第八章 頂上対決⁉ 天狗騨記者、第二次世界大戦の歴史認識で日米決戦する

第四十四話【『首相の靖國参拝』と『信教の自由』】

「そもそも私ハ歴史問題を解決、そしてアジアの安定と平和に寄与するデアロウ日本の国立追悼施設を否定スル不埒な記者を詰問スルタメに来たノダ!」

 このリベラルアメリカ人支局長の〝宣言〟に天狗騨記者は皮肉で応じた。

「では『人質司法』というネーム・コーリングはなんのために持ち出してきたのでしょうか?」


(おのれっ!)しかし、(こんなことなら『人質司法』など、くだらないことを持ち出さねば良かった)と思ってしまったのも事実であった。

 リベラルアメリカ人支局長の中に憎悪の炎が燃え広がる。口撃が始まる!


「ウォー・シュラインにはA級戦犯が合祀されテイル! そこヲ首相が参拝スルのハ問題ダトハ考えナイつもリカ?」


「それはASH新聞としての考えを訊いているのですか? それとも私に『考えを述べてみろ』と言っているのですか?」


「もちロン、お前の考えダッ!」


 天狗騨記者は傍らの左沢政治部長に訊いた。

「左沢さん、今から私の言うことは『ASH新聞の価値観とは考えない』ということのようです」

「今さらなんだ⁉ MT学園の件もKK学園の件も否定したのがお前だ! お前が社の方針に従順だったことがあるのかっ⁉」

 むしろ左沢としては今からトンデモないことを天狗騨が言い放つであろうことは火を見るより明らかだった。だから言うことはこうなった。

「お前の言うことはあくまでお前個人の考えでこのASH新聞とはなんの関係も無い!」

 左沢のそのことばを聞いて天狗騨記者がにたりと笑みを浮かべた。

「安心しました。それでこそ心置きなく暴れられるというものです」


(お前はこれだけ好き放題に放言しておいてまだ暴れてないつもりだったのか⁉)とどやしつけたくなる左沢だったが、もうこれは会社(ASH新聞社)とはなんの関係も無いと言質をとったからにはもう後は野となれ山となれだった。


 天狗騨はリベラルアメリカ人支局長の方へ、刺すような視線を戻した。


「靖國問題の論点はたったひとつです。それは日本国憲法が定める『信教の自由』を侵害しているか否かです」


(ひとつだけ?)少し引っかかるものがあったリベラルアメリカ人支局長だったが、何かを言うたびに天狗騨の逆襲を受けているため、ここは相手に喋らせておいてボロを出させた方が良いと、そういう結論に至った。彼にはこの問題ならボロを出すに違いないという確信がある。


「デ、お前の答エはなんダ⁉」リベラルアメリカ人支局長は訊いた。


「日本の首相の靖國参拝が『信教の自由』を侵害しているとは言えません!」

 なんとこの天狗騨の言はASH新聞の公式見解を真っ向から否定するものだった。社会部フロアにざわざわとざわめきが広がっていく。


「なぜそう言エルっ⁉ それは右翼の言い分ではナイカっ⁉」リベラルアメリカ人支局長は正にASH新聞の総論をも代弁したと言えた。だが天狗騨は平然とした態度でその問いに応じた。


「そう言える理由はふたつ。ひとつは日本の首相に靖國参拝の義務は法的に無いこと。実際靖國神社に行かない首相の方が多いくらいです。つまり義務が課せられていないということは、首相が参拝を第三者に強要することはできません。よって第三者に対する『信教の自由』の侵害はありません!」


「そんなバカナ言いグサガあるカ! 首相の参拝で傷つく者がいるノダ!」


「むしろ首相の靖國参拝に抗議し『行くのをやめるべき』と言っている側の人間こそが他人の『信教の自由』を侵害しています。靖國神社が宗教施設である以上はそれは他人の信じる宗教を排撃するという意味にしかなりません。そう、これがもうひとつの理由です。リベラル主義者たる者は『他人の信じる宗教を排撃する』考えこそ排さなければならない」


「なにガ〝排ス〟ダッ! それが多様な考エの否定だと言うノダッ!」


「固有名詞を別なものに変えてみればその言い分の異常性はすぐに解ります。『お前の信じているキリスト教という宗教が気にくわない』だとか『お前の信じているイスラム教という宗教が気にくわない』だとかと同義だからです。確かに、異教徒の目線で見たとき気にくわない宗教というものがあるのは否定できません。あなたもそういう一人でしょう。しかしながら首相は公人です。だから首相が靖國神社を参拝し、それを批判するところまではいいでしょうと、これを認められるのがリベラルというものです。だが『行ってはならない!』とまで言ってしまうのは完全に一線を越えています。リベラル主義の観点からそれは厳に慎まないといけない」


「なぜ批判に歯止めをカケル⁉ 首相が公人だからコソ、『行くな!』とイウ批判モ日本人は受け止めるベキダッ!」


「簡単なことです。『政治家がどこそこの宗教施設に行くのが気にくわない』という主張に先ほどのように別の固有名詞を当てはめるのです。そうすればすぐ解ります。『アメリカの政治家が教会へ行ってはならない』だとか『サウジアラビアの政治家がモスクへ行ってはならない』だとかを、もしも異教徒が公言したらどうなります? 『公人だから』などという理由は通じず、きっと血の雨が降ることでしょう。しかし私はあくまでリベラル主義に立脚し、『首相が靖國神社を参拝し、それを批判するところまではいいでしょう』とまで言っています。あなた方は、異教徒の口が言うこうした批判の存在を、私のように許容できますか? 己のことを棚に上げる人間に、他者を非難する資格があるとは私には到底思えません。日本人が温和しく、何を言っても危害が降りかかってこなさそうだから何でも言えるというのはイジメの構造と同じです。人には何度も言っていますがイジメをする者は悪。私はこうした悪を撲滅し社会正義実現のために社会部の記者になったんですよ!」


「キ、詭弁ダッ! ヤスクニ・プロブレムの論点が『信教の自由』しか存在しないナドあり得ナイ! A級戦犯はどうナッタノダ⁉」



 そう、アメリカ人にとっては靖國問題とは日本国内の憲法上の『信教の自由』の問題ではあり得なかったのである。これはリベラルも保守も関係が無い。



(これは戦争犯罪、歴史認識の問題なのだ!)

 と、ここでリベラルアメリカ人支局長にひとつの閃きが来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る