IPロボット


 会社帰りに立ち食い蕎麦屋に寄る。それが俺の習慣となっていた。


 今夜も俺は、職場の最寄り駅の近くにある古くなった建物、そこの暖簾をくぐって店に入る。一番安い食券を買ってAIロボットに手渡し、蕎麦がカウンターに出されるや否や箸を握った。


 その箸が、とてつもなく重く感じられたのは気のせいなんかではなかった。腕が思ったように上がらないのだ。俺は溜息をこぼし、箸を置いた。


「もううんざりだ」


 思わず声に出ていた。周りの視線など気にしない。それほど俺の身体、精神状態は限界だったのだ。


 近年、日本のたいていの職場にAIロボットが普及され、人手は必要ない時代に入ったにも関わらず、俺の会社にはまだロボットが数個しか置かれていない状況だった。そのおかげで、俺を含めた社員たちがロボットと同等な扱いを受ける羽目になってしまっている。こんなことったらありゃしない。


 いや、他の社員たちの方がまだマシだろう。彼らには笑顔で出迎えてくれる家族がいるのだ。それに比べ、俺は家庭に癒しを求めることなんかできない。一応、結婚していて妻はいるが、はたしてあれを妻と呼べるのだろうか。主婦業をするわけでもなく一晩中家に引きこもっていて、ただドラマやゲームの娯楽に溺れている毎日なのだ。


 しかも、俺の一ヶ月のお小遣いは彼女が決めることになっている。それがまた少ないのだ。一日に使えるお金といったら、ここの一番安い食券を二枚買えば終わる金額なのだ。


 改めてそれが現実なんだと知ると、俺は涙が出そうになった。震えそうになる前に俺は箸を持つ。


 すると、横からすすり泣きが聞こえてきた。なんだと思いそちらを見てみると、いかにもアニメオタクといった身なりをした男が、蕎麦を前に顔をくしゃくしゃにしていた。


「どうかしたんですか」


 俺は思わず聞いていた。男は間抜けな表情をこちらに向ける。レンズの向こうの瞳が涙で溜まっていた。


「嫁が……僕の嫁が……不倫していたんです」


 男がカウンターに拳を叩きつけた。視線が集まった気がしたが、それどころではなかった。この男も俺と似た悩みを持っているのだ。


「それは辛いですね……なんてひどい女なんだ。男のプライドを傷つけやがって。最近の女は皆こうなのか」


「もしかして、おたくも何か?」


 俺が険悪感を出していたからか、男はそう察したようだった。


「ええ、まあ」


「お互い苦労しますね。これも何かの縁、もしよかったら、おたくの事情も聞かせてくれませんか」


 男は涙を拭いながら言った。俺は話せば少しでも楽になれると思い、妻のことを打ち明けた。


「ひどい、ひどすぎる。そんなの今からでも離婚届に判を押させるべきですぞ!」


「やっぱり、そう思いますよね」


 男は俺の話に深く共感してくれた。それで俺の考えはやっぱり間違えてなかったのだと安心できた。話して正解だった。


「そもそも、そんなひどい女とどこで出会ったのですか」


「はあ、それが……」


 俺は口ごもる。隠すこともないが、恥じらいがあった。


「僕、ギャルが好みなんですけど、そういう人達が集まるキャバクラに行って、そこで……」


「ああ、なるほど」


 男は腕を組み何度も頷いた。嘲笑う真似など、この男はしなかった。


「やっぱりギャルって、がさつで僕の妻みたいな人が多いんでしょうか」


「うーん、どうでしょう。僕はギャル専門ではないので詳しくは知りませんが、ギャルマスってアニメでは、中身が清楚、外見がギャルっていうギャップ萌えキャラクターがいるにはいますが」


「二次元ですか」


 確かにそれは俺の理想のギャルに近かった。俺がギャルが好きなのはあくまで外見なのだ。


「ちょっと前の時代なら、それもIPロボットで解決できたんですけどね」


「あ、IPロボット?」


 俺が訝しそうにしているのを見た男は目を丸くした。


「え、ご存知ない!? 最近そのことが問題でニュースになってるくらいですぞ」


「あいにく最近ニュースを見れる環境にいないもので」


「それでも耳にしたことくらいはあるでしょう」


 俺は首を横に振った。本当に聞いたことはなかった。


「おたく、今どき遅れてるなんてもんじゃないですぞ」


「それはもういいじゃないですか。それより、そのIPロボットって何なんですか」


 俺は説明を促す。男は咳払いをし、うんちくを語るように人差し指をたてた。


「簡単に説明するとこうです。今や当たり前のように仕事場に設けられたAIロボット、それを自分たちの理想の恋人にできないものかという魂胆から生まれたものがIPロボットなのです。そのロボットには持ち主の自由に、記憶、性格、外見などの設定を加えることができ、今でや素人にはロボットと人間の区別がつかないものまで外に出歩いてます。さらには持ち主と食事を楽しめるように味覚認識機が備わっているロボットもいます。そのようなロボットが開発され、我々アニメオタクがずっと望んでいた二次元の彼女も作成可能になり歓喜に満ち溢れていたのですが、もうその時代も終わりですね」


 男はあからさまに肩を落とした。


「なぜ、もう終わりなのですか?」


「さっき言いましたニュースにもなっている問題、というのがそのIPロボット、不思議なことに人間の感情が芽生え始めているんですよ。機械に限ってそんなことありえないのですが」


「えっと、それの何が問題なんですか」


「問題でありましょうよ! 理想の恋人が自我が芽生えたことにより、その時点でもう理想ではなくなるのですよ! 僕の嫁もそれです。最初はツンデレで僕に一途だったのに、僕の知らない間に他の男と会ってたんです!」


「え、不倫したってその奥さん、ロボットだったんですか?」


「ええ、そうですよ。しかも僕の嫁は重症型で、自分がロボットだという認識が消え失せてしまっている。自分を人間だと信じきっているのですよ」


 俄に信じ難い話だった。機械に人間の感情が宿るなんて非合理的だ。この世には理屈では説明がつかない出来事が起こりゆると言われているが、それがこのことなのか。もし俺の働いている会社のロボットまでそんなことになってしまったら、きっと会社は倒産してしまうだろう。


「でもそのIPロボット、たしかに問題はあるようですけど、少なくとも僕の今の鬼嫁よりかはマシでしょう。是非それ欲しいものですね。どこに売ってあるんですか」


 男は依存は禁物だと前置きをして教えてくれた。


「IPロボットはどこの電化製品店にもありますよ。でも、オススメなのはIPロボットが最初に発売された秋葉原の専門店ですね。あそこは二次元を愛する者の巣窟なだけに品質にもこだわっている」


「ありがとうございます」


 俺は立ち食い蕎麦屋を後にして、急いで秋葉原に向かった。


 街で行き交う人達には明らかに二次元の格好をした男女がいる。もちろん今までも見てきたが、それがIPロボットだと認識するのは初めてだった。すれ違う人の中には三次元の我々と変わらない姿をしているのもいるのだろう。そう考えると、今日作る予定である俺の理想のギャルもロボットだと微塵も疑わないくらいのクオリティで仕上がりそうだった。


 うきうきした気分で歩いていると、例の専門店を見つけ、俺は入っていった。


「いらっしゃいませ」


「あの、IPロボット買いたいんですけど」


「すみません。法律上、ロボットがロボットを買うことは禁止されているんですよ」

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