第4話 初恋の思い出

 アイゼン王国には四つの大きな領地がある。北のテンロウ公爵、西のモウコ公爵、東のセイリュウ公爵、南のコウエン公爵、それぞれ魔術師としての血統を持つ一族だが、それぞれに特徴がある。テンロウ公爵一族は結界魔術、モウコ公爵は転移魔術、セイリュウ公爵は攻撃の魔術、コウエン公爵は道具に魔術を込めることを得意とする。

 血統でしか引き継がれない魔術師の才能は、強い魔術師との婚姻によって守られている。

 セイリュウ領に生まれたサナは、攻撃の魔術に秀でていたが、それだけではなかった。他の魔術にも優れた彼女は、一族の中でだけでなく、国中でも一番の魔術師と呼ばれて、次代の領主に選ばれた。一族の中でも一番強い魔術師が領主になるのが公爵家の掟であったし、サナは双子の王女を産んで亡くなった妃の血縁でもあったので、喜んで迎えられた。

 表面的には。

 サナの父親の兄弟である先代の領主の妻は、夫の死後、当然、自分たちの子どもが領主を継ぐべきだと主張し、密かに双子の兄妹を鍛え上げていた。盲目的に領主の座だけを求めた。

 魔術の才能を伸ばすためだけに厳しい訓練を課せられ、8歳年上の従姉と比べられ、彼女を越せと命じられた双子が、自我を失っていくのは仕方がないことだった。一人ならば勝てないかもしれないが、二人ならば勝てるかもしれない。

 7歳の子どもならば油断させてその命を奪えるかもしれないと、イサギとツムギの双子の兄妹が、サナの前に出たのは、8年前のこと。

 長く患っていた父親が亡くなった後で、15歳のサナが公爵になった祝いに、幼いイサギとツムギは人形のように着飾らされて、参加させられた。先代領主だった父親が亡くなったので、喪に服して賑やかな場に出ないはずの双子を連れて来た、叔母にサナは警戒して、完全に計画はバレていたに違いないのに、イサギとツムギに選択肢などなかった。


「あの忌々しい小娘を殺せば、この領地はまたうちらのもんになるんや」


 それが正しいことだと教え込まれた7歳の双子は、隠し持っていた胡蝶刀を引き抜いた。両手に持ったそれは、イサギが氷の魔術、ツムギが防御の魔術がかけられている。

 鍛え上げた脚と、自らに掛けた強化の魔術。高く跳躍して、剣を抜く魔術騎士の頭上を飛び越え、サナに斬りかかっていくイサギと、ツムギに、サナは着物の袖を翻し、華奢な白い腕を一振りした。

 巻き起こる暴風が、イサギとツムギの小さな体を押し返して床の上に転がす。床に打ち付けられた衝撃も痛みも感じなかったかのように、光のない虚空のような目で、起き上がったイサギが右から、ツムギが左から、両手に持った胡蝶刀を回転させて斬りかかる。


「あんさんらは操られとるだけかもしれへんけど、最悪な親の元に生まれたことを恨み」


 サナの手が無造作にイサギとツムギの顔を掴んだ。体が小さいので、腕を伸ばした状態で顔を掴まれてしまうと、イサギの刃も、ツムギの刃も、サナに届くことはない。ジタバタと暴れる二人の顔を持ったまま、サナは容赦なく二つの小さな頭を轟音がするくらい激しくぶつけ合う。

 痛みを感じずに、自分の体を壊してでも戦える『狂化』の魔術をかけられているとしても、激しく頭を打ち付けられたイサギとツムギは、脳震盪を起こして目を回してしまった。床に落とされて倒れる二人から胡蝶刀を取って、護衛の魔術騎士が押さえ込んでしまう。

 逃げ出そうとした母親は更迭されて、イサギとツムギは自由になった。

 けれど、生まれたときから正しいと思っていたことを足元から崩されて、何も信じられなくて、部屋に閉じこもる二人に、サナが何度か様子を見に来たが、自分が暗殺しようとした相手なので殺されると怖くて、二人はベッドの下に隠れて震えていた。


「なんも食べてへんらしいやないか。食べへんかったら、死ぬんやで?」


 毒が入っているかもしれない。

 そもそも、暖かい食べ物など碌に与えられたことのなかったイサギとツムギにとっては、食事をとることすら怖かった。

 大人は入ってこれないベッドの下に入り込んで、ずっと震えていたイサギとツムギの元にやってきたのは、見上げるほどの長身に逞しい身体付き、スキンヘッドの男性だった。


「お腹空いてませんか?」


 怖くて、数日飲み食いしていないので動くこともできないイサギとツムギの入り込んでいるベッドの下に差し出されたのは、青い花模様の綺麗なティーカップに入ったミルクティーだった。乾ききった喉がこくりと鳴る。


「ツムギ、おきてるか? ツムギ?」

「お、にいちゃん……」


 自分のことばかりで、ずっと一緒にいたツムギが自分以上に弱っていることに気付いていなかったイサギは、意識を失ってしまった妹に青ざめた。必死にツムギを引っ張るが、ベッドの下から連れ出すことができない。


「た、たすけてや! ツムギが、おれのいもうとが、しんでまう!」

「待ってて! ベッドを持ち上げるから、驚かないでくださいね」

「ふぇ? ふぁー!?」


 軽々とベッドを持ち上げたその男性は、無造作にベッドを投げ捨てて、ぐったりしたツムギとイサギを易々と助け出してしまった。部屋の隅にベッドが放り投げてあるのは、もう気にしないことにする。

 男性が膝の上に抱き上げてミルクティーを口につけると、最初は少しだけ飲んだツムギが、カッと目を見開いて、ごくごくと喉を鳴らして飲む。


「つ、ツムギ、いきとるんか? ぶじか?」

「おにいちゃん、これ、おいしー!」

「あなたもどうぞ。妹さんを守って、本当に偉かったですね」


 優しい声にイサギの目から涙が零れ落ちる。ベッドの下にいたので埃にまみれた髪を撫でて、ミルクティーを飲ませてくれるそのひとをイサギはぼーっと見つめていた。ミルクと砂糖の甘さが体に染み渡っていくようだった。

 サンドイッチを用意してくれて、三人でソファに座って食べた。数日風呂にも入っていないイサギもツムギも、埃だらけで汚くて臭ったに違いないのに、彼はそんなことは一言も指摘せずに、食事を共にしてくれた。


「私はエドヴァルドです。エドと呼んでください。あなたは?」

「イサギ、こっちはいもうとの、ツムギ」

「エドさんは、なんでここにおるん?」


 無邪気なツムギの問いかけに、エドヴァルドは一瞬返答に困ったが、すぐに正直に答えてくれた。


「新しいセイリュウ公爵にテンロウ公爵家を代表してご挨拶に……という名目で、彼女とお見合いをしてこいとの父の命令なのです」

「サナさまの、おみあいあいて?」

「エドさん、けっこんするんか?」


 目を丸くしているイサギに、エドヴァルドは「いいえ」と首を振る。


「もうお断りされているのですが、政治的な色々があって、できるだけ口説いて来いとのことで……」

「エドさんは、けっこんしたいんか?」

「いいえ」


 公爵家の人間として結婚も義務なのだが、できればしたくないというエドヴァルドに、イサギは思わず口走っていた。


「おれと、けっこんしてくれへん?」

「……男性同士の結婚は一般的ではありませんね。特に貴族社会では、子どもを作ることが大事と言われますから、歓迎されませんよ」

「おれのことが、すきやないってこと?」

「イサギくんのことは、可愛いと思います。だからこそ、そんな子どもが産めないからとか、貴族的な馬鹿らしい問題であなたが傷付くことを望みません」


 7歳なりに一生懸命プロポーズしたつもりだった。

 真摯なプロポーズに対して、エドヴァルドは何も誤魔化すことなく、真剣なお断りの言葉をくれた。

 風呂に入って洗ってもらって、食事も取るようになると、すぐにイサギとツムギは回復した。


「ずっと閉じこもっててつまらなかったでしょう。少し歩きましょう」


 イサギとツムギが元気になったことを確かめたエドヴァルドが、屋敷から連れ出してくれて、エドヴァルドを挟んで三人で手を繋いで街を歩く。

 露店から流れる食べ物の匂い、美しい布を売り込む賑やかな声、食材の山と積まれた市。

 お昼には、バケットを一本丸ごとサンドイッチにしてもらって、イサギが右から、ツムギが左から、エドヴァルドが真ん中から噛み付いて食べた。

 旅の劇団が来ているのを見たときのツムギの目の輝き、ずっと繋いでいた手の暖かさ。

 何一つ忘れることはできない日々。

 その日々に終わりが来て、テンロウ公爵の別邸のある王都に、勉学のために戻るというエドヴァルドの脚にしがみ付いて、イサギは泣き喚いた。


「かえらんといて! おれとおって! おれは、エドさんがすきや!」

「ごめんなさい……あなたとは結婚はできないんですよ」


 後からサナに言わせれば、身分違いの恋で、しかも同性という許されざる求婚。あまりにも泣くイサギに、エドヴァルドは着ていたスーツのカフスボタンを片方外して、イサギの小さな手に落として渡してくれた。


「私とあなたの思い出です。どうか、元気で」


 健康で大きくなりますようにと、額に受けた口付けを最後に、イサギは引き離されて、エドヴァルドが馬車に乗って去るのを見送るしかなかった。

 更迭されたイサギとツムギの母親が、ひっそりと国を抜け出したのをサナは見て見ぬふりをしたのを、後にイサギは知ることとなる。

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