第5話 残酷にも日々は続くのだろう
「…いらっしゃい。」
ここは…キクチ楽器店…だな。あれ?…大野さんがいる。ぶっきらぼうに対応する癖の強い言い方、本当いつも通りだよなあ。
「…ボウズ、いっつもメンバー募集の掲示板覗きに来てるけど…、バンドやりてえのか?」
はい!そうなんです!…なんて最初は素直に言えなかったっけな。あの時、いきなり話しかけられて面食らったのと恥ずかしさで、咄嗟に出た言葉は、いや…あの……すみません!
そうして飛び出して行ってしまったのに、結局何故か次の週また来て、また大野さんに見つかって、同じ質問されて。
「ボウズ、楽器は何やってんだ?」
散々周りの連中からは、男なのにピアノやってるなんて、とか、なよっちい、とか揶揄われたけど、大野さんだけは違ったんだよな。
「ベン・フォールズって知ってっか?コールドプレイのクリス・マーティンだって、ライブじゃピアノ弾き語りやっててカッケえぞお。あとは何と言っても、よっちゃん!あのピアノは最高だぞ。」
大野さんは何故かYOSHIKIをあたかも幼馴染か何かのように親しげに、よっちゃん、と呼ぶ。
「男でピアノやっててフロント張ってる奴なんて、この界隈じゃあなかなかいねえぞ。歌は唄えんだろう?ボウズ。なら、チャンスだ!誰もやってないことをやるなんて、面白えじゃねえか。いつまでも募集の張り紙なんか見てないで、自分で募集かけちまえ!」
思い返せば大野さんは、もうこの時から既に強引だったなあ。
「いいかボウズ、バンドやるならな、ちゃんと音楽やれ。音楽ってのはな、クソみてえなミュージシャン気取りの連中は皆勘違いしてるんだ、自分たちが『音』を『楽』しむのが先じゃねえ、客を『音』で『楽』しませるのが先なんだ。」
大野さんの格言は確かに的を射ていた。
「だからな、聴いてもらうにはな、まずは皆が面白そうだと思ってもらえる音楽をやれ。それが自分も面白いと思ってやれることだったら、すごくハッピーだぜ。」
そして周りからあんなに揶揄われ、習い事の一環で惰性で続けてきたピアノが、ここにきて自分の人生を変えるなんて。
「っつって別にコミックソングをやれって言うんじゃあねえんだ。人がボウズのライブに行った時、ボウズの曲や歌を聴いた時、ボウズのやっていることに触れた時、無条件に『良い』って感じ取ってもらえる音楽をやれ。いいな。」
虚無的な学生生活は変革を迎えた。だけど、俺は今でも思ってしまう。
俺がピアノをやっていなかったら。音楽に興味を持たなかったら。バンドを組まなかったら。
もしかしたらもっと違ったまともな人生だったかも知れないって思うと、何が良かったのだろうかと、本当に胸が苦しい。
そして何よりも、大野さんと出会ってなかったら。
「好きだけじゃあ、な、物事、そう上手くやって行けねえんだ。でもな、ミツ、好きなことがあるってのは、いいことだぜ。」
なあ大野さん。
「いやあ、さっきの地震すごかったなあ。これからまた大変になってくるぞ。」
俺は大野さんがいたから、ここまでやって来れたんだ。でも、大野さんがいたから、こんな風にもなっちまったんだよ。
「お前んとこは何ともないか?今スタジオか?大丈夫なら良かった。」
大野さんは最後にあの時、どういう気持ちで、どういう意味で、俺にこう言ってくれたのかな?
「ミツ、お前は本当に、音楽が好きなんだなあ。」
ボタ、
ボタ
ボタ
ボタ
ボタ、
ボタ、
ボタ
ボタ
ボタ、
と勢いよくベランダの手摺りに打ち付ける雨垂れの音で、目が覚めた。
「2名様ぁ、ご新規のご案内でぇす。」
間延びした声の若い女性店員にテーブル案内されると、それと対比するかの如く厨房から、ハイラッシャアッセエエェ!、と威勢のいい掛け声が飛んできた。
「悪いな、思いつくのがここしかなくて。この居酒屋たまにひとりで来るんだけどさ。」
「いやあでも、雨だから入れるだけありがたいです。それに今歓迎会の時期だから、何処もいっぱいなのはしょうがないですよ。あ、先輩、奥どうぞ。」
「いや、お前が奥行けよ。俺、酒飲むとシッコ近くなるから、手前の椅子の方が都合良いんだよ。」
「先輩、本当デリカシー…。あ、お姉さんすみません、生中ふたつくださーい。」
注文してからすぐに、失礼しまぁすお待たせしましたぁ、とさっきの女性店員が運んできた生ビールを受け取り、まずは乾杯をした。突き出しの煮物や茄子の浅漬けをつまみながら、軽く他愛もない話を交わした。
「そういや、今日俺と飯食いに行ってること、店の誰か知ってんの?」
話の流れでふと気になって訊いてみた。
「ああ、龍馬さんには言いましたけど、他の人には。あ、そう言えば龍馬さんから、昨日はありがとう、って。伝言です。」
「あ、そう。了解。ってか、明日シフトあいつと被ってるから、別にわざわざ伝言頼まなくても良かったのに。…まあ、ってことは、ユーゴさんは知らない訳ね。」
「ええ、余計なこと言うと、また先輩に風当たり強くなりそうだから。」
この間の一悶着はやっぱり見られていたのだろうか。何となく、気まずさと、余計な気遣いをさせてしまった申し訳なさが込み上げてくる。
「先輩、お店、働きづらくないですか?」
「いや…まあ…、でももう長いことやってるから。」
「私、不思議だなあと思ってて、でもずっと訊くタイミングがなかったんですけど…、龍馬さんだけはいつも先輩に対して態度変わらないですけど、龍馬さんとは昔からお付き合い長いんですか?」
「ああ。元々あいつの親父さんと俺の親父が仲が良くて。うちの店、元はあいつの親父さんが始めた店なんだよ。」
「へえ、そうだったんですね!」
「それで、小さい頃はあいつん家の近所に俺が住んでたから、よくお互い遊んだし、親父にもよく店に食べに連れてきてもらって、すごく良くしてもらったんだよ。家の都合で俺が中学卒業する頃に引っ越して、一旦はそれきりだったんだけど。」
自分語りはやっぱり何処となく気恥ずかしい。ジョッキのビールを一気に呷り、すみません生中もう一杯、と通りすがった男性店員に注文する。
「え、じゃあ、先輩、元々昔からお店に通ってたお客さんだったってことですか!?知らなかった。」
「ん、まあ、そうだけど、でも引っ越してからは全然でさ。」
失礼しまぁすお替わりでぇす、空いたジョッキお下げしまぁす。
「なんか、前も訊いた気がしますけど、先輩って何でここで働くようになったんですか?やっぱり龍馬さんのお父様がやってらしたからですか?」
「いや、別にそういう訳ではないんだが……。」
過去の傷口が開いてしまいそうで、言い淀んでしまう。だが、俺の意識は目を背けた過去よりも、今朝見た夢の方へと向かっていた。
大野さん…。
「……俺が高校入る前に親父が死んだんだよ。自殺して。そのあと、工業団地の方にある母方の実家に引っ越した。ピアノも習ってたんだけど、そん時に辞めた。」
俺はビールを呷りながら、何かのスイッチが入ったように話し続けた。
「高校入っても周りと上手く馴染めなくて、毎日持て余しててさ。そのときふと、駅ビルの先の方にキクチ楽器店ってあるだろ、あそこに立ち寄ったらさ、ふとしたきっかけでそこのオーナーと仲良くなってさ。音楽に関するいろんなアドバイスもらったり、全然関係ない話もしたりしてさ。」
杏里はただ黙って、俺の目を見ながら静かに聞いている。
「そこからバンド始めて、何かある度にオーナーにアドバイスもらったり話聞いてもらったりしてたんだけど、デビューすることが決まったとき、報告に行ったんだよ。そしたら、やったな!それじゃあ俺の行きつけの店でお祝いするぞ!、って言ってくれてさ、連れて行ってもらったのが、まさかのうちの店でさ。オーナー、うちの店の常連だったんだよ。」
「へー!すごい!それはまさかですね!」
「そこで本当に久々に、龍馬の親父さんと再会したんだ。そしたら龍馬も下働きのバイトで。もうあのときは皆すごいテンションだったよ。でも、思い返せば、親父が死んでから、オーナーは俺の第二の父親みたいなもんだったんだよなあ。それから作品のリリースだったりだとか、ことある毎にうちの店に連れて行ってくれたんだ。」
杏里はさらに一層、輝かせた目を丸くしながら身を乗り出している。
「でも、いろいろあって俺がバンドを辞めたとき、オーナーは病気でさ。店にもなかなか出られなくて自分も辛いだろうに、龍馬の親父さんに俺のこと掛け合ってくれてたんだよ。ミツのこと何とか気に掛けてあげられないか、って。」
「そうだったんですね…。」
「でも、その後…あの地震のときな、津波で流されちまってさ、オーナー。それもあって音楽辞めて自棄になってた俺を、ミッちゃんうちで働けよ、って龍馬の親父さんが言ってくれて働き出したのがもう何年前かな。まあ、そんな親父さんもそのすぐ後、急な事故で亡くなって。」
「……。私、全然知らなかった。」
「俺、大事な人がこうしてどんどん亡くなってくとさ、俺って本当に無力だなあって痛感するんだよ。そんで、それでもさ、残酷にも日々は続いて行くもんだからさ、参っちまうよな。」
何でこんな辛気臭い話をしているんだろう。
大野さんの夢を見てしまったせいなのだろうか。
「まあ、そんな俺のどうでもいい話はこれで終わり。そんなことより、お前も今日は何か話したかったこと、あんだろ?」
ぱっと我に帰った道化のように杏里に話を振るが、杏里は目線をテーブルに落としたまま、何か言いあぐねている様子だった。
少し喋りすぎたな。
ばつが悪くなり、ジョッキのビールを一気に呷った。
飲み干したのを見計らったのか、杏里がおずおずと口を開いた。
「…私も、無力だなあって思うことがあって、それは今も続いていて…。本当はこうしたいって思っていても、それが出来なかったり、させてもらえなかったり…、それは私が女だからとか…ううん、いや、もっと根本的な感覚的なものだったりもするんですけど…。」
以前、料理とは、と意気揚々と輝きに満ちて喋っていた彼女の姿はそこにはなかった。少し酔いが回っているのか、それでも、まとわり付く不安に苛まれる杏里は、いつもの溌剌とした杏里らしくなかった。
「でも、私、例え無力だとしても、どうしてもこの道で結果を出したいんです。私が、私として、ひとりの人間として、認められるように。…今日言おうと思ってたんですけど…昨日のサントノーレ、私、あれを商品化しようと思います。ユーゴさんにも、勿論皆さんにも話は通しますし、迷惑は掛けません。もしこれが上手く行けば、きっとヴ-----
ヴ-----
ヴ-----
テーブルに置いていた杏里の携帯に着信が入った。
「母」からの着信だった。
ちょっとすみません、と席を立って、はいもしもし?、と小走りに店の外に向かって行った。
杏里が不意に見せた不安と焦燥の理由が、何となく分かった気がした。
「ミツ、お前は本当に、音楽が好きなんだなあ。」
あの言葉が脳内で繰り返し再生されている。
誰かに認められたいと思ったときに、「好き」の理由が「好きだから」でなくなることを思い知ったあの日。
好きなことを仕事にしてはいけない、と無責任な大人たちが言った言葉の本質が、それを経験して初めて理解した日。
でも、それでも。
「好き」を貫き通すことは尊いことだと、俺はまだ信じられるだろうか。
「ミツ、お前は本当に、音楽が好きなんだなあ。」
「好きなんだなあ。」
おかしい、今日は酔いが回っているみたいだ。
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