第8話 勘違いは伝染する

 食事に興味のなかったイサギは、薬草畑の管理をしていても、昼食の休憩をとることはほとんどなかった。領民の貧しいものはほとんど食べずに働いているし、平民の食事は日に二回程度、三食食べられるのは富裕層しかいない。

 この状況を打開するために、サナが領主になってから、学校で昼食が無料で出されるようになった。一食を必ず子どもに食べさせることができるという理由で、働き手としてしか子どもを見ていなかった親たちが、子どもを学校に行かせるようになって、ここ数年でセイリュウ領の識字率は上がった。その中でも優秀なものは学費免除で魔術学校に行かせてもらえるというので、魔術師になれば最低でも街の薬師、良ければ領地の魔術騎士になれるということで、領地の教育に関する意識は上がっている。

 それはそれとして、イサギは一日一食か二食食べるか食べないかだったのが、国王の腹違いの兄の長男で、公爵家のエドヴァルドの用意してくれるお弁当まで含めて、最近は三食とるようになっていた。幼い頃に出会ったときもだが、エドヴァルドは自分の身分を気にせずに屋敷の誰にでも話しかけるきさくさがあった。それで領地でも厨房に入り浸って食事を作るのを手伝っていたりしたという。


「食事は生活の基本ですからね。食べることは身体を作ること。それに、何から自分のとる食事ができているかを知っていないと、妙なものを混ぜられたときに気付かないということもあります」

「エドさんは何でもできるんやな」

「防御と肉体強化の魔術ではサナちゃんも一目置いてるって言ってたし」


 朝食はイサギとツムギとエドヴァルドと揃って食べる。昼食はお弁当を持たせてくれて、夕食はイサギが返って来るまでエドヴァルドは食事をせずに待っていてくれる。

 味もよく分からないものを、死ぬのが怖いから生きるためだけに口に詰め込んでいた日々とは全く違う、健康的な毎日。もう結婚したような気分になっているが、状況が一向に変わっていないことはイサギも気付いていた。

 今日こそはサナを説得しよう。

 仕事に行く荷物の中に受け取ったお弁当と水筒を詰めて、その下にそっと金の入った袋を隠し、胡蝶刀も隠してイサギは領主の屋敷に向かった。

 午前中は薬草畑の整備で忙しい。秋になったとはいえ、夜は急に冷えるのに、日中は日差しが強く、しおれている薬草も多くある。そもそも、魔術師が魔術の媒体として使う薬草の種類が多いので、屋敷の庭にある畑は広大だった。


「人参マンドラゴラが逃げた! イサギ、捕まえて!」

「脱走はあかんて言うてるやん!」


 その上、薬草の中には自らの意思を持っているものまでいるのだ。セクシーな脚のような根っこで植えてあった場所から逃げ出す、人参マンドラゴラを捕まえると、「びぎょええええええ!」と耳を塞ぎたくなる悲鳴を上げながら手の中で暴れる。


「あんさんも、頭切られたないやろうけど、これも仕事なんや」

「びょえええええええ!」

「あーもう、煩いなぁ!」


 魔術で防衛していなければ煩い程度では済まず、頭痛を覚えたり、吐き気を覚えたりするのだが、まだ育ち切っていない人参マンドラゴラを植え直して、ツムギが抜け出せないようにネットをかけた。

 慌ただしく午前中の仕事が終わると、汗だくのツムギは屋敷でシャワーを浴びさせてもらって、涼しい部屋で休憩をとる。弁当を持たされるまではその間は薬草保管庫で仕事をしていたイサギだが、弁当を持たされるようになってから、ツムギと一緒に涼しい部屋で汗を拭いて、昼食の休憩をするようになった。

 用事があったので早めにサンドイッチを食べてアイスティーで一息ついてから、イサギは緊張した面持ちで立ち上がる。


「ちょっと、サナちゃんとこ、行ってくるわ」

「なにかあったの? 私も行こうか?」

「いや、薬草の数の報告書出してくるだけやわ」


 それは全くの嘘ではなかった。屋敷内で雇われている薬師や魔術具職人は、薬草保管庫の薬草は自由に使っていいことになっていたが、レンが来てからその減りが早くなっている。精度の高い魔術具を作るためには、良質な薬草に魔術鉱石や金属、魔術師が必要だと分かっているのだが、減っている事実だけは管理者として伝えなければいけない。


「構へんよ。あの御人のつくらはるもんは、うちの魔術すら弾く最高の魔術具や。多少薬草が減ったところで、損することはない」

「でも、あのひと、気軽にそれを壊さはるで」

「……なんで、命がいらんようなことを言わはるんやろ」


 『魔王』と恐れられ、イサギにとっては失言一つで三階の窓から投げ出すようなサナの横顔が、恋をしているのがありありと分かって、イサギは複雑な気持ちになる。

 愛するひとを死なせたくないという思いは、『魔王』にとっても同じなのだろう。

 意を決した表情で、テーブルの上に金の入った革袋を置いたイサギに、サナが中を確認して黒い目でじっとイサギを見つめる。魔術師から見つめられているときは、標的を定めているときだというのは、嫌というほど習っていた。


「うちに、貢いでどないするつもりなんや?」

「あのひとを……エドさんを、開放してください」


 青ざめて震えながら告げるイサギに、くっとサナは喉の奥で笑い声を飲み込む。


「安く見積もられたもんやなぁ」

「お、俺にはそれしかできへんかったんや! お願いや……」

「うちのことやて、言うてないやろ?」

「へ?」


 金額が少なかったのならば、ローンでもなんでも組むと提案しようとしていたイサギは、拍子抜けしてサナを見つめる。妖艶に微笑むサナは、赤い唇を開いてゆっくりと告げた。


「お前の愛は、金で買えるんか。エドヴァルドはんも、安ぅみられたもんや。こんなはした金で自分の結婚や恋愛を売り買いされてるやなんて、思わへんやろ」

「ち、違う! 俺はエドさんを、金で買うたりなんかせぇへん!」

「うちに金を払うってことは、そういうことやって、考えんかったんか。ほんまに頭が足りてへんわ。頭冷やし」


 来る!

 魔術でサナの後方の大きな窓が開いたのを視認したイサギは、素早く術式を編んでいた。編み終わる前に浮遊の魔術をかけられて、窓の外に出されるが、浮遊の魔術が解ける前に、術式は編み上がっていた。


「羽根よ、空駆ける翼よ!」


 魔術を放つ呪文は、術式を発動させる合図であるので言葉は何でも構わない。サナのような上級の魔術師になれば、無声魔術といって、視線や意志だけで魔術を発動できるのだが、イサギはその域まで達していなかった。

 14歳まで通っていた魔術学校を辞めたのは、ツムギが劇団に入るから魔術学校を辞めるということで、イサギ一人で学校でやっていけると思わなかったからだった。

 成績優秀で、魔術の才能はあったが、やる気のなかったイサギ。

 それでも魔術学校で習ったことは実を結び、今回は無事に落下せずに浮遊の魔術が発動して、上手に地面に降りられた。

 怪我もしなかったので安堵して、薬草畑に戻ると、ツムギが不審そうにイサギに声をかけてきた。


「最近、イサギ、行動が変だけど、何があったの?」

「変なのは、サナちゃんやないか」

「サナちゃんは恋に狂ってるんだろうけど……イサギも?」


 双子の妹に問いかけられて、エドヴァルドが来てからの日々を思い出す。

 食べても味の分からない食事を義務のように口に突っ込み、仕事をしてへろへろになって家に帰って、眠るだけの毎日。それが、エドヴァルドの存在で全く変わってしまった。

 食事は楽しみでならないし、怪我をして帰っても放っていたのが、エドヴァルドに心配してもらえて、手当までしてもらえるのが嬉しくて堪らない。


「そうかもしれへん。俺は、エドさんが好きやから」


 ベッドを放り投げてイサギとツムギを助けてくれた優しいひと。

 あのひとのためならば何でもできる。

 なにも怖くないと思っていたのに。

 お金は必要だと仕事の帰りに入った裏路地で、イサギは数名の武装した男に囲まれていた。その中に、先日身ぐるみを剥がした男も入っている。


「そいつが『魔王』サナの従弟だ」


 鞘走る音が響き、抜かれる剣にイサギも腰のベルトに固定していた胡蝶刀を両手で一本ずつ引き抜いた。一気に切り付けられて、弾きつつも一人一人石畳の上に潰していこうと術式を編んでいる隙に、炎の塊が飛んできた。

 相手方にも魔術師がいたようだ。

 避けようとして避けきれず、火傷を覚悟したイサギの目の前に、青白い透明な盾が展開された。


「イサギさん、何をしているんですか!?」

「え、エドさん!?」

「テンロウ領のエドヴァルド!? 寝返ったのか!?」


 王族でもあり公爵の長男でもあるエドヴァルドは、その逞しい体付きと長身、加えてスキンヘッドから非常に目立つ容貌をしている。穏やかな凪いだ青い瞳が優しいことを、イサギは知っているが、知れぬものには恐ろしい怪物に見えているだろう。


「寝返るも何も、私は誰の味方でもありませんよ!」


 言うなれば、国民の味方で、イサギの味方。

 宣言して次々と男たちを蹴り倒していくエドヴァルドの雄姿に、イサギは顔を真っ赤にしながら見惚れていた。


「刃の傷があったからおかしいと思って、後をつけてみたら……」

「心配かけてごめんなさい」

「サナさんに危害が加わらないように、刺客を密やかに倒していたのですね。言ってくだされば、私も手伝ったものを」

「ふぁ!? そ、そうなんや! サナちゃんになにかあったら、困るからな」


 どうやら、エドヴァルドの結婚の件で金を稼ごうとしたとはばれていないようで安心はしたものの、何か誤解されている。それでも、エドヴァルドがかっこよかったのでよしとする、15歳の単純なイサギだった。

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