高校二年の春
家の前にて、お腹を空かせた聖女様がいた
「あれ……」
もうすっかり太陽が沈んで人工の光が街を照らす時間に、俺、「佐久間翔」は学校から家に帰宅する際、一人の少女が自分が高一から住んでいるボロアパートの玄関前でうずくまっているのを見かける。徐々に近づいてみると、その姿にはどうも見覚えがあった。
高校生にしては小柄な体格ではあるものの、精巧に作られたかのような美しい長い黒髪、荒れることを知らない綺麗な肌、そしてパッチリと開いた可愛らしい目に整った顔立ち。
ああそうだ、思い出した。こいつは俺の通う高校の特進クラスにいる「九条すみか」通称聖女様だ。
もちろんこの無神論者ばかりの日本において本物の聖女様がいるわけがない。その容姿に加えて日頃の人々に対しての優しさ溢れる対応、そして特進クラスの中でもトップを維持する優秀さを比喩したものが聖女様というわけだ。
でもなんでそんな彼女がこのボロアパートに? ここは彼女と一番似つかわしくないと言っても過言ではないと思うんだが……。
「……あ、あのー。どうされましたか?」
本来であればあんまり関わりたくはない。だけど自分の住んでいる部屋の隣でうずくまっている人を放っておくのは人として終わっている。なので恐る恐る俺は様子を伺う。
「……か、鍵を……学校に忘れて」
「鍵を? 合鍵ですか?」
「い、いや……ここに住んでて……」
「……まじ?」
俺の予想では友達、もしくは彼氏と会うためにここに来たと思っていたんだが……まさかここに住んでいるとは。でも俺の隣っていつも料理に失敗して悪臭を漂わせてくるイメージしかないんだけど
「あれ、もしかして佐久間君ですか? 佐久間君もここに住んでたのですか?」
「そ、そうだけど……」
え、なんで俺の名前を知ってるの?……ああ、一年前の特進と普通科数少ない合同授業の選択授業である家庭科で班が一緒だったか。でもそれだけの関わりでよく名前を覚えているな。いや、そういう心遣いも聖女様と呼ばれる所以なんだろう。
「いつから住んでいたんですか?」
「高一の頃だから……1年前かな」
「え、私と一緒!?」
「はあ!?」
信じがたい事実だ。だがそうなると聖女様は料理が下手ということになるんだけど……。家庭科の授業は聖女様の取り巻きのせいでほとんど俺が作業してたから真偽はわからないな……。
「そ、そんな偶然があるなんて……」
「そうですね。もっと早く気づいてたらもっとお話できたのに」
聖女様は俺の心臓がドクンとするぐらい、可愛らしくニコニコと微笑みながら返答する。彼女が地面にうずくまっていることすら忘れさせるぐらい、完璧に整った笑顔を。もしかしたら今うずくまっていることを誤魔化しているのかもしれない。
ただ、それに踏み込ませないのが聖女様だ。
「今日はもう友達の家に泊まるしかありませんね。それじゃあ佐久間く……」
そして何事もなく聖女様が立ち上がり、その場から立ち去ろうとした時、ある大きな音が場に響いていく。それはぐーっと体が食を求める音で……
「……っ!!!」
聖女様のお腹から聞こえてきた。さらに、その後にまた聖女様はその場にうずくまってしまう。え、もしかしてお腹が空いて力尽きていた感じなのか……?
「……ご飯、作ろうか?」
「え、え、え? い、いや大丈夫ですよ! そ、それに今の音はスマホの音ですから……」
さっきまで完璧に取り繕っていた表情は焦りを見せ、無理がある言い訳を言いながらなおそれでもなんとかしようと聖女様はするが……非情にも、もう一度聖女様のお腹はぐーっと空腹を訴える。よほどお腹が空いているんだろう。
「俺の実家農家をやってるから仕送りはいつも食材ばっかりで、ちょうど余りそうだったんだよ。だからお金の心配とか大丈夫だし」
「い。いや……でも……う、うう」
聖女様は断ろうとするものの鳴り続けるお腹、そして本人も空腹に耐えられなくなったのか、りんごのように真っ赤になった顔をこちらに見せながらこくりと頷いた。
幸いなことに昨日ふと部屋の掃除をしていたため、人様に見せても問題ない状態。とりあえず俺はいつもご飯を食べるちゃぶ台のあたりに座布団を敷いて、聖女様を座らせる。
「嫌いなものとかアレルギーはある?」
「い、いやないです。な、なんでも食べられます」
「だったら生姜焼きを作るわ。ちょうど白米もあるし」
「しょ、生姜焼き……!」
生姜焼きが好物なのだろうか。聖女様は真っ赤な顔をしつつも嬉しそうに笑顔を見せる。ただ、さっきの整えられた笑顔とは違って、これは自然と出たように感じられた。
「さて……」
冷蔵庫からまずは豚肉を取り出し、そして調味料などエトセトラを用意する。聖女様のあの様子からしてみるに相当お腹が空いているため、じっくり時間をかけるのはやめておこう。
ただ手を抜く気はない。肉に小麦粉をつけて塩をパラパラとかけて下味をつけておき、タレを作るべく醤油にみりんと砂糖、料理酒を混ぜ合わせ、生姜をスリスリと擦っていく。どれかを極端に入れすぎない限りは問題ない。
そして食感を多様に味わえるよう、玉ねぎをシャキシャキと切り刻んでいく。肉だけだと飽きちゃうからな。
それが済んだらまずは味付けしておいた肉をジュージューと焼いていき、それが済んだら玉ねぎをあらかじめ作っておいたタレを混ぜ合わせていく。
そして玉ねぎがちょうどいい具合に焼けたら肉を混ぜ合わせ、香ばしい匂いとともに、肉についていた小麦粉が溶けてとろみが生み出される。
「お、美味しそう……」
「そうだろ? ……ってええ!? せ、聖女様!?」
我慢ができなかったのだろうか。聖女様は恥じらう様子もなく、俺との距離感がゼロという場所にいては目を輝かして生姜焼きを見つめる。
「もうすぐできるから大人しく待っててほしい……」
「……あ、ご、ごめんなさい!」
ここまで楽しみにされるとなんだか緊張するな。なぜかこんなボロアパートに住んでいるとはいえ、聖女様は高級料理に精通していてもおかしくない。お口に合わなかったらどうしよう……。
「はい、お待ちどうさま」
そして最後の仕上げを済ませ、盛り付けをして俺はちゃぶ台に生姜焼きと白米を並べる。うん、実に男寄りの料理になってしまったな。もう少し女性に合わせた感じにするべきだった。
「い、いい匂い! 絶妙に肉とタレが絡み合ってて匂いだけでもう私……」
「……」
いや、その心配は特にしなくてよさそう。あわやヨダレを出してしまうのではないかというぐらい聖女様はこの生姜焼きの匂いを堪能している。……なんか、いつも学校で清純としているよりもこっちの方が人間味があるな。
「そ、それじゃあいただいても……いいですか?」
「ああ食べよう。いただきます」
「いただきます!」
食事の基本である手を合わせていただきますを済ませ、俺たちは食にありつく。ウンウン、醤油ベースのタレがうまいこと肉に絡まって、なおかつ玉ねぎが食感に多様性をもたらしている。急いで作ったけど、なんとかうまくできたな。
「……!!!」
それに、聖女様のお口にもあったみたいだ。見てるこっちまで幸せな気持ちにさせてくれるぐらい満面の笑顔、とろけんばかりの笑顔を見せては幸せそうに生姜焼きと白米をパクパクと食べている。
こんなに幸せそうに食べてもらえるなんて、料理を作った側としてはこれ以上ない喜びだ。
「おお、もう食べきったのか」
そして聖女様は俺が予想していたよりも早く完食する。見た目は小柄なのに、胃袋は強いらしい。まあ強くなければあれほど食べ物を欲する音を出したりはしないか。
「す、すんごく美味しかったです! やっぱり佐久間くんの作る料理は……」
「え?」
俺が聖女様にご飯を作ったのは今日が初めてだと思うが……。どういうことか聞こうと思うも、もうすでに時遅し。
「……寝てやがる」
聖女様はそのまま座布団に正座したまま眠っていた。天使に祝福でもされたかのように、幸せなアホヅラを見せながら。どうやら疲れもたまっていたらしい。
「このまま起こすのも悪いか……」
俺はとりあえずいつも使っている布団を持ってきて、聖女様をそこに寝かす。そして俺は食事の片付けを済ませ、コートを毛布がわりにして床で寝ることにした。
そういういつもと違う今日が、聖女様……九条すみかと関わり合う、きっかけとなった。
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