第14話 三つの恋

 何か掴めそうな気がするのに、よく分からない。荷物の人参マンドラゴラは逃げ出さないように紐で縛ってストラップのように下げて、様々な解呪の魔術薬の配合をメモして、イサギが王宮を出る頃には、日はすっかりと暮れていた。

 空には猫の爪のようなやせ細った月が浮かんでいる。完全に月が隠れてしまって新月の晩には、金糸雀は命を落とす。そうでなくても、王都中の魔術師や薬師が手を尽くしても、今にも死んでしまいそうなのだ。

 金糸雀に恋をしたファーストは、彼を生き延びさせたものには、どんな褒美でも与えると約束している。

 女王となったセカンドの側仕えで、魔術具職人のレンに恋をしたサナは、その気持ちを上手に伝えられずに、領地に引きこもってしまっている。

 幼い日に助けてくれたエドヴァルドに恋をしたイサギは、身分の差と男性同士だというどうやっても変えられない事実に阻まれている。

 それらを丸く納める方法がないものか。

 考えすぎて、碌に食事もとっていないイサギは、エネルギー不足で手足が震えて来ていた。昼間はまだ暖かいが、夜は冷たい風が吹く秋になっている。脚が自然に向かったのは、エドヴァルドの気配のする場所だった。

 ファーストとセカンドの従兄であり、前国王の腹違いの兄の長男であるエドヴァルドのテンロウ公爵家は、王宮の離れに王都での別邸を持っている。知らぬ者はいないであろう有名なその別邸の庭には、エドヴァルドの弟であるクリスティアンの張った結界が張り巡らされていた。


「これは……確かに、エドさんより上やわ」


 緻密に編まれた魔術の糸は、一見入り込む隙がないようにも思える。指を入れる隙間もないそこに、魔術を纏わせた爪を引っかけて一本軽く引く。魔術で編んだ糸で出来上がった隙間を固定して、もう一本指の爪をかけて、僅かに引く。また魔術で編んだ糸で出来上がった隙間を固定する。

 ほんの数ミリずつしか動かないその作業も、辛抱強く淡々と続ければ、イサギが通る隙間を作ることに成功した。

 できる限り痩せた身体を縮めて、出来上がった隙間を通り抜けると、どさりと庭の中にイサギの身体が落ちた後で、クリスティアンの魔術に耐え切れず、イサギの作った魔術の糸が弾けて、結界はまた蟻すらも通り抜けられないような緻密なものに戻ってしまった。

 広大な庭は、通常の人間ならば警備に見つかって危険だろうが、目くらましの魔術をかけたイサギは庭を巡回する警備兵にも見つからず、木の根元に窪みを作ってマントをかけて休んでいた。

 小さな頃から周囲の人間全て怖くて、誰も信用できず、警戒して眠っていたために常にイサギの眠りは浅い。懐から取り出した青い狼の横顔が彫られたカメオのカフスボタンの入った巾着を握り締め、朝まで少しの間でも体を休めようと目を閉じる。

 どこからどう見ても不法侵入の不審者だったが、心だけは『エドさんの勇者』だった。


「ここにおったら、エドさんの気配を感じるようやわ……あぁ、エドさんが迎えに俺を見つけて、『イサギさん、本当に良く頑張りましたね』って、あの豊かなお胸に抱き締めてくれて……」


 寒さと低血糖で意識が遠のいていく。

 そんな中でも、若いイサギはエドヴァルドの体温や肌の感触、側にいると漂って来る爽やかな香水の匂いを想像してしまって、鼻血がつつっと伝ったのにも気づかなかった。


「あのジャケットとベストとシャツの下、お胸はどれくらい豊かなんやろ。エドさんったら、もう! スラックスの下のお尻は……」


 年頃のイサギの妄想も鼻血も止まらない。寒さと低血糖で震えながら鼻血を出して身悶えるイサギの姿は、怪しいというよりも、もはや生命が危険な域なのではないかと思わせる。


「イサギ、さん?」

「エドさん……あの、これは、ちが……」

「血が出てますよ!」


 不法侵入したのも、エドヴァルドでいけない妄想をしていたのも、バレてしまったような気分になって、土下座しようとするイサギを、エドヴァルドは軽々と抱き上げてしまった。


「鼻血が出ていますよ。それに、こんなに冷えて。やはり、泊るところがなかったのでしょう。正面から来てくださればよかったのに」

「き、来て、良かったんか?」


 サナから結婚は反対されているし、エドヴァルドからも丁重にお断りをされていた。だから、当然イサギが訪ねて来て、歓迎されるとは思いもしなかったのだ。


「結界が破られた気配がするとクリスティアンが言ったので見に来て見たら、やっぱり、イサギさんじゃないですか。うちに泊まっていいと最初から言いましたよ」

「エドさん……」

「寒さで熱が出て、鼻血が出たのかもしれませんね。すぐに暖かい場所に行きましょう」


 暖かい場所。

 イサギにとってそれは、エドヴァルドだった。エドヴァルドのいる場所が、暖かい印象しかない。

 部屋に連れ帰られて、7歳のときの気安さでてきぱきと服を脱がされて風呂に入れられそうになって、イサギは我に返って慌てた。


「その、エドさん、自分でできるから……」


 エドさんにされたら、イサギくんのイサギくんが、エドさんのいけない妄想で臨戦態勢になりかけとるのがバレる!

 欲望が薄かったせいか、まだ年も若いせいか、自分で処理したことはないが、イサギは精通は迎えている。下着を汚した日に見た夢は、エドヴァルドだったような気がするが、ぼんやりとしてあまり覚えていない。


「バスルームの外で待ってますから、調子が悪くなったら言ってくださいね」

「分かった」


 待っていてくれる。

 夜も遅いのに、イサギのために風呂を沸かしてくれて、出て来るまで待っていてくれるというエドヴァルドに、イサギは感動して泣き出しそうになってしまった。

 暖かいお湯で汚れを落とし、鼻血の出た顔を洗い、髪も洗ってバスタブに浸かると、足先から痛むような感覚に襲われる。それだけ血流が滞って冷え切っていたのだろうが、イサギはそんなことにも気付いていなかった。


「冷えてるて、エドさんだけが気付いてくれる……」


 こんなにエドヴァルドはイサギを気に掛けてくれている。それが愛でなくてなんなのだろう。

 この恋はきっと片思いではない。

 暖かなバスタブの中で、イサギは希望を得たような気がした。

 ゆっくり温まって脱衣所に出てくれば、ふわふわのいい匂いのするバスタオルと真新しいパジャマと下着があって、イサギの入浴中にエドヴァルドが使用人に用意させてくれたのだと分かる。着替えて客間に出れば、簡単なサンドイッチとミルクティーをエドヴァルドは用意してくれていた。


「どうせ、食べてないんでしょう?」

「……なんで、分かったん? これ、初めて会ったときと同じやなぁ」


 指摘されてようやくイサギは自分の空腹に気付く。

 サンドイッチもミルクティーも、出会った日と同じ味がした。食べている間、まだぽたぽたと水の滴る髪を、エドヴァルドがバスタオルで拭いてくれる。

 もともと食事に興味はなかったし、食べなくても気にならない性格で、そのせいで肋骨が浮いて見えるほど痩せていることも、気にはしていない。そういうところもエドヴァルドはちゃんと見ていてくれるのだと思うと、お風呂で暖まった体が、また芯からぽかぽかとしてくる。


「エドさんのご飯は美味しいな。ええ嫁さんになる。もう、イサギくんのお嫁さんになるしかないわ」

「そんなこと言ってないで、ちゃんと食べてください」


 口説き文句はかわされてしまうが、イサギの気分は良かった。

 気持ちが大きくなっていたのだろう、口も滑らかになってしまっていた。


「ファースト姫さん……やない、女王さんの金糸雀の呪いが解けたら、サナちゃんにレンさんを、俺にエドさんをくださいて頼むつもりなんや」

「くださいって……レンさんの気持ちはどうなるんですか?」

「そ、それは、分からへんけど、でも、サナちゃんはレンさんが好きや! もしもレンさんが手に入らへんかったら、この国を滅ぼしてしまうかもしれへん」


 恋するレンが手に入らなければ本当に『魔王』として覚醒してしまうかもしれないと告げるイサギに、エドヴァルドは信じていないようだった。


「私をもらって、私の気持ちはどうなるんですか?」

「俺のこと、嫌いか? 絶対に好きになられへん?」


 縋るように問いかけたイサギに、エドヴァルドが深い溜息を吐いた。


「私は男、あなたも男。禁断の魔術を使いでもしない限りは、子どもは望めません。そうなれば、私には妾を持つように圧力がかかります。あなたには、私から遠ざかるように、周囲が嫌がらせを始めます」


 貴族社会とは甘いものではないと告げるエドヴァルドに、イサギは繰り返し問いかける。


「エドさんさえ俺を嫌いやなかったら、どんな嫌がらせでも俺は耐える。俺は、エドさんが好きなんや。俺が、嫌いって、エドさんは一度も言うてない。嫌いなら、嫌いて言うて?」

「私は結婚はできません」

「嫌いて、言うて? 中途半端にする方が残酷や」


 はっきりと嫌いと口に出せないエドヴァルドの気持ちは、きっと好きに傾いていると信じずにはいられないイサギだった。

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