第10話 その頃、ファースト王女は

 アイゼン王国は緑多き地だが、船で渡った先は乾いた大地で肌に触れる空気の匂いから全てが違っていた。旅先案内人に雇った男は、ファースト王女に深く日除けの布を被るように言う。


「この国の日差しは暴力的ですからね。あんたの白い肌は真っ赤に焼けただれますよ」


 日焼けは火傷と変わらない。国から追われる身となってしまっては、もう身分も関係ない。礼を言って受け取った日除けの布を、ファースト王女は深く被った。

 目的地が定まっているわけではないので、空間転移の魔術は使えない。さして多くもない荷物を背負って荒野を歩いていくファースト王女は、案内人よりもよほど足取りがしっかりしていた。


「ちょっと、待ってくださいよ。ただの柔な王女さんかと思ったら、体力がある……」

「王女は狙われるものだ。常に体を鍛えておかねばならない」


 第一王女だから、全ての企みは自分に来る。ファースト王女の考えは間違っていなかったが、第二王女のセカンド王女を醜い毒を吐くドラゴンに変えられて、その首謀者としての嫌疑をかけて陥れられるとは予測もしていなかった。魔術を防ぐ魔術具をセカンド王女は側仕えのレンと一緒に作っていたし、ファースト王女の身を案じて魔術具を贈ってくれてもいた。守られてセカンド王女だけは無事だと油断したのがいけなかった。

 まさかセカンド王女があのような姿になるとは予測もしていなかったので、ファースト王女が「まさか、私の妹が」とドラゴンを前に疑ってしまった。互いの信頼なしには発動しない解呪の魔術を、封じ込めてしまったのは、ファースト王女自身で、それを悔いながら、異国を彷徨う。

 市の立つ街に辿り着いたのは、荒野での野宿を数日続けた後のことで、水や食料を買い足しに案内人が行っている間に、ファースト王女は見知らぬ褐色の肌の男性に声をかけられた。


「わたくしの主人あるじの奥方様が、貴女様の身に付けていらっしゃる髪飾りを、どうか譲ってくださらないかと仰っておいでです」


 示された視線の先で、商隊の一画で顔を布で隠した女性が目を伏せて座っていた。その女性の隣には、商隊の隊長と思しき男性が座っている。


「異国に置いて行った我が子のことを思い出すそうです。対価はお支払い致しますので」


 男性に頭を下げられて、ファースト王女は癖のないシルバーブロンドの髪を纏めている髪飾りを外して、白い手袋をつけた自分の手の平の上に乗せた。これは、王宮の装飾職人のレンとセカンド王女が共同で作った、身を守る魔術の込められた大事な品だった。

 他にもネックレスやイヤリングも付けているので、魔術の防御が全て剥がれるというわけではないが、セカンド王女から贈られたものだと思えば、地下牢で一人耐えている双子の妹が過って、簡単に渡すことはできない。

 シルバーブロンドの髪の隠す耳には、金色の月の装飾にムーンストーンのティアドロップの付いたイヤリングが下がっていて、それは手の平の上に乗せた髪飾りと首に下げたネックレスとお揃いの装飾だった。


「呪いを解く魔術師の情報を持っていないか? それと引き換えならば渡そう」


 手の平の上の髪飾りを見せて問えば、「少々お待ちを」と男性は一度主人の元へ戻っていった。素焼きの壺に入った冷えたレモン水を飲んで待っていると、男性が鳥籠を持って戻ってきた。


「この金糸雀カナリアは、どんな呪いも解く歌を歌えると言われております」

「言われているとは、実際に呪いを解くのを見たわけではないのか?」

「奥方様が、他の女性に逆恨みされて、顔が爛れる呪いを受けたときに買って、その呪いは解けましたが、本当に全ての呪いが解けるかは確約できません」


 籠の中で金糸雀は静かに嘴で羽を繕っている。灰色がかっていて特に美しい金糸雀というわけでもなかったが、ファースト王女は何故かその姿に心惹かれた。


「分かった、髪飾りと取り替えよう」


 髪飾りを男性に手渡し、金糸雀を受け取ったところで、案内人が戻ってくる。


「すまないが、この金糸雀の分も食料と水を調達してくれるか?」

「良いですけど、それを連れての旅は厳しいかもしれませんよ」

「できる限り私が守る」


 清潔な水と食糧がなければ、小鳥はすぐに死んでしまう。籠にかけられた留め金を外して、入り口を開けると、おずおずと出てきた金糸雀がファースト王女の指に留まった。嘴で毛繕いをする姿は、小さくいかにも可愛らしい。


「逃げないでくれるか?」


 問いかけに答えるように澄んだ高い声で、ちーちーと金糸雀が鳴く。

 金糸雀とは鮮やかな黄色や赤色のイメージがあったのだが、その金糸雀は黒っぽい羽根に腹が黒ずんだ赤だった。


「赤銅色の金糸雀なんて珍しい」

「黒い瞳が愛らしいな」


 覗き込んでくる案内人も、その金糸雀に興味津々だったが、怖かったのか金糸雀はファースト王女の肩に逃げてしまう。小さな可愛い小鳥は、籠がなくとも、よく懐いて逃げないように思えた。

 雑踏の中でははぐれてしまったり、盗まれてしまってはいけないので籠に入れておいたが、市の立つ街を出ると、ファースト王女は金糸雀を外に出した。


「逃げるかもしれませんよ」

「それならば、正しい方法ではなかったというだけだ」


 セカンド王女の解呪の方法としてこの金糸雀を使うのが正しければ、決して逃げることはない。確信を持って言うファースト王女の自信に、案内人は呆れているようだった。

 船まで戻る帰りの道、野宿をして交代で火の番をしていたファースト王女は、案内人が眠っているのを確認して、金糸雀の入った鳥籠を寒くないようにと火のそばに寄せてやろうとした。緑のない大地は、昼間は太陽が照って灼熱の地獄となるのに、夜は急激に気温が下がる。

 夜には眠っているはずの金糸雀が起きていて、籠の入り口を嘴で突いていた。促されるように留め金を外して出してやると、地面に降り立った金糸雀が、黒髪の癖毛の14、5歳の少年の姿になる。


「あの、信じていただけないかもしれませんが、僕は……この国の宮廷楽師に歌声を疎まれて、呪われて金糸雀にされてしまった身です」


 新月の晩にだけ人の姿に戻れるが、それ以外は金糸雀の姿で生きなければいけない。金糸雀の姿でも呪いを解く魔術を歌に乗せて使えるが、それは彼の命を削るのだという。


「僕が歌えるのは後もう一回程度……歌った次の新月の夜には命を落とします」

「では、君に歌わせるわけにはいかない」

「いいえ、死ぬのが怖いわけではないのです。時間がなくて、あなたの大事な方の呪いを解くのが遅れるのが怖いのです」


 道中でファースト王女は腕や肩に留まる金糸雀に、妹の話をしていた。国王である父は、母である王妃が亡くなってから魂が抜けたようで、双子の娘を顧みることなく、唯一王宮で心許せる相手はセカンド王女だけだった。女同士でおかしいと言われても、男性の軍服を着て、ファースト王女はダンスもセカンド王女としか踊ったことはない。呪いを解けなかったことを後悔していると、聞いているとも分からない金糸雀に語りかけた。

 金糸雀にされる呪いをかけられた少年は、優しく話しかけてくれるファースト王女の大事なひとを助けたいと願った。


「どうか、僕を一刻も早く、あなたの国にお連れください」


 こぼれ落ちそうな黒い瞳に薄っすらと涙を浮かべて、必死になって告げる少年の手をファースト王女が引く。バランスを崩して胸に倒れ込んできた華奢な身体を抱き締めて、ファースト王女はその唇を塞いだ。


「あっ……」


 ファースト王女の解呪の魔術は三回の口付け。場所はどこでも良いのだが、躊躇わず、少年の唇を三度塞ぐ。しゃらりとファースト王女のイヤリングが、音を立てて揺れる。

 魔術が発動した気配はなかった。夜明けが迫って、少年の姿が揺らいで消えそうになっている。


「私には名前がない。便宜上、一番目ファーストと呼ばれている。君は?」

「リュリュです」

「リュリュ、私は君の呪いを必ず解く。そして、君を私の夫にする」


 夜明けの光と共に、少年の姿は消え、残ったのは金糸雀だけ。

 宣言したファースト王女の指に留まった金糸雀が、困ったように首を傾げて、ちぃと鳴いていた。

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