第9話 でも戦うのは誰だ

「留守番電話に、接続します。」


晩夏、杏里に電話を掛けた。自動音声の女の声が腹立たしい。








「どうせ明日も休み取ってるんだから、泊まって行ったらいいのに。」


「また近いうち顔出すって。そん時はまた世話になるからさ。本当、ありがとう。」


南は久々の再会を惜しみ、残念そうに言ってくれたが、俺はそれを固辞した。昔のスタジオ帰り、小田急線から降りるときと同じように、俺たちは手を振り合いながら新宿駅前で別れた。



キスと抱擁の海に溺れる男女。


世の全てを悟ったかのような占い師の老婆。


植え込みにしな垂れかかりながら勢いよく嘔吐している酔っ払い。


飛んで来た警察に注意を受けている憮然とした表情のストリートミュージシャン。


そして足早に通り過ぎ行くその他大勢。



間もなく日付も変わるか変わらないかの新宿西口広場には、人々の悲喜交々が交錯している。


俺のこれからは果たして「悲」なのか、それとも「喜」なのか。俺は今、それを確かめる必要があった。


暗中模索五里霧中の最中、俺は改札とは反対の方向へと歩みを進めた。




俺が東京にいた頃は、バスタ新宿なんてまだなかった。高速バス乗り場は昔は確か、高島屋の奥の方にあったように記憶している。時の流れを実感しては戸惑う。


俺は窓口で仙台行きの高速バスチケットを買った。夏休み前だからか、席に余裕があって良かった。



スーツケースを傍らに談笑する若い女子グループ。


お土産を抱えてバスの到着を今か今かと待つ初老の男性。


イヤホンをしたまま目を閉じて俯き座るサラリーマン。


虚空を見つめる年輩の女性。


そして一様に行き先へ向かおうとするその他大勢。




『これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関』




東京は別れの街だ。会えば必ず別れがある。


けれど、ふたつに別れてはまた元通りになることもある。それが今だ。




『花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ』




盃を受けてくれる友も一人減り、二人減り、ついには独りになったと思っていた。


しかし、南はそうではなかった。いや、そう思い込んでいたのは自分だけだった。



ずっと心のつかえが取れなかったのだ。全ては自分の望まぬ、予想し得ない方向へ事が運び、立ち向かう力を失くした。無気力だった。


震災が起きて、大野さんが死んで、音楽を辞めて。『がんばろう!』『復興!』なんてスローガンを掲げていたって、明日どうなるか分からない瀬戸際の地元に呑まれて、この場所と心中するように逃げ帰ってきて。そんなんでも社会にはしがみ付いていたくて、ニートになる勇気もなく、伝手を頼ってただダラダラと働いている。



全て己の根性なしが招いた結果だ。それでも大きなものに抗う術を持たない自分には、根性論で解決できるようなものには到底思えなかった。


世界は、人は、そう容易く変えることなんて出来やしない。



けれど、あのときの南の言葉が、ずっと頭から離れなかった。




『周りなんかどうでもいいから、自分自身ぐらいは信じてやんなよ。』




キクチ楽器店に初めて立ち寄った時。


大野さんと交流を持ち始めた時。


ピアノを再び触った時。


初めて曲を作った時。


バンドを組んだ時。


ワンマンライブを決めた時。


デビューの契約を結んだ時。


バンドを解散した時。



そう言われてみれば全てがそうだった。全ては自分の行動ひとつだった。


周りの意志でなく自分の意志で、自分の選択で、間違いなく自分の中の世界は変わっていたのだ。


そして今、正にまた、自分の中の世界は変わろうとしている。


南と久々に会う選択をしたのも。そしてこれから仙台へ向かう選択をしたのも。








「この電話番号は、現在使われておりません。」


晩秋、杏里に電話を掛けた。………。








八木山動物公園駅からはベニーランドの観覧車は見えない。


比べるものではないだろうが、水道橋やみなとみらいのそれとは違うんだな、と素直に残念に思った。



夜行バスに揺られ、仙台駅前に着いたのは早朝も早朝だった。さすがに朝早くから連絡しても悪いと思い、朝マックを食いながら30分くらい時間を潰していたら、携帯にメールが届いた。



『お早う

 深夜バスなら更々仙台に着いた頃かな

 八木山動物公園駅迄来れますか

 東西線の終点です

 気を付けて来て下さい』



改札を出てバスロータリーに向かうと、青色の軽自動車が停まっていた。


運転手は俺の姿を見つけると、車外に出て大袈裟に手を振った。何とはないが気恥ずかしいのと同時に、昨晩遅く連絡したにも関わらず、朝も早くから俺を待っていたと思うと申し訳なさが込み上げてくる。



「いんや、ミツ!久しぶりだない。」


「真樹夫さん、お久しぶりです。わざわざすみません。」


久しぶりに握手を交わした手は、昔よりも枯れていた。時の流れと、これまでの真樹夫さんの心労を一瞬で感じ取った。


「んだら、早速行ぐが。あ、いや、あれだな、先コンビニでも寄っでっが?線香買わねっきゃなあ。手ぶらだがら持ってきでねがっぺ?したらさっさど行ぐべハァ。」


話もそこそこに、いそいそと車に乗り込むやいなや、俺の意志を半ば無視して車を走らせ始めた。


本当似てるよな、そういうところ。兄弟って。




車はニュータウンを走り抜ける。ベニーランドの入り口を通り過ぎると、見えなかった観覧車が大きく見えた。


「いやあ、でもしかし、たまげだなあ。全然連絡寄越さねで、なじょしたんだっぺなあってずっと思っでだんだっけが。したっけ、まさかおめがら連絡寄越しでくっどは思わねがったハァ。まあでも、元気そうで何よりだあ。」


「すみません、ずっと不義理をしっぱなしで…。真樹夫さんにもあんなに良くしてもらっていたのに。」


「なあに、ほのぐれえのごど、構わねえよお。そりゃ、時夫によ、『俺の代わりに面倒見てやってくれ』って言わっちゃどっきは、『無理言うな、この、でれすけ』っては思っだげんとな。ハッハッハ!」


「フフッ、やだなあ、またその話。」


「まあでも、本当、おめが元気しでで良がった。まさが死んでんであんめな、って思ってだがらよ。んだがら、良いんだ。おめが元気だったら。それで。」


ただそれだけで、赦された気がした。それと同時に、自分の不甲斐なさを恥じた。



ふと杏里のことを思い出した。


あいつ、今、元気かな。何処で、何をしているんだろう。


…俺はあいつに一体何をしてやれたんだろう。




仙台城址を抜け、車は途中コンビニへ立ち寄った。俺は線香とライター、飲み物をふたつ買った。


「真樹夫さん、お茶、よかったら飲んでください。」


「いや何だっぺ、わりぃない。したら、行んかい。時夫もおめが来んの、待ってっぺがら。」


手渡したペットボトルを嬉しそうに真樹夫さんは飲んだ。


真樹夫さんは、いつも優しい。そして真樹夫さんには、いつも甘えっぱなしだ。昔も、今も。


たかが飲み物ひとつで何が返せると言うのか。でも、そんなことしか今は出来ない。


きっとその積み重ねなんだろうなとも思う。己の無力さを知り、己のちっぽけさを知るのだ。所詮、今まで降りかかってきた無情な現実と直面するよりも、人対人として直面した時に、自分がいかに取り止めのない存在であるかを思い知る。


でも直面するそれは、ただの劣等感なんかではない。紛うことなき、等身大の自分だった。誇大することなく、等身大の自分でいられるのだ。




車は国道を抜けると、小高い丘に差し掛かった。


「ほれ、あそご。見えだど。」


緑を抜けた先に、墓地が見えた。あそこだ。


ずっと行きたかった場所。そして、もっと早く、行かなければならなかった場所。



車から降りると、途端に強い風が吹いた。一瞬蝉時雨が止むと、強いクチナシの花の香りが鼻をかすめた。


何か神秘的な力が働いたように錯覚する。まるで俺が来たことを報せるかのように。ヤナギの木々が強風で騒めくのを見ながら、車のドアを閉めるのも忘れて半ば呆然とそこに立ち尽くしていた。


「ミツ、線香とライター、忘れでぐなよ。」


真樹夫さんの声で、はっと我に帰る。慌ててコンビニ袋を引ったくり霊園へ向かった。




整然と手入れされた参道を抜けて、一角にそれはあった。



大野家之墓。



花立てには紫色のグラジオラスと淡いピンクのカンパニュラが供えられており、香炉も周りの墓ほど灰がちになっていない。


きっと真樹夫さんや親族がまめに手入れをしているのだろう。とても綺麗に整えられている。



「時夫。ミツが来てくっちゃど。」


慈しみを湛えた真樹夫さんの呟きに、なんだか泣きそうになる。急いで線香を燃して香炉に入れ、手を合わせた。


長い時間のようで、短くもあり、なんだか不思議な時の流れを感じた。さっきまで強く吹いていた風は打って変わって穏やかになり、やさしく頬を撫でている。




大野さんがパーキンソン病を患ったのは、バンドが解散するかしないかぐらいの頃だった。キクチ楽器店も辞めざるをえなくなり、活動が一区切りつく度にしょっちゅう帰省していた俺と会う頻度も激減した。


その代わり、あいつの面倒を見てやってくれ、と頼んでいたのが、彼の兄である真樹夫さんだった。


真樹夫さんはもともと首都圏で学生生活を送った後、都内の有名企業に勤めていたこともあり、東京の人脈が豊かにあった。


俺がバンドを辞め、マイナスからの音楽活動のスタートを切った時、東京時代の知己に口添えをして支えてくれたのも真樹夫さんだった。そのお陰で俺は細々ながらスタジオミュージシャンとして生計を立て、ソロで音楽活動をすることが出来た。




大野さんの死後、真樹夫さんは彼の遺骨を持って、彼等の故郷である仙台に戻った。


俺も後を追うように、東京から地元へおめおめと逃げ帰ってきた。だからこそ、最早合わせる顔がなかった。仙台なんて行こうと思えばすぐに行ける距離なのに。



でま、それ以上に、俺はきっと、大野さんが死んだことを、心の何処かで認めたくなかったんだと思う。


真樹夫さんから節目の度に連絡をもらっていたが、俺は一切応じなかった。正に、忘恩の徒だ。


一番辛いはずの身内が受け入れて前に進んでいるのに、ただの一介の弟子風情がこんなにも囚われたまま先に進めないなんて。


自殺した父親だって、龍馬の親父さんだって、墓参りにすら行けるのに、これほどまでに大野さんの死を認めたくないだなんて。



認めたくなかった。一番に認めて欲しい人にもう認めてもらえないことを。



頭の中で整理がついた途端、堰を切って涙が溢れてきた。



「ミツ、時夫はな、おめが生ぎ生ぎしでっどご見んのが、一番の生ぎ甲斐だっつっでだんだあ。んだがら、おめがずっと墓参りさ来らんねがっだのも、きっと時夫が『今のおめには会いだぐね』っつっで拒んでだんだっぺ。」


何もかもお見通しだったのだ。言葉にしたいのに、言葉が出てこない。その代わり嗚咽が涙と一緒に垂れ流れる。


「昔みでに、やりてえごどやれ。塞ぎ込んでだら駄目だ。おめが生ぎ生ぎして暮らしてっごどが、きっと時夫の供養にもなっから。な。」



生き生きとして暮らすこと。



音楽はまだこんな俺を受け入れてくれるのだろうか。それとも、まだ見ぬ何処かの世界が、こっちへおいでと手招きしているのだろうか。


今はまだ分からない。けれど、俺はもう進み出さなければいけないことは分かる。


俺の今までは、暗闇の中の一筋の光に導かれる人生だった。何処を見渡せど光が見付からないのならば、自分が光を灯しに行くしかないのだ。



戦うのは、自分のこれからを切り拓くのは、紛れもなく自分なのだ。








「……もしもし、先輩、…お久しぶりです……。」


年の瀬、知らない電話番号からの留守電に入っていた声は、あの時の泣き声ではなかった。

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