第8話 やりたいこともやるべきことも分かっているのに何を迷う
「どうぞ、名前だけでも覚えて帰ってください!では、次の曲、行きます。」
大体にして、名前だけでも覚えて帰ってくれ、と言う奴に限って曲も平凡ならセルフプロデュースも中途半端だったりするんだ。他力本願なうちは絶対売れない。
なんてことを未だに平気で思う自分がいたことに、ふと我に帰った瞬間心底浅ましく思った。昔の血が騒ぐ、と言うには正に負け犬の遠吠えが過ぎる。口に出さなくて良かった。
何様のつもりなんだろう。
そして今ここにいること自体、厚顔無恥もいいところなんじゃなかろうか、とかえって恥ずかしくて居心地が悪くなる。自分から望んでこの場所に来たのに。
「ミツ、ああいうタイプの子、あんま好きじゃないでしょ。あたし分かるから、あんたの趣向。」
ライムの挿さったコロナビールを受け取る。その野暮な質問には答えず、ライムを瓶の中に押し込んで呷った。
鼻腔を掠めるほろ苦くも爽やかな青臭さは、ステージであっぷあっぷになりながらも一所懸命にギターをかき鳴らしながら歌う少年とリンクする。好きじゃない、けど悪くはない、と思った。
「でもね、荒削りだけどね、結構いいもん持ってんのよ?アイツ。だから今ね、少しずつゆっくり育ててるとこ。」
ジントニックを飲み干して、感慨深げに南が言う。その眼差しは凛としていて、俺たちが一緒にバンドをやっていた頃の無気力な目付きではなかった。
自分でも何故そうしたのか、説明がつかない。
SNSでは未だ東京時代の人間とは繋がってはいたが、俺が打ちのめされて帰郷してからは、その殆どとは全く連絡を取り合うことはなかった。
だが、本当に何となく、何の気なしにポストした、
「疲れた」
の一言に、何故か南が反応を返した。
そして、ただの呟きひとつのリプライに、俺は何の気なしにリプライを返した。
それがあれよあれよと言う間に、お前休みは取れるのか、東京まで出て来ないか、久々にライブ観に来ないか勿論チケット代は私が出すから心配するな、帰れるなら日帰りでもいいが泊まるなら安いホテルが近くにあるから取ってやろうか、などと、とんとん拍子に東京行きが決まった。
そして、もう二度と来ることはないだろうと思っていたライブハウスのフロアに、また立っている。
これが正常な判断じゃないとすれば、きっとやっぱり、俺は本当に「疲れ」ていたのかも知れない、と思った。
南は音楽事務所のマネージャーになっていた。
無名の新人から育成してもう3組デビューさせている。ステージのあのギター弾きの少年も、デビューに向けてライブの本数を増やしているという。
「ありがとうございました!」
最後の曲が終わった。まばらな拍手の中、屈託のない満面の笑みで彼は客席に向かって深々とお辞儀をする。
でもあれは、納得の行っていない顔を隠すんだ。俺には分かる。俺も昔よくそうしていたから。
終演後、ギター少年が俺たちのところに挨拶に来た。俺とは二言三言他愛ない会話を交わした後、彼は精算に向かった。
特に印象的な人間ではないが、南が目を掛けているのも分かる気がする。
未来の展望が約束されているような、萌える新緑に似たやわらかいエナジーを持った子だった。
やっぱり俺とは違う。俺は、違う世界の人間。
あの頃を思い出し、次第に卑屈になる。
残りの酒を一気に呷ったら少し胸のあたりがむかついてきた。ドロドロした醜いものが自分を支配していることに気付く。
「いやあ、でもさ、頑張ってる姿を見せてるだけで応援したくなるっていうのさ、若いうちの特権だよな。」
「え?それ、どういう意味?」
「なんだろうな、まあ社会の厳しさって言うかさ、現実とかそういうのも知って大人になって行く訳だからさ。俺たちの年になるともう頑張りようもないしさ。」
「いや、でもそれはさ…。」
「いやでも南っちはすげえよな、よくやってる。うん。俺なんかと全然違う。運も良いし、性に合ってるんだと思うよ。それに比べて俺なんかこんな
「あのさ。」
遮るように言った南の目はマジだった。
「なんだよ、んな怖い顔すんなよ。」
「頑張ってない奴が頑張ってる奴のこと、とやかく言う資格、ないからな。それさ、好みだとかそうじゃないとか、運が良いとか悪いとか、お前だからあたしだからとかそういう話じゃないからな。」
「南っちさ、落ち着けよ。何もそこまで言わなくたっていいだろ?」
怒気を含んだ物言いをなんとか穏便に抑えようと宥めるが、南はなおもまくし立てる。
「ミツさ、お前、逃げんなよ。自分以外のせいにすんなよ。折角逃げないで今ここに来たんだろ?頑張ってないって開き直って隠れ蓑にすんの、周りのせいにして被害者ぶんの、もうやめな。」
図星過ぎて返す言葉がない。
そんなこと、分かってはいた。分かってはいたが、というところでモヤモヤした感情も、正論の前では上手く言葉に出来ない。
「あたしはあん時、あんたのこといけ好かねえって思ってた。ワンマンだし、意固地だし。でも、頑張ってバンドの頭張ってるあんたの姿、かっこいいと思ってた。だから自然に、頑張ってる人の後押しをしたいって思うようになったんだよ。それが今の仕事に繋がるんだけど。」
「……。」
「頑張るって、頑張ってる人って、いくつになったってかっこいいの。無様でもしがみ付いて、それでも、って自分の本気に向かい合う人って、すごく尊いの。蔑まれたって、嗤われたって、哀れに思われたって全て往なして、涙目で汗だくになりながら叫んでる人の方がずっと偉いの。あんたは昔そうだった。でも今はそうじゃない。マジモンのクソだよ。」
マジモンのクソ。
( クソみてえな音楽、やってんじゃねえぞ。)
大野さんの言葉を思い出す。音楽も辞めて、何もかも無気力になって、クソみてえな人間やってます、すみません大野さん。
「だからミツさ、まだ自分が音楽にやり残したことがあるなら、もっかいやりなよ。でも、音楽じゃなくたっていい、あんたが本当にやりたいこと。今からだって始めたらいいじゃん、やりなよ。ね?」
素直に「うん」とは言えなかった。空になった瓶を握り締めながら、じっとフロアの床を見つめる。
「バンド解散する時さ、あんた言ったよね?覚えてる?
『誰を何を信じたらいいか分かんねえ』
って、あんた言ったよね?だったらさ、」
南が一呼吸、深くため息をつく。
「周りなんかどうでもいいから、自分自身ぐらいは信じてやんなよ。」
情けなさすぎて涙も出ない。全て見透かされているのだ。
今さら何を、という思いと、じゃあ俺はこれから何をすれば、という思いが交錯している。頭の中がまとまらないのは酔いのせいにしてしまいたいが、南はそれを許さないだろう。
きっとこの世の終わりみたいな顔をしていたんだろうと思う。
南は俺が握り締めた瓶をおもむろに引ったくり、俺の頭を強めに平手で叩きながら、辛気臭え顔してんじゃねえよバーカ、と戯けた。
「あたし、分かるよ。あの頃のかっこいい時のミツ、まだあんた自身の中にきっといるから。」
そう言った南の瞳は、潤んでいるように見えた。
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