かくれんぼ


 アパートの部屋の電気をつけ、俺はスーツのままソファにうつ伏せで倒れ込んだ。残業のせいでかなり疲れていた。これも無理矢理仕事を押し付けてきた部長のせいだ。養う家族や愛する彼女でもいれば、心も癒されるのかもしれない。でも俺は独り。「あーくそ」と俺はクッションを部長の油だらけの顔面に見立て拳をめり込ませた。


 何回か殴り、憤りが徐々に薄れていくと、小便に行きたくなった。俺はソファから起き上がり、スーツをハンガーに掛けるとトイレに向かった。


「うわあああああ!!!」


 俺は驚きのあまり後ろに吹っ飛んだ。背中が壁に激突したが、痛みは感じなかった。


「だ、誰だよお前!」


 俺がトイレのドアを開けると、全裸のおっさんが便座に座っていた。髭を摩って、何故か神妙な面持ちでいる。明かりはついていないので、一瞬白黒の石像に見えてしまった。そうだったらどれほど良かったことか。


「見つかっちまったか」


 そう言うと、おっさんは腰を上げトイレを出た。呆然としている俺なんか無視して、おっさんは全裸のまま家から出ていってしまった。


 多分しばらくそのままでいたと思う。時間をかけて俺は頭を整理していた。あのおっさん誰だ。なんで俺の家にいた。鍵は閉まっていたはずなのにどうやって。そもそもなんで全裸なんだ。しかし、どう考えを巡らせても納得のいく答えは浮かばなかった。記憶にないおっさんが人の家のトイレに篭ってるなんて意味不明すぎる。なんなんだ一体。


 俺は壁を頼りに立ち上がった。腰は抜けていなかったが、脚は震えていた。当たり前だ。怖すぎる。開けたら人がいるなんて誰が想像つくと言うんだ。俺はそこで夢かと疑い頬を抓ってみる。残念ながら痛かった。現実のようだ。いや、もしかしたら幻覚かもしれない。そうだ、今日は残業で疲れていて、そのせいであんなものを見てしまったんだ。


 半ば無理矢理そう思い込むことにして、俺は洗面所に移動した。小便は引っ込んでしまっていた。代わりにではないが、風呂に入ろう。とっとと体を洗って寝て溜まった疲労から解放されたかった。


 俺は着ていた衣類を洗濯機にぶち込んで、風呂の電気のスイッチを入れた。頭を空っぽにして風呂のドアを押し開けた。


「だあぁぁぁぁぁなんでぇぇ!?」


 また知らないおっさんがいた。湯船に気持ちよさそうに浸かっている。もちろん全裸だ。


「あーあ、見つかっちゃったか」


 あからさまに眉を下げて、おっさんが湯船から足を出した。白いタオルをその場で絞り、肩にかつぐようにして良い音を鳴らした。よく見ると、そのタオル俺のだった。


 おっさんはまた、 虚をつかれた俺を素通りして、びちょびちょに濡れた全裸のまま家を出ていった。


 俺は崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。なんなんだよ一体、誰なんだあのおっさん、なんで俺の家に。もしかして、他にもいるんじゃないのか。ゴキブリと一緒だ。一匹見つけたら百匹はいる。百はないかもしれないが、もう何人かは潜んでいそうだ。


 そう思って俺はリビングに戻った。隠れそうなところを探すため部屋を見渡す。目についたのは、押し入れだった。俺は躊躇いを捨て、勢いでそこを開けた。


「やっぱりだ、くそ」


 予想通りだった。おかげで驚くことはなかった。全裸のおっさんが三角座りしている。


「ここならバレないと思ったのに」


 おっさんがしょんぼりして無論全裸で家を出ていく。


 それから俺は部屋を探し回った。いっぱいおっさんが隠れていた。テレビの裏、ベッドの下、ベランダの隅、合計で最初の二人を合わせて五人だった。


「僕で最後だよ」


 ベランダに隠れていた全裸でハゲのおっさんが言った。


「はやく出ていってくれ。あとなんなんだこれ、テレビのドッキリか何かか?」


「次は君が隠れる番だよ。制限時間は十分。その間に僕が見つけれなかったら君の勝ち。もし見つかったら君の負けで罰ゲームね」


 俺の話を無視して、おっさんは流暢に喋り続ける。


「罰ゲーム? なにするつもりだ」


「なんで僕達が全裸だってことを考えたら……分かるだろ?」


 全身に鳥肌がたったのが自分でも分かった。


「嘘だろ。まさかさっきのみんなで俺のことを……」


「十……九……八……」


 おっさんは俺の話なんかもう耳に入っていないようで既に目を瞑って数え始めている。俺は慌てて隠れ場所を探した。いっその事外に逃げようと玄関扉を開けようとしたが、何故かびくともしない。向こうから全裸のおっさんたちが押さえつけているのだろう。


「三……二……」


 隠れる場所も思いつかず、勢いでトイレに入ってしまった。鍵を閉め、息を殺す。


「どこかな〜どこかな〜」


 恐怖を促すような声。俺は腕時計を頻繁に確認する。ここまで時間が経つのを長く感じたのは初めてかもしれない。早く終われ。頼む。もし見つかったら……俺は……。




 女はアパートに帰ってきて部屋でスーツを脱いだ後、すぐにベッドに仰向けで倒れ込んだ。放たれた溜息には今日一日分のストレスが含まれていた。セクハラ上司の鼻を伸ばした顔が頭を過ぎると、猛烈な怒りが込み上げてきて枕を殴った。


 枕がボコボコになると頭は冷えてきて、用を足したくなった。女は廊下に出て、トイレの前に立つ。


 ノブを捻り、扉を手前に開けいった。


「きゃあぁぁぁぁ!!!」


「あー見つかったか」


 そこにはかつて、現状の女の立場でもあった男が全裸で待ち構えていた。

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