第2話 遠く夢見る桜吹雪
「ユーゴさんって最初名前聞いた時、バリバリの日本人を想像していたら、すっごい長身の金髪外国人が現れたから本当びっくりしたんですよ!"勇吾"とか、"優悟"とか。」
杏里は快活な人柄からスタッフともすぐに打ち解け、入社してから丁度2週間が経ったこの日の歓迎会でも和気藹々とした雰囲気の中、朗々と喋り続けている。
「ソウ、"Hugo"デ、ユーゴ、ト読ムンデス。デモ、フランス人ノ名前、スペルトカ読ミカタ、日本人ニハ難シイ多イデスカラ、ユーゴ、名前読ミヤスイト思イマス。」
フランス人シェフのユーゴ・メッソンは、日本で自分の店を持つために独立を目指して、今年で勤続4年目になる。彼は杏里とは特にウマが合うようで話が弾んでいる。
「ってか、そもそもユーゴは何で日本で独立目指すのかって、杏里ちゃん、聞いた?」
大ジャッキをすっかり空にしたところでニヤニヤしながら尋ねるのは、パートタイムで働くホール担当の増子さとみだ。ふたりの子どもをもつ主婦だが年齢はまだ30代半ばで、竹を割ったような爽やかな性格から周りのスタッフは「姐さん」と呼んで慕っている。
杏里がその問いに首を横に振ると、さとみと示し合わせたようにユーゴが胸を張って答える。
「ソレハ、僕ノフレンチノ店出スコト、子ドモノ頃カラノ夢デス。ダケド、何故日本選ンダト言エバ、、、僕、日本ノアニメ・漫画・アニソントカ大好キダカラデス!」
「どっちが主な動機なんだか、分かんねえよなそれじゃ!」
「ボヌール・シュエット」の厨房の采配一切を取り仕切る藁谷料理長の一言で場にどっと爆笑が起こる。
ちんまり残ったビールを飲み干しながら、俺も愛想笑いを浮かべる。
こういう場面は苦手だ。こんなときは話を合わせつつひたすら飲んでいるに限る。
「アニソンって言えば、杏里ちゃん、猪狩ってこう見えて歌上手いんだよ。コイツ昔音楽やっててさあ。」
やにわに龍馬が話し始めた。
「おいやめろよ、そんな話。」
焦って咄嗟に龍馬の発言を遮るも、ほろ酔いの龍馬は無視してなおも話を続ける。
「7〜8年前にThe Heartbeatってインディーズ界隈で有名なバンドいたの知ってる?あれのピアノボーカルやってたんだよコイツ。"MITSU"って名前でやってたんだよな?音楽雑誌とかにも出ちゃってさあ。」
「あ……。へえ、すごい!そうなんですか!」
杏里が驚いて俺を見つめる。気恥ずかしさと居心地の悪さ、そして無遠慮にベラベラと喋る龍馬に苛立ちを覚えた俺は、
「ちょっと煙草吸ってきます。」
と逃げるように居酒屋の店外にある喫煙所に逃げるように向かった。
過去の積み重ねで今が作られる。
過去の積み重ねで人は作られる。
でも、その積み重ねてきた過去が全て崩れてしまったら。
しかも、自らの手によって崩壊させてしまったら。
人は言う。終わりは始まりだ、と。
ひとつの物事が真っさらになったとき、そのゼロからのスタートは、ある意味では何でも出来る、何処にでも向かえる、ということだ。
しかし、そんなの理想論に過ぎない。
それまで積み重ねてきたものの欠片が、がらくた同然に無残な姿で散らばっているのを目の当たりにしたあのとき、俺は思った。
俺の積み重ねてきたものは。
俺の積み重ねてきたことは。
こんな価値のない塵芥のひとつにしか過ぎなかったのか、と。
杏里と初めて挨拶した時に俺が作っていたテリーヌ。
あれにすら寄せ固められない潰れた野菜の屑と同然の経験値とは一体なんだったのか、と。
「ちょっと煙草一本もらえません?」
吸いさしの煙草を押し消そうとした瞬間、不意に背後から声が聞こえ、思わず驚いて振り返った。杏里が穏やかな表情で微笑んでいた。
「…なんだお前か。…あれ、お前、喫煙者だっけ?」
「いいえ、でも経験値を稼ぐのも大事かなと思いまして。RPGゲームの勇者だってそうでしょう?レベル上げは大事です。」
「…は?何だそれ。」
ゲームの中で煙草スパスパ吸ってレベル上げしている勇者なんか見たことねえよ、と指摘したい気持ちを抑えて、徐ろに煙草の箱を杏里に差し出した。
「ところで、猪狩さんって光明高校出身なんですね、さっき龍馬さんから聞きました。猪狩さん、私の先輩ですね!私も光明高校出身なんですよ。あ、でも私は大学進学コースじゃなくて早いうちに調理師学校に進路選択したのでカリキュラム全然ゆるかったんですけど。」
「…あ、そう…。」
「そう言えば、在学中、何こか上の先輩で音楽やってる有名な人がいるって聞いたことがあったんですけど、それ先輩のことだったんですね、さっき点と点が線で繋がりました!」
「…煙草吸わないの?」
「先輩、何で音楽辞めちゃったんですか?」
「…お前、人の話、聞いてる…?」
「聞いてますよお。音楽辞めて、何でここで働くようになったんですか?」
「…教えねえ。」
少し苛立たしくなって俄かに煙草の箱を胸ポケットに仕舞い、踵を返した。
「ええー、何で、いいじゃないですかあ!」
「嫌だ。どうしてもって言うならなあ。」
「どうしてもって言うなら?」
「……一発ヤらせろよ。そうしたら教えてやるよ。」
面倒事を有耶無耶にしたいがために出し抜けに下世話な言葉を投げ掛けた。勿論本心ではないけれど、別にどうだっていい。
だがしかし杏里は一瞬の沈黙の後、俺の目を見てしっかりとした口調で言った。
「それは、嘘ですね。」
「…何がよ?」
思わず面食らって問う。
「だって、先輩の好きな女性のタイプ、ミーガン・フォックスみたいなセクシーな美人だって、龍馬さんが言ってましたから。私とはセックス出来ないはずです。」
「……馬っ鹿じゃねえの。」
大真面目に言う杏里に少し呆れ、苦笑しながら答えた。
「フフッ、先輩って愛想笑いじゃなくてもちゃんと笑えるんですね。基本仏頂面しか見たことないからびっくり。」
「うるせえ。俺だって人間だぞ、笑いたい時は笑うさ。」
顔を見合わせて、お互い悪戯っぽく笑った。
春は盛りといえども、夜風は少し冷える。遠くで白い花びらたちが宙に舞った。
そろそろ戻るか、と声を掛けようと思った。
が、一瞬ふと我に返って杏里に怒鳴った。
「ってかお前、なんで俺の出身校とか好みの女のタイプとかプライベートなことまであいつから聞いてんだよ!個人情報漏洩だぞ!」
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