第十二章 リベラルアメリカ人支局長の〝バルジの戦い〟(アメリカ人だけど)

第六十九話【〝アジア諸国〟攻勢】

「アジア諸国の人々が傷ついテイル!」遂にリベラルアメリカ人支局長の口がこれを言った。


 しかし言いたいことの十分の一もこのことばには込もってはいない。それもこれも全て天狗騨記者のせいだった。

 リベラルアメリカ人支局長としては心底から叫びたかった! 思う存分叫んでそうして日本人を屈服させたかった!


 東京裁判について『歴史の審判は明白だ!』と啖呵を切りたかった!


 『ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判と同様に勝者の裁きではない!』と断言したかった!


 そうして道徳的優位を明瞭にした上で〝A級戦犯〟を糾弾し、それを祀る靖國神社攻撃に移りたかった!


『靖國神社は太平洋に戦争をもたらした軍国主義の象徴!』と言いたかった!


『日本の政府当局者たちの継続的な靖國参拝は問題だ!』とも言いたかった!


『首相以外の閣僚の靖國参拝も問題だ!』こうやりたかった……日本人相手には完璧にチートの筈だった。どこまでも無双できる筈だった————

 しかしこの現実世界には〝チート〟も〝無双〟も無かったのである。



 リベラルアメリカ人支局長は思う。

(テングダの奴は俺が『勝者の裁きではない』と言うよりも前に、本当にトルーマンやスターリンといった勝者達を〝人道に対する罪〟で裁こうとしてきやがった!)


(間違いなく『勝者を裁いてみるとするか』と言ってきやがった!)


(もし俺が『勝者の裁きではない』などと口から音に出して言っていたら、第二次大戦の勝者を裁く意見の賛同者と見なされアメリカ人がアメリカ人を戦争犯罪者だと言う羽目に陥っていた!)


(まったく信じられないことをする! 日本人とはもっとアメリカ人に従順な人間の筈だろう!)リベラルアメリカ人支局長は驚愕する。


 そうして危険を避けつつせいぜい言えたことが『アジア諸国の人々が傷ついテイル!』だけだった————



 しかしそうした工夫と駆け引きを施してさえも、天狗騨記者は露骨に嫌な顔をしてみせ「アジア諸国ですか」と口に出した。


「まッ、〝まだアジア諸国〟とはどういう意味ダッ⁉ 歴史の審判は明白ダ。ナチスドイツ、ファシストのイタリア、軍国主義の日本が侵略戦争をオコナッタ! 日本はアジア諸国を侵略しタ! これを否定するのは歴史修正主義ダ!」


 これはアメリカ人のもう抜きがたい癖と言えた。ナチスと日本をくっつけて、しかし既に天狗騨にそこを衝かれていたので〝ファシストイタリー〟を添え物にしつつ中和を試み、そして〝歴史修正主義〟というキーワードを使い、その上大定番の〝アジア諸国〟をも加えた。

 なのに天狗騨記者にはまったく効いていないようだった。


「本当に良心があるかどうかいまひとつ微妙ですが、それについてはウチ(ASH新聞)の紙面をよくよく読んで研究しておいた方がいいですよ」と天狗騨は言った。


「どういう意味ダッ⁉」


「ASH新聞社説を読んでいれば解りますよ。今は『アジア諸国』ではなく『』と表記してあるんです。実に微妙な変化ですね」


「そこハ『侵略の被害を受けたアジアの国々』と言うべきダロウ!」


「ハ? あなたには歴史の知識があるんですか?」天狗騨は露骨にバカにしたような顔をし、そしてそういう声色で言った。本人にとっては無意識ではあるが当然そういうものは相手には伝わる。

「歴史修正主義ダッ!」と激高した調子でリベラルアメリカ人支局長は応じた。しかしだんだんとこれが〝バカの一つ覚え〟になってきたという自覚を彼は持つべきだった。


「またまたそれですか。ワンパターンですね」と天狗騨は無造作に言ってからさらに続けた。「いいですか、1941年12月に日本は対米戦争を始めるわけですが、その当時に『国』としてアジアに存在できていたのは日本以外では『中華民国』と『タイ王国』の二ヶ国だけなんですよ。このうち日本が戦争をしていたのは『中華民国』のみです。『タイ王国』と『日本』は戦争をしていないのだから『アジアが被害を受けた』と表現するのは間違いなんです。『諸国』とは複数形で単数形じゃあありません」


 そしてさらに天狗騨は追撃をかました。


「このように『日本がした』というのが間違っている歴史である以上、修正するのが当然ですね」


「ウッ!」リベラルアメリカ人支局長は詰まった。完全なる〝意趣返しカウンター〟を決められた。『歴史修正主義』という、ある種様式美とさえなった観のある攻撃は天狗騨にはまるで通じない戦術であると悟らざるを得なくなった。


「だから最近のASH新聞では社説で『』と書くんです。まあ個人的にはだと思いますがね。なにしろ『ではその国々の名は?』と訊かれたら途端に立ち往生するのは目に見えていますから」


「デハASH新聞社員であるお前ハ日本が侵略シタ国々の名を言えないノカッ⁉」


「私は言えますが」

 社会部フロアがざわめく。


「ナラ言ってミロ!」


「それは『第二次大戦で?』ということですね?」天狗騨は訊いた。


「当然ダッ!」


「『中華民国』『連合王国ことイギリス』『オランダ王国』そしてあなたの国『アメリカ合衆国』を侵略しましたね」


 確かにASH新聞社説に新たに導入された『』という表現には矛盾は無く正確だと言えた。しかし——

「アメリカを侵略ダト⁉」既にリベラルアメリカ人支局長の顔は真っ赤になっていた。


 『アメリカ合衆国が日本から侵略を受けた!』それはアメリカ人が口にするにしてはあまりに屈辱的で卑屈な口上だった。普通〝侵略を受ける〟というのは弱い国が強い国から攻撃を受けたときに〝侵略〟という表現を使用するものである。アメリカ合衆国が大日本帝国以下の国だと、そんなことを認めることなどリベラルアメリカ人と言えどもできなかった。

 しかし天狗騨はなお容赦なく次を口にする。


「——しかし具体的に国名を挙げると、いわゆる〝ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)〟の効果がゼロとなり日本人に罪悪感を植え付けることが著しく困難になります。それどころか却って日本人視点の第二次大戦の意義を広報することになりますね。なにしろなんですから『』という奇妙な価値観が成り立つことになります」


 『日本が侵略したのは欧米の植民地』。確かに天狗騨記者は〝日本の侵略〟を否定はしなかったが、侵略したのは『欧米の植民地』だと言い放った。だがこれはファクトである。その当時東南アジアは『タイ王国』を例外として他は全部欧米の植民地である。その上で〝日本の侵略〟を認めている以上、リベラルアメリカ人支局長としては反撃のしようが無い。それどころかマズイ方向に話しが行きつつあると感じるよりほかない。しかし彼の中にはとっさに〝正当化の論理〟が浮かばない。むろん天狗騨は容赦なく喋り続ける。


「——具体的には、です、日本が侵略しなければ例えばインドネシア人の皆さんはそのまま奴隷状態が続いていたわけで、逆にオランダ人の皆さんにとっては幸せな状態だったことでしょう。問題はこの状態を肯定すべきか?、否定すべきか?、です。この状態を壊したのが日本軍なわけですが、仮にです、日本がオランダに謝罪するとその意味は『インドネシア人はオランダ人の奴隷のままでいるべきだった』となる。オランダ人に謝罪することが『インドネシア人の人権などどうなっても良い』と言っているのと同じになります。したがって迂闊にオランダ人に謝れなくなるんです。アメリカ人は戦後日本人に罪悪感を植え付ける政策を採りましたがこんなことでは日本人の心に罪悪感を抱かせることは不可能です。むろんこれはイギリスにおけるマレーシアやビルマ、アメリカにおけるフィリピンについても同じ事が言えます。我々は東南アジアの人々の人権を考えた場合、簡単に欧米人に謝るわけにはいかないわけです」


 アジアの人々を傷つけた者全ての具体名を天狗騨は問うたのだった。

 リベラルアメリカ人支局長の『〝アジア諸国〟攻勢』はここに頓挫した。しかし天狗騨にはなんらの充実感も勝利感も無い。

(この話しは不毛であり敵の攻撃パターンがいつも同じである)

 有り体に言って天狗騨はとっととこのアメリカ人との論争を終わらせたかったのである。

(疲れるだけで実りがまるで無い)


 しかしこの時突然リベラルアメリカ人支局長が高笑いをし始めた。一瞬(頭が狂ったか?)と思った天狗騨だったが、どうやら今ごろになってリベラルアメリカ人支局長が何かを思いついたようだった。


 しかし、

(どうせ低レベルなんだろう)と天狗騨は思うしかない。これだけ話し込めば相手の程度はもう解る。彼はアメリカ人の知性を疑い始めていた。


(これを一般化すべきか、それとも目の前の人間が異様なキャラクターなだけか……)


 天狗騨にはどうも前者のような気がしてしかたがなかった。

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