2回殺した

 青春マンガの一コマのように水しぶきが飛んできて、友則とものりは顔を逸らした。もっとも、友則が残念がったのは、スタイルのいいビキニの美女から水をかけられる、そんな天国ではなかったことだった。


 時間は放課後。ここは中学校のプールサイド。水泳部の活動場所であり、今は三人しかいなく、友則と他二人の部員たちが悪ふざけを行っている。水しぶきはこのためであった。


「あと10秒! 頑張れ田名部!」


 はしゃいでいるのは友人の佐々木。友則と佐々木はプールに浸かっている田名部の頭を両手で押さえつけるようにして沈めている。田名部は苦しそうに両手両足で水を飛ばしながらもがいていた。


 傍から見ればただのいじめだが、これは身内の遊び。宣言した目標のタイムまでは何があっても酸素を吸えないという地獄、これを三人の間では肺活量チャレンジとよんでいた。


 今回のチャレンジャーは三人の中で一番肺活量が多いとされる田名部。そして友則と佐々木が押さえる役で、田名部が宣言したタイムは二分三十秒だった。彼のベストタイムは二分で、これで記録更新を狙おうと言うのだ。


「あと5秒や! 4! 3! 2……いち……?」


 異変は佐々木のラスト五秒のカウントダウンで起きていた。さっきまで水中で暴れ回っていた田名部が徐々に動かなくなっていったのだ。口と鼻からは泡も出ていない。カウントダウンを終えた時には、彼はもう水死体のようになっていた。


「おい田名部。おい、おい!」


 佐々木の声にピクリとも反応しない。二人が頭から手を離しても田名部は水中から顔を出そうとしなかった。


「これまずいだろ。早く引き上げるぞ!」


 友則の掛け声で一気に田名部をプールサイドへと引き上げる。ゴーグルを外させると、田名部の目は閉じられていた。


「田名部、田名部、おい、おい!」


 友則は彼の頬を叩きながら懸命に声をかけ続けた。しかし、一向に目を開けようとしない。


 そこで佐々木は田名部の胸に耳を当てた。その様子を友則は息を飲んで見つめる。


 佐々木が徐に顔をあげた。その顔が田名部より青ざめているように見えた。


「し、心臓が……動いていない……」


 佐々木の声は震えていた。


「まさか……そんな……嘘だろ」


 視界の奥が遠のいていく気がした。しまいにはそれが歪み始めて、友則は昼に食べた弁当を吐き出しそうになってしまった。まだ中学生の彼は動揺の余り、人工呼吸のことなど頭になかった。


「俺たちが殺してしまった……」


 佐々木が思い詰めた顔で言う。


「こ、殺しただって? 馬鹿を言うなよ。こいつが勝手にやり始めたことじゃないか」


「でも、実際に死なせたのは俺たちじゃないか。先生や警察の人に肺活量チャレンジのことなんか説明して納得してもらえると思うか? 間違いなくいじめと思われるだろ」


 警察、その単語を聞いて、また友則はどこか暗い穴に落とされたような、そんな感覚に襲われた。


 するとその時「おーい、佐々木」と更衣室の方から先輩の声が聞こえてきた。その声がしただけで肩が跳ね上がってしまうくらいに友則はなっていた。


「やばい、先輩がきた」


「どうすんだよ」


「呼ばれたから行かないと不自然だろ。とりあえず行ってくる」


「わ、わかった。あ、ちょっとまて」


「なんだよ」


「このこと、まだ言うなよな」


「……わかった」


 佐々木が更衣室に向かい、プールサイドは友則一人となった。


 佐々木に口止めしたのは、この状況を打開する方法があったからではなかった。ただ単に最悪な結末から少しでも逃れたいという心理が働いただけだった。


 友則の中でさっきから、犯罪者、人殺し、そのようなワードが永遠とサイクルしている。今まで平穏に暮らしていた日々がたった一度の過ちで一転してしまう。そう思うと、震えが止まらなかった。


 どうにか、これを事故と装うことはできないだろうか。


 無意識に思考がそっちのけになっていることに友則自身恐ろしくあった。だからといって、それはやめなかった。


 そうだ、と友則は閃いた。


 死んでしまった田名部の頭を強打させれば、プールサイドで足を滑らせた事故死と扱われるのではないか。


 冷静でない中学生の彼はそんな甘い考えをするのであった。


 そうとなると、友則は早速行動に移った。


 田名部の両足をタオルなどかける棒に絡め固定させ、頭部を持ち上げる。地面と体全体が平行になると、そこからさらに頭部を持ち上げ傾斜させた。


 そして友則が唾をゴクリと飲み込み覚悟を決めると、勢いよく田名部の頭を振り落とした。


 ゴン。


 頭蓋骨が割れるような鈍い音がプールサイドに響き渡った。


 佐々木と先輩たちが帰ってきたのは、それからすぐのことだった。


「おい練習始めるぞ……って田名部、なんでそんなとこで寝ているんだ」


「せ、先輩……田名部のやつ、プールサイドで足を滑らせて、それから目覚まさないんです」


「なんだって?」


 先輩が目を丸くしながら近づいてきた。その後ろには佐々木もいた。友則は佐々木の顔を見ると、頭が真っ白になった。佐々木が何故か、悪戯っ子のような笑みを浮かべていたからだ。


「なんだよ田名部のやつ、まだドッキリ明かしてなかったのかよ」


「なに、ドッキリだと?」


 先輩が首を傾げる。友則はただ固まっている。


「はい。実はさっき田名部が死ぬっていうドッキリを友則に仕掛けたんですよ。でもこいつ、まだ死んだフリ続けてるみたいです」


 そう呑気に笑いながら佐々木は、田名部を起こそうと彼の名を呼び続ける。


 しかし、彼の目が開くことはなかった。

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