第9話 『魔王』と初恋のひと

 泣きながら帰らないでとエドヴァルドの脚に縋った7歳のイサギに、思い出にとエドヴァルドはカフスボタンを片方外してイサギの小さな手の平に置いてくれた。青い狼の横顔が彫られた、カメオのカフスボタンは、そのままだと小さくてなくしてしまいそうだし、傷付けて壊してしまいそうだったので、指を刺しながら養父の叔父に習って紺色のビロードで小さな巾着袋を作ってそれに入れてしまっていた。

 王族に名を連ねるエドヴァルドほどの人物が持っているので、何かの魔術具なのだろうが、そこに込められている魔術はイサギにはよく分からなかった。持っていても何か魔術が発動したことはない。

 夕食だと呼ばれて、青いエドヴァルドの目を思い出させるビーズやガラス玉やビー玉を入れた宝箱に巾着をしまって、イサギはリビングに降りてきた。14歳で魔術学校を辞めるまでは養父が一緒に住んでくれていたが、コウエン領の貴族から望まれて養父が結婚してから、この広い家はイサギとツムギのものになっていた。

 演劇の練習が早く終わったので先に食べたツムギは部屋に戻っているので、エドヴァルドと二人きりの夕食になる。

 こうして一緒に暮らしていると、結婚して新婚さんのような気分になって、この日々がずっと続かないかと願ってしまう。


「私がここに潜んでいるというのもすぐに知れて、ご迷惑をかけてしまいそうですね」

「どこかに、行ってまうんか?」


 仕事帰りに金を稼ごうとサナを狙う刺客を倒しに行ったイサギを尾行して、共に戦ってくれたエドヴァルドは非常に頼もしくかっこよかった。しかし、そのせいでエドヴァルドの存在が知られて、イサギの家から出ていかなければならなくなるというのは耐えがたい。


「俺、あいつらが喋らへんように、もう一度しめてくるわ!」

「落ち着いて、イサギさん。遠からず分かることなのです」


 セイリュウ領にサナを討ち取りに行ったはずのエドヴァルドの動きがないことに、王都の魔女は既に気付いているだろう。怖いのは、肉体強化と防御の魔術に秀でたエドヴァルドと、攻撃の魔術に秀でたサナが手を組んで、魔女の後妻の妃を討ち取りにくることなのだ。

 その前に魔女が動くかもしれない。


「エドさん……サナちゃんと一度会った方がええかもしれへん」

「そうですね。話し合った方がいいかもしれませんね」


 直接顔を合わせて話すのは、イサギにとっては恐ろしいことだが、エドヴァルドはサナを殺す気がなくて、国王のおかしな様子と魔女の動きを直接にサナに伝えた方が話が早いのは確かだ。

 怖いのは、そのことによってエドヴァルドにかけられているサナの呪いの魔術が変化しないかどうかなのだが、結婚や恋愛のことを話している場合ではないし、何よりサナにはレンという想い人がいるので大丈夫だろうとイサギは楽観的に考えていた。

 翌日は身なりを整えて、品のいい三つ揃いのスーツに身を包んだエドヴァルドと共に、イサギとツムギもサナの執務室を訪ねた。ノックをしようとすると、部屋の中から話し声が聞こえる。


「セカンド王女がどれほど心細い思いをしていらっしゃるか」

「あんさんは、セカンド姫さんが好きなんか?」

「セカンド王女は、わたくしを友人と思ってくださっています。共に魔術具を作り、ファースト王女をお守りするのが、わたくしとセカンド王女の願いです」

「ずっと、セカンド姫さんの元におって、結婚もせんつもりなんか?」


 問いかけに、沈黙したレンがどんな表情をしているのか、ドアを隔てたイサギには見ることはできない。


「王家の魔術具職人としてお仕えして、人生を終えるのも良いかもしれません。でも、もし、わたくしを望んで下さる方がいらっしゃったら……」

「うちは、ダメなん?」

「セイリュウ領に技術者が欲しいということですか?」

「そうやなくて……あぁ、もう、立ち聞きしとる趣味の悪い奴がおるな。堂々と入ってきや」


 触れてもいないのに勢いよく開いたドアから、エドヴァルドが大股で執務室に入って行く。広い背中に隠れるように、イサギはちょこちょこと後を付いて行った。


「お邪魔かと思って、待っていただけですよ」

「お久しぶりやな、エドヴァルドはん。あの魔女のお妃はんは、うちを殺せて言うたんか?」

「ご察しの通りです。私で勝てる相手ではないですが、あなたは私を簡単に殺せるほど冷徹でもないと思われているようですよ」


 小柄で華奢なサナは、大柄で逞しいエドヴァルドとレンに囲まれると、妙に小さく見える。二人に威圧されることがないどころか、堂々としているのは、流石領主で『魔王』と呼ばれるだけはある。


「サナちゃん、レンさんに気持ち、通じてないんじゃないの?」

「ツムギ、何を言うてるんや」

「サナちゃんって回りくどいって言うか、ストレートじゃないから」

「煩いわ! うちよりも、問題はあんさんのオニイサマやないんか?」


 話が急に自分の方に向いて、イサギはぎゅっとエドヴァルドの背中に縋り付いてしまった。


「お、俺は何もしてへん! してるのは、サナちゃんや!」

「二股やら、エドヴァルドはんに呪いかけたやら、妙なことばかり言いおって、挙句の果てには、金払って、エドヴァルドはんを助けたいて、何を勘違いしとるんや。勇者にでもなったつもりやったんか?」


 金と言われて、エドヴァルドがイサギの方を見る。鮮やかな青い目が驚きに見開かれていて、そんな目で見られたかったのではないと、イサギは胸が苦しくなって、目の奥が熱くなった。


「私のため、だったんですか?」

「え、エドさん、を、自由に……」

「あの顔の傷も、手首の傷も、私のために?」

「だ、だってぇ……サナちゃんが、エドさんを解放してくれな……」


 俺とエドさんは結婚できへん。

 口に出す前に、イサギは気付いていた。どんなことをしても、エドヴァルドの心は変わらない。好きで好きで堪らなくて、エドヴァルドに少しでもしがみ付いていたくて、薄々自分がやっていることは間違っているのではないかと気付いていたのに、止められなかった。

 ほんの少しの可能性でもあるのならば、縋りたい。


「エドさんが、好き、なんや」


 茶色の瞳から零れた大粒の涙に、僅かに怯んだ様子を見せたが、直ぐにエドヴァルドは厳しい顔つきになった。


「そんなこと、頼んでいません! 私のためにあなたが傷付いて、私が嬉しいとでも思ったのですか!」


 一喝するエドヴァルドの声に、イサギはへなへなと床の上に座り込んでいた。

 全てエドヴァルドのためと言い聞かせて、結局は自己満足でしかなかった。好きな気持ちも、結婚したいという願いも、エドヴァルドには届かない。


「エドヴァルドはんと、真面目に話さなあかんから、ぴいぴい泣いてる餓鬼は空気読んでくれはります?」


 バンッと音を立ててサナの後方の大きな窓が開く。反射的に術式を編み上げていたイサギは、浮遊の魔術をかけられる前に、それを弾いていた。


「ふぅん、少しはできるようになったやないの」

「ご、ごめんなさい……」


 もう会わせる顔がないと泣きながら執務室から逃げ出したイサギを、レンとツムギが追いかけて来てくれる。薬草保管庫に籠ってしまう前に、イサギはレンに腕を掴まれた。


「あの……大丈夫、ですか……って、聞くのも変ですよね。見るからに大丈夫じゃないのに」


 それ以外にかける言葉がないのだろう、優しく声をかけてくれるレンに、ぼろぼろとイサギの涙は止まらない。ハンカチを差し出してくれたツムギに礼を言って、イサギは洟と涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いた。


「レンさんは、優しいんやな。サナちゃんが好きになる気持ちが、分かるわ」

「イサギ、惚れたらだめよ!?」

「そうじゃなくて……」


 即座にツッコミを入れるツムギに、ようやく苦笑を見せたイサギに、レンも安堵したようだった。


「わたくしにも……俺にも分からんっちゃん。なんで、あんなん、サナさんが俺に執着するんか。魔術具の技術者が、ここ、そんなに足りんとは思えんっちゃけどね」

「本当に、全く通じてない!?」


 年齢がかなり年上だからか、素で喋り始めたレンに、イサギとツムギは、全くサナの恋心が通じていないのを痛感していた。

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