人は飾る。
そうして人は人の、竜の生きた証を後世に伝え、残していく。
竜は残す。竜は造る。竜は貯める。
そうして竜は竜の生きた証を世界に残し、繋げていく。
どちらも残す、どちらも遺す。しかし人の残し方の、なんと細やかなことか――
「こんなもんかの」
最後の一文字まで書き記したオーケビョルンが、手帳をマルクスへと返す。それを受け取り、内容を確認したマルクスの横から、サビーヌも首を突っ込んできた。
「君にしてはすんなり出てきたね。いいんじゃないか」
「はわわ……目の前でオーケビョルン先生の詩作を見るなんて……」
眼鏡を持ち上げるマルクスも、口元を押さえるサビーヌも、詩歌の出来栄えには満足している様子。オーケビョルンも先程「深く考えず、勢いのままに書いた」ことを悔いている割には、今の短い時間での制作にまんざらでもない様子である。
記された内容を翻訳しながら、マルクスがちらとオーケビョルンに目を向ける。
「しかし、随分すらすら書けるようになったじゃないか。スランプはもう、脱したんじゃないかい?」
「えっ、オーケビョルン先生、スランプだったんですか?」
その言葉に、驚きの声を上げるサビーヌ。そうだろう、今こうして目の前でさらさらと一作生み出してみせた人物が、スランプに陥っているなど、普通は思うまい。
とはいえ実際、オーケビョルンはスランプだったのだ。それを脱した可能性は確かにあるが、まだまだ彼の「世界を見たい」という欲求は収まっていない。
「かもしれんがなぁ……まだ、見て回りたいものは多い。旅は続けるぞ、マルクス」
「了解」
老爺の言葉に短く返事を返しながら、マルクスが頷く。
そのまま彼らは竜語文学の展示を見て回り、時にオーケビョルンが恥ずかしがりながら石造りの館内を歩いたのだった。
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