僕は手紙職人


 ある家を抜け出してきた。ご主人様の虐待に耐えきれなくなったからだ。


 俺は真夜中の空中飛行散歩を楽しんでいた。夜の風邪が気持ち良い。なんせ久々の外の世界だ。しばらくは人間と関わらず、一匹でのんびりと暮らして行こう。


「おーい! おーい!」


 なんだなんだ。どこからともなく人間の声が聞こえてくるぞ。


 俺はキョロキョロと目を動かす。


 すると、ある建物の窓から人間が俺に手を振っているのが見えた。人間でいう大人の女だ。何か希望に満ちた眼差しを俺に向けている。


 無視しよう。人間に関わるとろくな事が起きない。俺は飛行速度をあげて人間から離れていく。


「おーいってば! 無視するな!」


 無視無視。


「美味しいものあげるから!」


 俺はぐるりと身を翻した。


 あれ? 体が勝手に動いたぞ。ははーんそうか。あの人間、何か美味しい食い物を持っているな。だからこんなにもよだれが出ているんだ。


 人間が発する言葉なんて理解出来ないが、時々その中で俺の空腹を刺激されるものが入っている。それは食い物があるぞと俺に知らされている時だ。


 俺は人間のいる建物に近づいていく。建物は俺にとって非常に大きかった。その人間は高い位置にいる。


 窓際に着地すると、人間の輪郭がはっきりと見て取れた。人間にしては痩せている。衣を身にまとっていて、人間の背後には寝床があった。


「ホホーン」


 はやく食い物をくれ。


「まだだめ。先に私のお願い聞いてから」


 俺は首を傾げた。これは俺の癖である。


「これをある人に届けて欲しいの」


 食い物!? あれ、違う。


 人間は懐から食い物を取り出したかと思ったら、どうやらそうではないらしい。何やら四角い紙。


 なんか見たことあるぞこれ。あ、思い出した。友達がこれを届ける仕事をしてたっけ。確か手紙とかいう人間同士の連絡手段だ。確か報酬は食い物。そうか! これを送り届ければ食い物が貰えるわけだな!


「ホホーン」


 俺は承諾の意味を込めて翼を広げた。


「その人は北の小さな村に住んでいるの。あの川を越えた先にあるわ」


 女は俺の後方を指した。俺はその先を辿るように視線を向ける。満月の光を浴びた長い川があった。どうやらあの川の先に届けたい人間がいるらしい。


「ホホーン」


「よし。じゃあこれお願いね。落としちゃダメよ。ここに帰ってきたら美味しいものあげるからね」


 任せとけ……ってあれ? また俺の腹が反応したぞ。またこの人間何かいったな。まあいいや。早く仕事終わらせて食い物を貰おう。


 俺は人間がもつ手紙をくちばしで受け取り、体を反転する。翼を広げると、上に向かって飛んだ。


「頼んだわよ!」


 後ろで人間が何かをいったが、無論意味は分からなかった。



 もうすぐ朝日が昇り始める頃、ようやく人間がいっていたであろう場所に到着した。既に何人かは切磋琢磨に働いていた。


 仕事を請け負ったのはいいけど、これどこの住人のものなんだ。いっぱい家があって分からないぞ。


 俺は視線を彷徨わせるいると、ある建物に目が止まった。


 人間が窓から憂鬱気な顔を覗かせている。今度は人間でいう男だ。


 あいつに違いない。俺は直感的にそう思った。


 俺はそこまで飛行すると、人間は俺に気づいたようで目を丸くした。


「うわっ!」


 人間は後ろに倒れた。俺はその間に窓際に着地する。


「な、なんだよ!」


「ホホーン」


 俺は嘴から手紙を落とした。それはひらりひらりと床に舞い落ちた。


「え? 手紙?」


 人間は訝しそうにしながら、それを拾い上げる。人間は腑に落ちない様子でそれを広げてみせた。


 人間の瞳孔が上に行ったり下に行ったりしている。その様子はまさしく真剣そのものだ。


 そしてどうしたことか、人間は目をこれほどまでに見開かせた。口もあんぐりと開いている。


「嘘だろ」


 人間が何かを呟いた。


「おい! ミシェラはまだ生きているのか!?」


 人間は俺を両手で掴み揺すった。


 なんだなんだ急に、どうしたっていうんだ。やめてくれ。


 人間はそれをやめると、また手紙に向き直った。


 すると、人間の頬に涙が伝った。それがどういう意味か俺にはわからなかった。嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのか。


「ちょっと待ってくれ、そこにいてくれよ」


 人間は何か発すると、慌てた様子で新しい紙を持ち出し椅子に座った。


 腕を走らせている。何をしているのか。俺は首を傾げていた。


 しばらくしてから人間は立ち上がり、その紙を何度か折ると俺の元に寄ってきた。


「こいつをシェリーのところに届けて欲しい」


 え、また手紙!? もうやだよ。それにこいつ何も食い物持ってなさそうじゃん。


 とは思ったものの、この人間の真摯な眼差しに俺は圧倒されていた。


「これを書いたやつの元に届けるんだ」


 人間は俺が持ってきた手紙を掲げた。どうやらあの人間の元に届けろということらしい。


 まあ、それなら食い物貰いにいくついでだからいいか。


 俺は仕方なくそれを嘴でくわえた。


「頼むぞ。絶対にこれをあいつの元に届けてくれ。そうじゃないと……」


 人間は真剣に俺と向かい合っていた。それでも何故か最後に落胆したように俯いた。


「梟のお前にいってもしょうがないよな。とりあえず任せたぞ」


 もう言い残したことはないようで、俺は「ホホーン」と鳴き声をあげ、羽ばたいた。


 とは言っても、もう朝だ。疲れた。夜まで休もう。俺は近くの寝床を探し、そこで眠る。最後に俺は、またあの男の人間の表情を思い浮かべていた。



 夜になった。俺は人間から託されものを嘴で咥え、女の人間の元に戻って行った。


 長い道のりだ。それでもようやくあの大きな建物が見えてきた。


 徐々に距離が縮んできて、昨日の人間がいた位置に目を向ける。


 あれ、いない。


 窓は開いていた。だが、中に人間はいないようだった。


 とりあえず窓際に着地すると、隣に小さな棒状の肉が置かれてあった。


 俺は思わず口を広げた。その際に手紙は窓際に落ちたが、俺はそんなことも気にせずに肉に食らいついた。


 食事は直ぐに済んだ。正直物足りなかった。もっと欲しい。あの人間から貰おう。


 俺は室内を見回すが、人間の気配はない。


 今日はこないのか。これ、どうすればいいんだよ。


 落ちた手紙に目を落とす。同時にあの男の人間の表情が脳裏を過ぎった。


 とても大事なことを伝えかったのではないか。俺はそんな気がしてならなかった。


 それから明日、明後日とそこに出向いた。


 しかし、とうとうそこにあの人間が姿を現すことはなかった。






 父さんが死んだ。僕は一人になった。父さんが残したのは息子である僕と手紙というものだった。


 それは僕が産まれた時からあったものだった。人間に渡すつもりだったが、ずっと見つからずに渡せないでいるのだという。


 それは父さんの形見みたいなもので、僕は手放したくなかった。寝床を変える度に嘴に咥えては共に移動する。


 とは言っても、僕はこれを持っている意味などなかった。僕は父さんがいっていたその人間の顔を知らない。このまま一生僕が持ってることになるのだろうか。


 そして今日も僕はそれを咥えては夜の散歩に出かける。


「おーい! おーい!」


 突如、人間の声がした。僕はキョロキョロと見渡す。


 すると、大きな建前の窓から人間が陽気な笑顔で僕に手を振っていた。人間でいう女で子供だった。


 本来僕はこのようなことがあっても無視するように父さんにきつく言われているのでそうしてきたが、僕は何だかその笑顔につられてしまって、ついつい人間の元まで行ってしまった。


 窓際に着地する。隣に手紙を置いた。


「ホッホホ」


 こんばんは、と僕は挨拶してみる。


「私、ミシェルっていうの。あなたのお名前は?」


 僕は首を傾げた。何を言っているのか分からない。とりあえず「ホホ」と鳴いてみせた。


「ホホって言うのね。それはなあに?」


 人間が僕の隣を指さす。手紙だ。


「見てもいい?」


 僕は首を傾げる。


 すると人間はそれに手を伸ばした。


 あれ、この子が父さんのいってた人なのかな。


 人間は手紙を広げて目をあちこちと動かす。


「なんかこれ、パパの字と似てる。あれ? ママの名前もかいてある」


 なんだか喜んでいる。やっぱりそうだ。この子だっんだ。すごい偶然だ。こんなこともあるんだ。


「ミシェル?」


 そこで人間の子供の後ろにもう一人の人間がいることに僕は今気づいた。男で大人だ。眠っていたようで瞼が重そうだ。


「パパみて! ママの名前がかいてある」


「え?」


 その人間は目が冴えたようで、さっきまでの眠気は飛んで行ったようだ。


 そして男は手紙に目を落とす。途端にそれは見開かれた。


「こ、これ俺のだ。どうしてミシェルが」


「フクロウさんが持ってきてくれたの」


 人間の子供は僕に指さす。人間の大人は、そこで初めて僕を見た。


「あの時のお前なのか?」


 僕は首を傾げた。何を訴えているのかまるでわからない。ただ人間は信じられないといった表情をしている。


「ずっと持ってたのか。そうか……すまないな。長い間預かってくれてたんだな」


 人間は僕に近づくと、僕の頭を摩った。なんだか気持ちいい。そして温かい。心が安らぐようだ。


「ねえパパ。このフクロウさん飼ってもいい?」


「飼うのか?」


「うん!」


「そうだな。でもここは病院だから、家で飼おうな。こいつは俺が連れて帰っとくからミシェルは早く退院できるように頑張るんだぞ」


「うん!」


 父さん。どうやら僕は父さんの役目を果たしたみたいだよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る