第六十一話【昭和天皇に〝戦争責任〟はアルカ? 答えろテングダ!(天狗騨記者、ポスト・トゥールースに悩まされる)】

(トップにいることをもって犯罪者だと断定するのは無理があるとしても、トップにいることをもって責任があることを容易には否定できまい)リベラルアメリカ人支局長はそう考えた。


「区別がどうだとか、はぐらかスナ! 今私が口にした問いそれに対する回答になってイナイ! 昭和天皇が戦争終結を早く決断していレバ、沖縄戦も広島・長崎の原爆も無かっタ。それともその責任すら昭和天皇には無いと、お前は言うノカ?」


 アメリカ人が日本人に対して言うにしてはかなり厚かましいもの言いだった。

 アメリカ軍が沖縄に攻め込まなければ沖縄戦は無かったし、アメリカ軍が核兵器を使わなかったら広島・長崎で多くの人々が死なずに済んだのである。『全て日本人が悪い!』。正にアメリカ人無謬論とでも言うべき極論だった。

 にもかかわらずリベラルアメリカ人支局長がこれを口にできたのは、右翼に撃たれたかの長崎市長が言ったことをそのまま口にしただけという、そういう逃げ口上が用意されていたからであった。

 もし何かを言われることがあっても『元々日本人が言い出したことを思い出して言ってみただけだ』、と反論すればいいのである。


「もしかして昭和天皇が軍部に命令すれば軍部は戦争をやめていたはずだと、そう言いたいわけですか?」天狗騨記者が逆に問い返した。リベラルアメリカ人支局長は多少イライラしながらも、

「そうダ」と短く応じた。


(〝論〟としてはそう珍しいものではない——)天狗騨は思った。

 しかしその内心は(連合国がそれほどお優しい連中だと思っているのか?)であった。


 1945年8月10日、昭和天皇は時の内閣に意見を求められ、そして意見を表明した。同8月14日、再び同様の意見表明。内閣はその意向を受け政策を閣議決定した。ポツダム宣言受諾、降伏である。そして戦争は終結した。発表は同8月15日正午。

 しかし連合国の中に1945年8月15日を過ぎても日本との戦争をやめない国があった。ソビエト社会主義共和国連邦である。


 そう、日本が戦争をやめてものである。千島列島、及び南樺太にソ連軍が侵攻を始めたのは日本が降伏の意志を内外に示した昭和天皇の玉音放送のあった日、即ち1945年8月15日よりも後のことである。千島列島最北端占守島には同年8月18日(終戦から3日後)、南樺太・真岡には同年8月20日(終戦から5日後)にソ連軍が攻撃を仕掛けてきた。これが史実である。史実で証明されてしまっている以上『天皇が命令して戦争を早く終わらせていれば沖縄戦も原爆も無かった』というのは————

(空想に過ぎないだろう)天狗騨記者はこう考えていた。(現状から考えてアメリカが沖縄を欲しがらないとは言えないし、結局ウラン型とプルトニウム型の両方の核爆弾を日本に対し使用したのがアメリカだ。そんな国が核を使う前の終戦に応じただろうか?——)リベラルアメリカ人支局長のもの言いは連合国無謬論でもあった。(同じ空想なら俺の空想の方に説得力がないか?)

 しかしここで1945年8月15日以後のソ連軍侵攻の話をすれば『昭和天皇の戦争責任』から話を逸らそうとしたと思われるのがオチである。



「その持てる武力を背景に政治権力を行使するような連中は天皇の言うことなどききませんよ」これが天狗騨の答えだった。


 一瞬でリベラルアメリカ人支局長の顔が歪んだ。

「昭和天皇には戦争責任は無いと言うノカッ⁉」


「天皇がひと言命令すれば軍隊は言うことをきくはずだ、そういう認識なら『』と断言できますね」


 ASH新聞社会部フロアはざわめく。『昭和天皇に戦争責任がある』と公言するのにある程度の勇気は必要だと誰しもこの場にいる人間はそう考えている。しかしながら『責任は無い』とこうまで公言する人間もまた希なのである。


「そんな筈は無イッ!」リベラルアメリカ人支局長は顔を真っ赤にしながら大声を出した。

 しかし天狗騨はあっさりと返した。

「事実に基づかない主張は必然的に間違いになりますよ」


「違ウッ! 日本人は天皇に忠実なハズダッ!」前にも増して声が大きくなる。


「日本の歴代の軍事政権は、天皇軍を倒してしまったり、天皇が言うことをきかないからと別の都合の良い天皇に取り替えたり、一方的に法律を造って天皇に『これを守るよう』押しつけたり、こんなものですよ。天皇の命令に従う軍事政権などあり得ません」天狗騨は言った。彼の言っている〝歴代の軍事政権〟とは各々幕府の話である。


 『天皇軍を倒した』とは鎌倉幕府の〝承久の乱〟のことである。(厳密には上皇軍であるが)

 『別の天皇に取り替えた』とは足利幕府が擁立した〝北朝の天皇〟のことである。

 『一方的に法律を造り天皇に押しつけた』とは江戸幕府の〝禁中並公家諸法度〟のことである。


 しかしリベラルアメリカ人支局長がまたも大声で口にしたセリフは——

「そんな筈は無イッ! 『天皇陛下万歳!』と言って死んでいったハズダッ!」、だった。三連続の大否定だった。


 リベラルアメリカ人支局長に限らずアメリカ人の頭の中には強烈に〝カミカゼ・アタック〟の印象が擦り込まれてしまっていて、『日本人は天皇のために自殺すらできるのだから、命令さえ出していたら日本人は戦争をやめていたはずだ』、と心底から思い込んでいるのである。


 一方、天狗騨記者であるが、彼が口にした歴代幕府、要するに歴代軍事政権の天皇に対する扱いは全て歴史上のファクトであるのだが、問題は〝その後〟であると、嫌でもそう認識するほかなくなっていた。

 その後とはむろん明治政府より後になるのだが、明治維新とて時の軍事政権(江戸幕府)を別の軍事勢力(薩摩藩&長州藩)が倒しただけで、そこに天皇の意志など介在していないのは日本人としては常識である。しかしめんどくさいことに『討幕の密勅』なるものがあるのもまた事実。これは巷間岩倉具視辺りが発給した偽書と云われているが、形式上天皇の命令に薩摩藩と長州藩が従ったことになる。


(日本史はめんどうだな……)天狗騨は思うしかない。


 さらに幕末陰謀論とでも言うべき異説すらある。

 まずは史実からであるが、江戸幕府は結局〝錦の御旗(天皇家の家紋の旗)〟に倒されてしまったようなものだが、幕末時の江戸幕府は明治天皇の先代、孝明天皇とは良好な関係を築いていた。ところがその孝明天皇が急死し、まだ十代だった明治天皇が天皇になった。その結果が『討幕の密勅』である。もしや孝明天皇は何者かに暗殺されたのでは……というのが件の異説である。


 確実に言えることは『我々は天皇のために働いている!』と江戸幕府側も薩摩・長州側も異口同音に同じ事を言っていたということである。そしてこの後に続くことばはこうである。『天皇のために働いている我らの敵は許されざる悪党だ!』。これをひと言で表現できる便利な単語もある。それが『朝敵』。

 同じ事を昭和の軍部も言っていた。『我々は天皇のために働いている!』と。これもひと言で表現できる便利な単語がある。それが『皇軍』。

 これを言われると言われた側は困るのである。ただし、日本人なら……ばの話しだが。


 いろんな者が『天皇のために』を口にすると一見まるで天皇がいろんな者に命令しているかのように見えるが、実際のところ〝天皇の命令〟はあっても、実際のところその命令を天皇自身が造っていない。これが実相であった。たぶん一番最初にこれを大がかりに始め、日本に定着させたのは豊臣秀吉である。



(しかしこれは言っても外国人には通じそうもないぞ……)天狗騨は思うしかない。言えば即〝見苦しい言い訳〟と断定されるのは確実と、近未来が容易に予見できた。

 なにしろリベラルアメリカ人支局長は遂に『天皇陛下万歳!』を持ち出してきた。

(アメリカ人はサイパン島の一部を〝バンザイ・クリフ〟とか、名付けてるし、な——)


 〝天皇の命令なら平然と命を捨てる日本人〟。


 『天皇陛下万歳!』という超有名フレーズから来るアメリカ人の先入観は実にカチコチに固そうで、天狗騨には崩せる気は全くしなかった。


(これが噂に聞く〝信じたいものしか信じない〟というポスト・トゥールースというやつか……)


 論理が必ずしも通じないの時代のただ中で、天狗騨記者は悩まされている。

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