第3話 再会は突然に

 夕暮れ時の空は赤く染まっていた。秋になって日が短くなっている。日が落ちれば畑での仕事はできなくなる。収穫した薬草を纏めて、ツムギから受け取るイサギ。これから、特別の薬草室で、干して乾かすもの、水に浸すもの、その他と薬草を分けて、細々とした作業をしなければいけない。


「ツムギは今日は劇団の練習やろ? 残り引き受けるから、行ってきや」

「ありがと、イサギ。王都の公演がなくなっちゃったから、みんなモチベーション駄々下がりなんだけどね」


 セイリュウ領に謀反あり。

 セカンド王女を醜い竜に変えたのはサナということになっていて、側仕えのレンを攫って逃げた『魔王』のせいで、セイリュウ領で一番有名だったツムギの所属する劇団は、王都の劇場で開演するはずだったミュージカルを諦めざるを得なかった。

 劇団の出張や、公演が近くなると、サナも休みをくれて、薬草畑はイサギに任されるのだが、急になくなってしまった公演のために、劇団だけでは食べていけないツムギは、めげずに練習はしているが、薬草畑での仕事も続行することになってしまった。

 公演がない時期は他のメンバーも副業で食べているので、練習は仕事が終わってからとなる。王都にまた公演に行ける日を信じて練習に向かうツムギを見送って、イサギは薬草の保管庫に入った。風通しが良いが日に当ててはいけない薬草もあるので、保管庫はいつも薄暗くうすら寒い。

 領主のことは信じているし、領民の暮らしは守られているとしても、じわじわと王都からの圧力は高まっている。ゆっくりとセイリュウ領を弱らせて、領主であるサナを内側から断罪させて追い出そうという気長な作戦なのだろう。


「はよ、ファースト姫さん、帰ってきぃへんかなぁ」


 毒の息を吐く醜いドラゴンに変えられたセカンド王女を助け出すことができれば、毒の息ではなく正しい証言を以って、真犯人を断罪することができる。そうすれば、サナの嫌疑も晴れて、堂々とツムギの劇団も王都に行くことができる。

 ランプを付けて、干すべき薬草を干して、水に晒すものは晒して、以前水に晒していたものは取り出して乾かして、作業を終えると、入口がノックされた。ドアを開けると褐色の肌で長身の男性の姿が見えて、イサギは直ぐに彼がサナの保護したセカンド王女の側仕えだと気付いて一礼した。緩やかに波打つ豊かな黒髪の彼も、イサギを目にとめて一礼する。


「魔術増幅の薬草を分けて欲しいとサナ様にお伝えしたら、こちらに行くようにと言われました」

「それやったら、こっちの棚の瓶に入っとる。ここに入っていいって言われたんやったら、どれでも持ってってええと思うよ、知らんけど」


 護衛や見張りもつけずにこの保管庫に入る許可を与えたのだから、サナが彼がどんな貴重な薬草を持って行っても文句は言わない。こういう感じの男がサナの好みなのかと凝視してしまうイサギに、彼は苦笑交じりに礼を言う。


「ありがとうございます。わたくしは、レン。サナ様に保護していただいている魔術具職人です」

「俺はイサギ。サナちゃんの従弟やけど……あぁ、あんさんが。コウエン領から来はったんやろ? 喋り方が違うてほんま?」

「こちらの喋り方とは少し抑揚が違いますが……」

「聞いてみたいような、俺が聞いたらサナちゃんに殺されるような……」


 初対面の相手など普段ならば怖くて話しかける気にもならないのに、穏やかな雰囲気のレンは、不思議と怖くなかった。幾つかの薬草の瓶を持って、イサギに中身を確認してから、レンが部屋を出ていくのを見送る。


「サナちゃん、ああいうのが好みなんやろか」


 仕事を終えて帰路につく頃には、すっかりと日も暮れていた。

 手が震えて、眩暈がしてくるのに、イサギは朝からほとんど物を食べていないことを思い出す。食事はイサギにとって、あまり重要な要素ではなかった。食べなくても生きていけるならばそうしたい。

 何を食べても美味しいのかどうか分からないし、味もよく分からない。


「イサギじゃないか。久しぶりだな」

「あんさん、誰や?」

「酷いなぁ、魔術学校で一緒だったじゃないか」


 ふらふらとしながら家までの道を歩いていると、自称『魔術学校の同級生』が肩を抱くようにして絡んでくる。触れる体温も、息も気持ち悪くて逃げ出したいのに、身体がうまく言うことをきかない。

 名乗られたが、そもそも他人に興味のないイサギは聞き覚えのない名前を、記憶していなかった。


「再会を祝して、一杯付き合えよ」

「あんさんなんか、知らんがな。俺は帰るんや」

「一杯だけだ」


 抵抗するのも面倒になって、近くの居酒屋で名前も分からないノンアルコールのカクテルを飲もうとすると、自称『魔術学校の同級生』の男は激しくグラスをぶつけすぎて、カクテルを盛大に零してしまった。

 慌てて拭いている間に、次が運ばれてくる。


「すまんすまん、やり直そう」


 その時点で、何かおかしいとは思っていたのだ。早く逃げ出したいがために一気にあおった瞬間、視界が明滅する。酷い眩暈に襲われたイサギは、椅子を倒して床に倒れてしまう。


「大丈夫か? 悪酔いしたみたいだな、外の空気を吸いに行こう」


 自称『魔術学校の同級生』は酔っ払いを介抱する態で店の外に連れ出した。

 店の裏の細い人気のない道には、数名の柄の悪い男たちが集っている。


「約束の『魔王の従弟』だ。こいつを人質にしておびき出せば、倒せるかもしれない」

「よし、よくやった」


 金の入った袋の代わりに受け渡される自分自身を、イサギは遠くなる意識の中で他人事のように感じていた。人質としてサナをおびき出し、殺すための餌として、自称『魔術学校の同級生』はイサギが零れたカクテルを拭いている間に、イサギの飲み物に何か入れたのだ。


「サナちゃんに、ころされる……」


 簡単に騙されて人質になったなど、サナに殺されると薄れる意識の中で呟いた瞬間、イサギを小脇に抱えていた大男の鳩尾に、手の平が叩き込まれた。奇妙な声を上げて倒れる男の腕からイサギを救い出したのは、がっしりとした逞しい腕で、大事にイサギを抱えて、襲って来る他の男たちを、良く磨かれた革靴で蹴りつけて追い払ってしまう。


「大丈夫ですか?」


 柔らかな低音で発せられた声に、焦点の合わない目を必死にイサギは向ける。質のいい三つ揃いのスーツを纏った、長身の逞しい紳士の頭には、頭髪がない。そのスキンヘッドに、イサギは見覚えがあった。


「エドヴァルドさん……うぇぇぇぇっぷ!」


 淡い初恋の思い出が頭をよぎった瞬間、イサギは盛大にその場で嘔吐していた。何も食べていなかったので出てきたのは、先ほど飲んだカクテルと胃液だけだったが、スキンヘッドに長身で逞しい体付きの彼、エドヴァルドは背中をさすってイサギを介抱してくれる。

 吐いたものを片付けて、気が遠くなっているイサギを抱き上げて、エドヴァルドが問いかける。


「家はどこですか?」

「エドヴァルドさん……俺のこと……」

「忘れませんよ。話は後で。今のあなたには休息が必要です」


 姫君のように抱き上げられて、告げた街の片隅にある家に連れて行ってもらって、信頼して鍵を渡すと、ドアを開けてリビングのソファに下ろされた。かたかたと小刻みに震える体を、エドヴァルドが場所を聞いて毛布で包んでくれる。


「キッチン、お借りして良いですか? 吐いたので少しは胃に物を入れておかないと」

「なんでも、好きに使ってや。エドヴァルドさんやったら、大丈夫や」

「昔みたいに、エドで構いませんよ」


 テンロウ公爵の長男、エドヴァルド。彼をイサギは良く知っている。

 国王の弟の長男で、王都で暮らす大貴族。

 26歳になりながらも、持ち上がる結婚話は全て断り続けている彼は、女性に興味を持たれないようにと頭髪を綺麗に剃ってスキンヘッドにしていた。


「ミルクティーと、簡単なオートミールだけど、食べられますか?」

「エドさんのご飯……」


 蜂蜜とミルクで煮たオートミールと、たっぷりのミルクの入ったミルクティーは甘く、暖かく、イサギを懐かしい思い出の中に連れて行った。

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