流行に乗り遅れないように


 時刻は零時前。乗客のいないタクシーは人気のない道を走っていた。やけに暗い通りだな、と運転手の男は注意してアクセルを踏んでいた。街灯はついているものの、それは頼りげなく点滅していて今にも消えてしまいそうなのだ。


 それいえばこの近くに霊園があったよな、そんなことがふと頭に過った時だ。


 前方の方で白いワンピースを着た女が細い手を挙げているのが見えた。髪は長く顔色は窺えない。


 男は背筋に寒いものを感じずにはいられなかった。あれはこの世のものではない、と直感で分かった。男は長い間タクシー運転手を勤めてきたが、このような体験は初めてだった。


 アクセルを強めて素通りしようと思ったが、何故か男は足をブレーキペダルに踏み変えていた。ドアを開けて、どうぞと示す。


 白い女はゆっくりとした動作で後部座席についた。ドアを閉め、男は「ど、どちらまで」と震えた声で訊いた。


 しかし、いつまで経っても返事は返ってこない。バックミラーに目を移すと、長い髪から覗かせる女の口元が僅かに動いているのに気づいた。


 男はあからさまに耳を近づけ、澄ませてみる。


「生タピオカ専門店……」


 聞き間違いではなかった。確かにその女は地獄から聞こえてくるような悍ましい声でそう言ったのだ。


「わ、わかりました。ここから近いところでいいですか?」


「はい……あと……これ……」


 女はどこからともなくCDを取り出した。男はそれを受け取る。かけろいうことらしい。


 男は恐る恐る真っ白のCDを挿入する。呪いのBGM、それを耳にすれば死ぬ、そんなことを男は心配していた。


 しかし、それは杞憂に終わる。流れたのは、あいみょんのマリーゴールド。


 イントロで白い女は左右に揺れていた。リズムにのっているのだ。


 何なのだこの幽霊、もしかしたら人間なのか、いや、それはない、その証拠に暖房が効いているはずの車内が冷気で包まれているのだ。


 男は腑に落ちないまま車を発信させた。


 運転中にも解せないことはあった。ミラーをちらちらと見ていて思ったが、その女、スマートフォンを使っているのだ。男は意を決して「何をしているんですか?」と女に聞くと、返ってきたのが「TikTok……」だった。


 こんな流行を詰め込んだ塊のような霊など、他にどこにいようか。既に男から恐怖心は消え失せ、むしろこれからどんなことをするのか楽しみであった。


 目的地の生タピオカ専門店に着いて、女から料金を受け取る。降ろしたあと、この硬貨は消滅するのだろうかと呑気なことを考えていた。


「ありがとうございました……エモい運転、よかったです」


 そう言葉を残し、女は夜の街に消えた。


 ――エモいの使い方それで合ってたっけ、まあいいか。


 女が残したマリーゴールドを聞きながら、男は再びタクシーを走らせたのだった。

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