第6話 生きること下手くそでも次へ次へ進んで行けるの?
「こんなんじゃダメ。通用しない、やり直し。」
あるリハーサルの日、湊人は気まずそうに三弦と四弦の運指を確認し、耕司はため息を深く吐きながらレスポールのチューニングを始めた。南だけはドラムスローンに座ったまま回転しながらペットボトルの烏龍茶を飲み出した。
「この新曲はテーマがしっかりした歌詞なんだから、演奏もそれに合わせてカッチリ決めてくれないと困る。特にラスサビの入り。あと、湊人くんはコーラスちゃんと音程合わせて。それから耕ちゃんと南っちはーーー」
「ねえ、ミッちゃん、1コ1コやっつけて行こう?」
湊人が遮るように言った。彼の駄々っ子を宥めるような言い方には、俺はいつも腹が立った。
「あのさ、湊人くんさ、いっつもそう言って後回しにしようとするじゃん。ここ大事なところなんだよ。」
「光臣、ない袖は振れねえんだよ。これは各自持ち帰って個人練習で整理した方がいい。時間対効率が悪いだろう。それよりも "ハリネズミの歌" と "ネコの歌" の方がレコーディング控えてるんだから、そっちの精度を上げて行く方が今は合理的だと思うが。」
理詰めで被せてくる耕司は、いつも俺に反論の余地を与えなかった。
「ねーとりあえず休憩しない?あたし一服したいんだけど。」
鞄から煙草を取り出していそいそと移動しようとする南は、いつも何処までもマイペースだった。
ため息をつきながらひとりになったリハーサルスタジオで黙々と練習を重ねた。
「自分たちが『音』を『楽』しむのが先じゃねえ、客を『音』で『楽』しませるのが先なんだ。」
大野さんの格言をずっと心の中で反芻しながら。
精神的には限りなくストイックで、でも何処かこの現状に対して、多方面にほんの僅かな綻びを見つけていた、まだこの時は、そんなような気がしていた。
「それが自分も面白いと思ってやれることだったら、すごくハッピーだぜ。」
それは素直に、そうですね、と肯けない自分がいた。反射的に半ば自棄に電子ピアノのタッチが荒くなる。相乗して歌い方のニュアンスも荒くなる。
「
無
力
さ
を
知
る
夜
が
あ
っ
て
・
・
・
」
そんな自分の無力さにも、あの時は気付かない振りをしていた。
それから2週間後、その日はレコーディングの2日目、荻窪のレコーディングスタジオからの帰り道での出来事だった。
1日目のレコーディングは、予定していた2曲の楽器録りがとてもスムーズに進み、ボーカルまで完全に録り終えることが出来た。これで2日目にコーラス録り、そして音のミックスまで余裕を持ったスケジュールを遂行できるはずだ。
これには少し張り詰めていた心に余裕が出来た。だから、1日目のレコーディングが終わった後、耕司がおずおずと、
「悪いんだが、ちょっと体調が悪くて明日のレコーディングとミックスの立ち会いは不参加にさせて欲しい」
と言ってきたのも、何の疑いもなくOKを出した。
2日目の進捗状況も上々で、これは間違いなくいい曲になる確信があった。そして、今後のバンドもそれに伴ってもっと伸びて行く確信があった。
それに関してはきっとあの時、湊人も南もそう思っていた、と思う。今となっては確認する術がない。
手応えを感じながら中央線にのり、東十条に住む湊人とは新宿駅で別れた。南と他愛ない話をしながら、小田急線の乗り換え口に向かっているときだった。
こういう時に何故、数多の群衆の中からピンポイントで見つけてしまうのだろう。
体調が悪いと言って自宅で寝ているはずの、耕司がいた。しかもスーツを着て。
「…ちょ、南っち!あれ、あそこ!」
え、何?と訝しがる南の方を振り向いて、ほらあそこ、と指差して視線を戻した時には、もう既に耕司の姿は何処にもなかった。
「いや、耕ちゃんらしき人がいたんだよ。見間違いかな、あいつ、スーツ着てたから、まさかそんなことないよな。」
「ああ、就活帰りなんじゃないの?あいつ。」
さらっと南が放った言葉に理解できず、振り返って一瞬固まった。言っている意味が分からない。
気が抜けた「はあ?」という言葉と、肩がぶつかったケバい女の舌打ちが、雑踏の喧騒の中シンクロした。
「えっ、ミツ、まさかあんた何も聞いてないの?ってか早く歩いて、小田急線間に合わないよ。」
南に急かされて小走りで改札まで向かう、その数十メートルが恐ろしく長く感じた。頭の中ではもやもやがぐるぐると渦を巻いて、正常な思考と理解を妨げていた。
車両に乗り込み、事の顛末を南に話した。
南はひと月前、耕司が就活していることを湊人から聞いて、耕司本人に確認したと言う。そして、俺が耕司の不在を容認したということは、俺は耕司の状況をもうとっくに知っているものだと思っていたらしい。
何故耕司は俺に嘘をついたのか。
何故湊人も知っているのに教えてくれなかったのか。
嘘をつかれた悲しみと裏切られたと思う怒りが綯交ぜになり、泥酔したサラリーマン風の親父が吐く臭い呼気のアルコールと反応して、途端に空気の質量が重さを増した。
大きく膨れ上がった破裂寸前の風船のようなわだかまりは、車両全体を内側から圧迫したまま、電車はそのまま発車した。
俺は、皆が同じ熱量のもとで、同じ方向を見ながら、同じビジョンを描いているものだと信じて疑っていなかった。
でも、それとこれとは、俺が思い描いていた限りなく現実に近い理想と、彼等の見ている理想的な現実とは、どうやら話が別らしい。
レコーディングした2曲をリリースする予定の手前、バンドの活動の歩みを止める訳には行かなかった。だからこのことも南とふたりで共有するだけにとどまったし、俺は何も知らない体でいた。
耕司も湊人も俺に本当のことを伝えてくれなかった、だからお前らと同じおあいこだ、とも思ったし、単純にそれよりもバンドの音楽が人それぞれのプライベートのことよりも最優先だと思っていた。
俺の中でのその牽制状態は、約半年近く続いた。
冷戦状態のように、何もない期間はただ淡々と粛々と続いて行くのに、何か出来事がある時は、同じタイミングで怒涛のように立て続けに出来事が起こるのは一体何故なんだろう。そのメカニズムを解明してくれた人に、俺は個人的にノーベル賞でも授与したい。
リリースのタイミングで、バンドは解散した。
決まっていたリリースのためのレコ発ライブが何本かある中で、耕司が脱退を申し出てきた。
俺は非道く罵った。言うのも憚られる程、口汚く罵った。
修羅場と化した状況で、湊人も辞めたいと言い出した。
結果、予定していたライブは全て飛んだ。
解散ライブにすらもならなかった。南は、二人でもやれるならライブはやった方がいい、と言ったが、俺はそれを固辞した。
自棄になっていたのもあるが、それはバンドというものに拘った俺の、半ば意地だった。
終わりはいつだって呆気ない。
バンドとして構築してきたものも、メンバーとの人間関係も、関係者各位やライブハウスからの信用も、全て失くした。
残ったものは、リハーサルスタジオで合わせたっきり完成させられなかったままのあの未発表曲だけだった。
今でも腹が立つし、情けないし、辛くなるから、ふとあの時を思い出すときも、さらりと掻い摘んでしか反芻しない。次第に詳しいことも思い出せなくなってきた節もある。脳の防衛機能というやつなんだろうか。
でもただ唯一、4人で対面して最後に俺が叫んだ言葉は、そしてそれは、そこから先、ずっと俺の中に楔として残り続けることになる。
「俺はもう、誰を何を信じたらいいのか、分かんねえよ!」
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