わたあめ革命
昼間。その男は夜の夏祭りに出店する屋台の準備に取り掛かっていた。男が開くのは、わたあめ屋だった。そのため、砂糖の在庫やわたあめ機の調子を確かめていた。
「あれ」
男が声を出したのは、わたあめ機が壊れていたからではない。ダンボールやゴミが散らかった机、そこにいつの間にか、見覚えのない鞄が紛れ込むように置かれていたのだ。サラリーマンなどが使う茶色い革製のビジネスバッグだった。
これは一体誰のだろうと男が鞄を見回すと、裏側に白いメモ用紙が貼られているのに気づいた。そこには『中を確かめろ』と書かれてある。
男はその指示に従うか迷った。メモの宛先が男とは限らないと思ったからだ。万一、通りすがりの誰かが一休みのため男が目を離している隙に鞄を置き、そのまま置いたことを忘れ、去っていった可能性だってなくはないのだ。
だがしかし、男は好奇心を抑えることができず鞄を開けてしまった。
中には水筒くらいの大きさの瓶とまたメモ用紙が入っていた。男はまず目に入った瓶を手に持ってみる。中身は何なのだとそれをネジを回すようにしてみた。すると、ラベルが貼られてあるのを見つけ、男がそこに書かれた文字を読み上げると悍ましくなった。
シアン化カリウム。いわゆる、ミステリー小説なとでよく登場する青酸カリだった。
何故こんなものが、と男はメモが入っていたことを思い出し、半ば慌てながら内容を確認した。
『今夜の夏祭りにやってくるイギリス王女をこれで毒殺しろ。さもないと、お前の娘と妻殺す』
どんなことが書かれているのだろうと怯えながら読んでみたが、最後には男は鼻で笑っていた。
「イギリス王女だと? 馬鹿馬鹿しい。そんなのが来るわけないだろ」
下手な悪戯に男はメモ用紙をくしゃくしゃにさせてポケットに突っ込んだ。偽物であろうシアン化カリウムを脇に置き、再び作業に戻った。
夜になった。祭りは盛大に賑わっていた。 男の店にも何人もの客がわたあめを買いに来ていた。
「はい、どうぞ〜」
男は小さな女の子にわたあめを渡した。それから次の客が回ってくる。
「わたあめ、ください」
「はいよ……ってえ?」
「どうか、されましたか?」
「あ、いや、なんでもありません」
偶然だろうか。その客、ヨーロッパ風の顔立ちをした女なのだ。浴衣は着ていない。至って地味な出で立ち。だがそれは、目立ってしまってはイギリス王女だと気づかれてしまう恐れがあるがための工夫とも考えられた。普通の外国人なら浴衣を着てみたいという願望はあるはずだからだ。
「あの、わたあめ、作らないんですか?」
「あ、すみません。今すぐ」
男はわたあめ機の電源を入れ、ザラメをスプーンで掬い、それを機械の真ん中に入れる。
その際に男の視界に瓶が映った。昼間に本物を疑った青酸カリだった。だが今、男は断定できないでいた。果たして、これは本当に偽物なのか。
男はメモの内容を思い出す。すると、はっとすることがあった。メモには、毒殺しなければ男の娘と妻を殺すという脅迫のメッセージが込められていた。先程は気にしなかったが、何故男に娘と妻がいることを知っているのだろうか。
まさか本当に、目の前の女はお忍びで訪れたイギリス王女とでもいうのか。だとすれば、この青酸カリは本物。殺さなければ、男の妻子が殺されてしまう。
男は意を決して、瓶の蓋を開け青酸カリをザラメと同じところに何粒か入れた。割り箸を片手に持って、糸を絡めていく。
「わたあめ、作るところ、一度見てみたかったんです」
女はブルーの瞳を輝かせながら言った。男はぎこちない笑みを浮かべている。変な汗が滲み出てきた。
「どうして日本に?」
男はそれとなく聞いてみた。徐々に機械の中ではわたあめが出来上がりつつある。そこで見えない毒の霧が充満しているかもしれないなんて、誰も想像していないだろう。
「観光です」
女が笑顔で答えた。
「浴衣は着ないんですか?」
すると、女は眉をピクリと動かした、眉だけでない。目と口にも変化はあった。外国人は、いちいち顔色の変化がわかりやすいと聞いたことがあるが本当だと思った。無論、それは動揺の表れだった。
「あまり、目立ちたくないので」
目線を落として片言でいった。そして女は辺りを見渡す。後ろに誰も並んでいないことを確かめると、彼女は声を潜めていった。
「実は私、イギリスの王女なんです」
動かしていた男の腕がピタリと止まった。だが、すぐに割り箸をくるくると回し始める。
「へ、へえ」
「冗談です。そんな訳、ないじゃないですか」
ゆっくりとした片言で女は満面の笑みを浮かべるが、男は冷静を装うので精一杯だった。
「はい、お待ち」
ついに出来上がった白いもくもくとしたわたあめを女に渡す。一見なんの変哲もないわたあめだ。本当に毒が混じっているのか男自身わからない。
「ありがとございます」
そういって女はわたあめにかぶりついた。口の周りをサンタの髭のようにする。男はその様子を固唾を飲んで見守っていた。
「美味しい」と女は一言残して、男の前から去っていった。
そのまま倒れるのではないかと女の背中を凝視する。
「すみません」
新たな客が来て、やむを得ずそっちに視線を移す。
「いらっしゃ……」
そこまでいいかけて男は目と口を大きく開けた。
また。まただ。
またヨーロッパ人の女が来た。
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