第四十二話【ミランダ警告】

「NS自動車の会長逮捕、あの事件ハ国際基準に照らシテ日本が異常であるコトを世界に広く知らシメタノダ。グローバルスタンダードに適合スル刑事司法に見直すきっかけにスベキダ! あれコソが『人質司法』ダッタ。オット、そんなネガティブな名詞を貼り付けると『ネーム・コーリング』にナルンだったカナ?」


 しかし天狗騨はこのリベラルアメリカ人支局長の挑発を真正面から受け取った。


「ええ、正しく『ネーム・コーリング』ですね」そう天狗騨は不思議な余裕をかましてみせた。


(なにぃ⁉)リベラルアメリカ人支局長の顔に僅かに困惑の色が浮かんだ。天狗騨が口を開く。


「被疑者の家族を拘束し『コイツがどうなってもいいのか? だがお前が自白したらコイツは解放する』とやってたなら間違いなく『人質司法』です。『人質』とは落ち度の無い人間を指すことばですからね。しかし被疑者本人を『人質』と表現するのはどうでしょうか? それはCG氏に落ち度が無いと最初から予断を持っている人間の表現です。最初から日本人の側を加害者と認定しているからこそ『人質司法』などというフレーズが出てきたのではないでしょうか。語るに落ちるとはこのことです」


 『人質司法』という造語の分析を受けたリベラルアメリカ人支局長が吠える!

「屁理屈を抜かスナっ! 人権問題を甘く見るナヨ、日本人!」

 人間とは図星を突かれると誰しも激高するものである。しかし天狗騨の側は声を荒げず。


「ならばあなたに問いましょう。なぜ一連の報道で『ミランダ警告』と言わなかったのですか?」天狗騨は訊いた。


「ミ、らんダ?」

(なぜコイツが Miranda warningのことを⁉)



 リベラルアメリカ人支局長が答えないと見切った天狗騨記者がさらに口を開いた。


「アメリカ合衆国では被疑者を取り調べる前にあらかじめ被疑者に対し『あなたにはかくの如くの権利がある』と〝四項目の告知〟をしなければならないのだそうですね。この告知をしないで被疑者の供述を得たとしても裁判では証拠として採用されないと、『ミランダ警告』とはこういう法手続だとのこと」


「……」


「——取り調べ前に被疑者に告知されるその四項目とはこうです。

 ひとつ、『あなたには黙秘権があります』、

 ひとつ、『あなたの供述は法廷で不利な証拠として用いられることがあります』

 ひとつ、『あなたには弁護士の立ち会いを求める権利があります』

 ひとつ、『あなたに弁護士に依頼する経済力が無い場合、あなたには公選弁護人を付けてもらう権利があります』

 あなた方が日本を舌鋒鋭く非難していた『取り調べ段階での弁護士立ち会い云々』は後ろのふたつ。ミランダ警告の中に含まれています」


「——ならばアメリカ人であるあなたはこう言うべきでしょう。『アメリカには〝ミランダ警告〟という被疑者の人権を護るしくみがある! 日本は見習え!』と!」


「——だがアメリカのメディアは自分達をポジティブに語れることばをどういうわけか放棄し、『人質司法』などという造語を発明し、日本人という他者の攻撃ばかりに没頭していた——」


「——これはなぜですか? 答えてください」



 リベラルアメリカ人支局長は未だ沈黙している。


「言えませんか? 答えは簡単です。CG氏が逮捕された時あなた方が報道を通して言っていたことは実はほとんど建前だったからです。アメリカでは『取り調べ段階での弁護士の立ち会いを求める権利』は形骸化しているそうですね。もしあの時『ミランダ警告』ということばを使って報道していたら空文であることが簡単に露見していたことでしょうから」天狗騨は無表情で宣告した。





 『ミランダ警告』の『ミランダ』とは人の名前。誘拐・強姦事件の被疑者である。

 事件の起こった場所はアメリカ合衆国アリゾナ州。

 現地警察はミランダを逮捕、警察署に連行し取り調べを始めることになった。

 しかしこの時、取り調べ担当の警官は被疑者ミランダに対し『黙秘権があること、弁護士の立ち会いを求める権利があること』を告知しないまま取り調べを行い、そして犯行の自供を得た。

 問題はこの自供が裁判の証拠として認められたか否か?

 一審、証拠として採用。

 二審(アリゾナ州最高裁)、証拠として採用。

 三審(アメリカ合衆国連邦最高裁)、証拠として不採用。

 アメリカ合衆国連邦最高裁は取り調べ時に被疑者の持つ権利を告知しなかったことを理由に一律に自白の証拠能力を否定した。

 この後『ミランダ警告』という取り調べに関する原則が生まれた。それは即ち以下の通りである。


 『あなたには黙秘権があります』

 『あなたの供述は法廷で不利な証拠として用いられることがあります』

 『あなたには弁護士の立ち会いを求める権利があります』

 『あなたに弁護士に依頼する経済力が無い場合、あなたには公選弁護人を付けてもらう権利があります』


 これらをあらかじめ被疑者に告知した上での取り調べでなくては自供を得ても公判が維持できなくなったのである。


 これだけの権利が被疑者に保証されるとなれば、かなり被疑者にとって人権に手厚い。

 だがこれほどの権利が被疑者によって行使されたなら裁判は被疑者の圧倒的な有利、裁判という裁判はほとんど被告無罪となりそうなものである。

 だがアメリカの現実はそうはなっていない。これにはカラクリがあった。

 それが『権利放棄』の問題である。

 『けんりほうき? そんなバカな。わざわざこれだけの有利な材料を積極的に放棄する容疑者などいるものか。放棄したら有罪になりやすくなるだろう!』と、誰しもが思うだろう。その感覚は正しい。

 アメリカの司法は僅かの落ち度を見つけ重箱の隅をつつき『被疑者は権利放棄をした!』と認定してしまうのである。この場合、弁護士が立ち会わない状態での自供であっても裁判で証拠として採用されることになる。

 また、銃器絡みの事件ともなると、『公共の安全』を理由として『ミランダ警告』の例外としてしまう。

 アメリカンジャーナリズムは言う。

 『取り調べ時に弁護士が立ち会う権利がアメリカでは認められている』。

 だが、その〝手厚い権利〟はなぜか現実にほとんどのケースで放棄されてしまうのである。アメリカンジャーナリズムは日本人を叩くが、真実を告げる正直さを欠いていた。




「あなた方アメリカンジャーナリズムは自分達の立場を有利にするために『』を行使したのです。それだけではなく『人質司法』という、事態を不正確に説明する造語を発明し日本人を攻撃した。『アメリカには取り調べ時に被疑者にミランダ警告が告知され、被疑者の人権は護られている!』と言えなかったのはなぜですか? 答えて下さい!」怒濤の天狗騨の逆襲!


 リベラルアメリカ人支局長は低くうめき声をあげた。

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