第九話 大都市

 ばさり、ばさりと翼がはためくと共に、オーケビョルンの視界いっぱいに広がるエクルンドの町が、どんどん大きくなってくる。


「いよいよじゃな、マルクス」

「ああ」


 午前の太陽の輝く中、オーケビョルンは満面の笑みでマルクスへと声をかけた。マルクスも目を細めながら、それに応える。

 バーリ公国首都、エクルンド。国内最大の都市が、すぐ目の前にある。

 面積、実に六十平方キロメートル。取り囲む壁は全長二十五キロメートルにも及ぶ。世界でも有数の港湾都市だ。


「エクルンドは、壁の中に離着陸場があるんじゃったか?」

「そう、えーとほら、海沿いの方に見えるかい? 海に張り出している人工島があるだろう」


 エクルンドの外周を取り囲む壁に接近しながらオーケビョルンが問えば、マルクスの指が前方、海を指す。

 オーケビョルンが初めて、間近に接する海だ。その海に張り出すように作られている人工島が、ドラゴンの離着陸に使用されている。

 それを聞いて、目を見開くオーケビョルンだ。それなら海側まで町の上空を突っ切っていく形になる。


「おお、それじゃ海側まで回り込んで着陸する形か」

「うん、そうして、町に入る手続きをしてから入る形になる。少し遠回りになるが、よろしく頼む」


 ぽんぽん、とマルクスが話しかけると、その首をこくりと前後させたオーケビョルンが、町の壁を超える。

 周辺には同じ航路で飛ぶ、何頭ものコンテナバッグを身体に括りつけたドラゴンが見えた。エクルンドは何だかんだ、輸送業に関わるドラゴンも多く飛んでくる。彼らとしてもわざわざ、壁の外を回り込んで飛ぶのは理にかなわないのだろう。

 そんな中で、オーケビョルンは急がずに悠々と、エクルンドの空を舞った。


「あい分かった、気にすることはない」

「よろしく。紹介したい人・・・・・・もいるしね」

「うん?」


 マルクスの言葉に、何やら含みを感じて首を傾げるオーケビョルンだ。

 彼の耳には、地上でこちらを見上げているのだろう、町の人間たちが話す声が聞こえている。


「ドラゴンだ!」

「南から飛んできたぞ、どこからだ!?」

「あの鱗、角の形……まさか、スヴェドボリ山の!?」


 どうやら既に、オーケビョルンが飛んできたことは認識されているらしい。そんなに特徴のある体をしているつもりはないんだがなぁ、と不思議がる彼だ。

 住民のそんな声を聞きながら、彼らはエクルンド市の北岸、海に面した場所につくられた離着陸場を目指した。先着した輸送業のドラゴンが離着陸場の上空でぐるぐる旋回し、着陸する順番を待っている。

 オーケビョルンもそこの輪に加わると、地上から魔法で増幅した声が聞こえてきた。


「ただいま飛来したドラゴンの方、こちらはエクルンド市管轄、ドラゴン離着陸場管理塔です。お名前と出発地、同乗者をご連絡ください」


 管理塔の職員だろう、事務的で淡々とした声がする。

 声のする方に首を向けながら、オーケビョルンも魔法で声を増幅させて届けた。


「スヴェードバリ郡スヴェドボリ山在住、オーケビョルン・ド・スヴェドボリ。同乗者は同郡ルーテンバリ村、マルクス・ミヨーじゃ」


 発した声に、周辺のドラゴン達がざわめく。おそらくは、オーケビョルン・ド・スヴェドボリその竜がここにやってきたこと、アッシュナー共通語をよどみなく話して言葉を届けたこと、その両方に驚いたのだろう。

 管理塔からもしばしの沈黙が流れる。少し時間を置いて、再びオーケビョルンの耳に声が届いた。今度はもっと近く、自分の目の前に飛んできた小さな生き物からだ。


「『賢竜』様ですね、エクルンド市へようこそ。二番の着陸場へお降りください」

「うむ、よろしくのう」


 誘導用の使い魔だろう、管理塔からの声を中継しているらしい。

 その言葉に頷けば、使い魔が地上に向かって降下し始めた。その後を追って、待機の輪の中から抜け出て地上に向かう。

 誘導に従って、大きく「二」の字が書かれた着陸場に降り立てば、そこにはオーケビョルンとマルクスを待っていた職員が、大きくお辞儀をしていた。


「遠路はるばる、エクルンド市までようこそお越しくださいました。同乗者の方は、着陸ロビーでお茶のご用意がございます。お休みになってください」


 オーケビョルンの背中から降りてきたマルクスの荷物を、職員が受け取るべく手を差し出す。その手にトランクを渡すと、マルクスはにこりと微笑んだ。


「ありがとう。それと、僕の待ち人が一人離着陸場に来ているはずなんだ。合流していいかい?」

「はい、ロビーの中でしたら問題ありません。ご竜体りゅうたいは、汚れも傷もございませんが、念のために洗浄してからお入りになりますか?」


 オーケビョルンの竜体に視線を向けながら職員が話すと、彼はふるふると頭を振った。

 今はまだ午前中、昨日に宿泊した村を発ってから二時間ほどしか経過していないのだ。昨夜に身体は清めてきたし、道中で戦闘に巻き込まれたりもしていない。その身体は綺麗なものである。


「いや、先般、郡内の宿に泊まって身体を洗ってきたからな。さして汚れてもおらんし、変化してから町の中に入るつもりじゃから」


 職員にも直接アッシュナー共通語で話せば、相手はにっこり笑って再び一礼した。

 そのまま、マルクスとオーケビョルンの前方、着陸ロビーの入り口を指し示す。


「かしこまりました。どうぞごゆっくり、エクルンド市をお楽しみください。お茶はもう一服、用意してまいります」

「うむ、すまんの」


 返事を返せば、職員はマルクスから預かった荷物を持って、建物の中に消えていった。

 そのあまりにも行き届いたサービスに、オーケビョルンが感嘆の息を漏らす。


「至れり尽くせりじゃなあ」

「君は降りるの初めてだろう、エクルンド市の離着陸場。大陸中でも有数の、管理とサービスが行き届いている離着陸場として有名なんだよ」


 そう話してマルクスも笑った。

 エクルンド市の離着陸場は、人にもドラゴンにも優しい離着陸場として、世界中で名が知られている。今回オーケビョルンは受けなかったが、竜体の洗浄に当たって柔らかな海綿を使うほどの気の使いようなのだ。

 実はこの後供されるお茶も、最高級の茶葉を使って淹れられている。それをオーケビョルンが知るのは、もう少し先だ。


「うむ、全くじゃ……さてと」


 感心しながら、オーケビョルンはすっと目を細める。そして。


「グォォッ!!」


 咆哮を響かせれば、発動するのは変化の魔法。ドラゴンの巨体は姿を消し、灰色の長い髪と草色の角を備え、尾を生やした老人がそこにいる。翼と鉤爪は、今回はしまっていた。


「よし、行くかのう」

「ああ」


 準備が出来たところで、オーケビョルンとマルクスは並んで悠々と歩き出す。

 離着陸場は広い。ドラゴンに対応した施設なのだから当然だが、人の身で歩くとどうしても移動に時間がかかる。

 故に二人が着陸ロビーの入り口に到着する頃には、二人はうっすらと額に汗がにじんでいた。


「ところでマルクスや、待ち人がいるという話じゃったが、誰がいるんじゃ」

「ん、ああ、僕の研究仲間でね、ルーテンバリを発つ時に連絡を入れたんだ。君もよく知っている人物だと思うよ」

「うん……?」


 問いかければ、にこやかに答えるマルクス。その物言いにオーケビョルンが首を傾げると、ロビーの入り口に立ち入るや、二人の元に駆け寄ってくる人物があった。

 人間の女性だ。年はマルクスよりいくらか若い。栗色の髪にはウェーブがかかり、眼鏡をかけている。いかにも、研究者といった風貌だ。


「オーケビョルン先生! マルクス先生! お疲れ様です!」

「やあサビーヌ先生、わざわざ出迎えありがとう」


 マルクスはその女性をサビーヌと読んで、にこやかに応対した。どうやらこの女性、マルクスの知り合いであるらしい。

 キョトンとした顔つきをするオーケビョルンに向き直って、マルクスは彼女を示しながら口を開いた。


「紹介するよ、彼女は竜語ドラゴニーズ文学研究者のサビーヌ・ラッパラン。君を含むドラゴンの著作を文化的側面から研究する第一人者だ」


 紹介された女性――サビーヌが、深々と一礼をする。

 サビーヌ・ラッパラン。その名前はオーケビョルンにも覚えがあった。ぽんと両手を打つ。


「あー、あーあー、知っておる知っておる。わしの『星詠ほしよみのアンセルム』で論文を書いておった研究者じゃろう。読ませてもらったが、なかなか良く出来ておった」

「わ……オーケビョルン先生ご本鱗ほんりんからそんなお言葉をいただけるなんて、光栄です!」


 彼から声をかけられたサビーヌが、感動を露わにして両手を合わせた。

 オーケビョルンが若い頃に著した小説「星詠みのアンセルム」は、竜語文学の名著として知られている作品だ。それを研究テーマに扱っている研究者は、オーケビョルンも何人か存在を知っている。サビーヌはそのうちの一人だった。

 名著なのはいいが、その小説の一節が護符に刻まれてあちこちで扱われているわけで。オーケビョルンとしては複雑な思いのある作品でもあった。

 さて、初めて顔を合わせたのだから紹介しないとならない。オーケビョルンが声を出すより先に、マルクスがサビーヌへと向き直ってオーケビョルンを指し示す。


「サビーヌ先生、こちらが文筆家のオーケビョルン・ド・スヴェドボリ。スヴェドボリ山に住まう老竜にして、竜語魔法の第一人者だ……まぁ、改めて君に紹介するほどでもないと思うけれど」

「もちろんですよ! 私の一番の憧れですもの、オーケビョルン先生は!!」


 マルクスの紹介に、臆面もなくサビーヌは言った。

 その言葉に、驚きに目を見張るオーケビョルンだ。憧れている、と面と向かって言われるのは、やはりちょっと恥ずかしい。


「おお……それは、何と言うか、おもはゆいのう」

「あ、そうそうサビーヌ先生、ここに来るまでの道中で、オーケビョルンが何作か詩歌を残しているんだ。あとで共有しよう」

「えっ、なんですそれ、ご褒美ですか!?」


 ロビーの着陸者用休憩室に向かいながらマルクスが言えば、その後ろについたサビーヌが驚愕の声を上げる。

 竜語に明るい研究者二人がやいのやいの話すのを聞きながら、オーケビョルンは悠然と離着陸場のロビーの中を歩くのだった。

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