セクス・エクス・マキナ

茜あゆむ

第1話 「邂逅、相続、アンドロイド」


「え、セクサロイドを受け取る?」

 果歩の大声に、私は思わず、果歩の口を抑え、ちょっと! と叫んでいた。

 光にあふれたカフェは、平日の午前中ということもあって、人影はまばらだった。窓際に座った私と果歩の他には、小さな子ども連れのママさんたちと、一人でキーボードを叩くサラリーマンがいるだけで、カフェの中はいたって静かだった。時折、子どもたちがはしゃぐ声が聞こえ、母親たちがそれを叱る。

 私は周りを見渡して、果歩に顔を寄せ、さっきより小さい声を出した。幸い、私たちの会話を聞いている人はいないみたいだった。

「声が大きいよ。それに、セクサロイドじゃなくて、介護用アンドロイド!」

「あ、ごめん、ごめん。でも、それって純のお父さんのなんでしょ? 大丈夫なの?」

 大丈夫なの、という言葉に私は顔をしかめる。いや、正確には、そこに込められた意味に。

「一応、あれが必要なんだよ。お父さんが死んだあとのこと、全部、あの中に入ってるみたいでさ、今も、面倒なことはやってもらってる状態……」

 私の苦い顔につられてか、果歩も顔を歪めて、うんうん、と頷いてくれる。

「それに、あったら、便利かなっていう打算もないわけじゃないし」

「純、家事とかしないもんね」

 んー、と喉の奥でうなった。父の遺品として、あのアンドロイドを相続するという決断も、私なりに考え抜いて出した結論だったのだ。とはいえ、苦いものがないわけではなく、むしろ、苦渋の決断といっても過言ではなくて、私の胸の中はいまだ、もやもやしているのだった。

 そして、今日はアンドロイドの受け取り日。この胸のつっかえを、果歩に打ち明けたくて、今日の約束を取り付けたのだけど……。

「でもま、仕方ないのかもね。こういうことは慣れるしかないよ」

 と達観した物言いで、私のもやもやは一刀両断されてしまったのだ。

「どうせ、今だって家事代行のアンドロイドを頼んでいるんだし、その経費が軽くなると思えば、父親のあれだって、我慢しないと」

 分かってる、分かっているのだ。例え、父が所有していたアンドロイドだとしても、こうすることが私の生活に対して、一番合理的だということは、考え抜いた私がいっちばん分かっているのだ。だけど……という所に問題があって、私はその合理的選択を、受け止められないでいる。出来ることなら、処分して、身軽になりたいのだけど、あまりにお金がかかりすぎる。当然、そんな予算は私にはないのであって……溜め息。

「だけど、純。少しくらい相談してくれてもいいのよ?」

「え? 相談してるじゃん」

「そうじゃなくて。お父さんが死んだって、私、今日ここに来て、初めて知ったくらいだよ? 話しづらいことだろうけどさ、友だちとして、もう少し信用してよ」

 果歩の友情には感謝してます、本当に。でも、そういうさりげなさが、私には一番むずかしいんだよ。


 父の死の報せを聞いた時、驚かなかったといえば嘘になるけれど、納得する気持ちが妙に強かった。

 私のお母さんとお父さんは、私が物心つく前に離婚して、以来、父とは両手で数えるくらいしかあったことがなかった。私の人生が二時間の映画になるとして、きっと父は私が産まれるシーンの、ワンカットくらいにしか登場しないだろう。しかも、お母さんの脇に、本当に小さく、画面に映るくらいの。

 だから、というと少し変かもしれないけど、父はいなくなるべくして、いなくなったんだと思った。いや、もしかすると、私の中では既にいなくなっていたのかもしれない。

 父が亡くなったという事実が、私の現実に追いついたことで、それまであった齟齬が解消し、私はかえって安心するような、ひどい娘であったとさ。

「着いたよ。ここが、私の家」

 振り返ると、身体を傾けながら、角の尖った、大きなトランクケースを持ち、アンドロイドが立っていた。

「大きな建物ですね。これほど広いと掃除も大変そうです」

 ん? ちと、違和感。

「マンションだからね?」

「はい、分かっております。冗談です。一般論として、広いと掃除が大変だ、ということと、私がこれから純さんのお部屋にお世話になり、その家事を代行することを取り違えるというジョークです」

 しばし、脳の機能が停止する。もちろん、これはアンドロイドを前にした人間の困惑を表現する比喩だ。

 深い溜め息が、胸の奥から漏れた。額に手を当てて、眉間に寄った将来への不安をもみほぐす。

「頭痛ですか?」

 アンドロイドの端正な声は、思いがけず、私の心を抉る。

「ううん、平気。とりあえず、家に上がろうか。これから、よろしくね」

 早口に言った言葉の数々は、ぶっきらぼうに見えたかもしれない。心にもないことを言う自分が、ちくちくして、むずがゆい。こういう時、私は私のことが嫌いだ。

「そういえば、アンドロイドさんって、お名前あるんです? 何て、呼んだらいいですか?」

 なるべく、愛想のいい笑顔を心掛ける。マンションのエレベーターを待つ間、ふとアンドロイドの顔を覗くと、その顔は無表情で、私を見つめていた。

「名は、浩介さんから頂きました。安藤、と申します」

 思わず、お父さんと声が漏れる所だった。アンドロイドだから安藤。あまりに安直すぎる……。

 呆れていると、ティンと音が鳴り、エレベーターが到着した。

 私が先に乗り込むと、安藤さんがぼーっと立ったまま、私を見ていた。

「乗らないんですか?」

「加藤純さん、私はあなたを何とお呼びすればよろしいでしょうか」

 安藤さんの視線が、私に刺さる。それは、私との友好を結びたがっている瞳だった。私は身を避けるようにして、

「安藤さん、エレベーター、乗ってください」

 と微笑みかけた。

 安藤さんは、アンドロイドらしく無表情で、私の言葉に従い、箱の右奥、私と対角線上の場所に立った。

「私のこと、好きに呼んでください。何でもいいですよ」

 なるべく、機嫌のいい声を心掛けた。

「純ちゃん」

 安藤さんの声に反応して、右手がぴくりと動いた。

「何ですか~?」

「純ちゃん、とお呼びしますね」

 笑みを浮かべ、振り返ると、なぜか安藤さんはうれしそうに笑っていた。


「純ちゃん」

 と父は、私をそう呼んだ。

 道端を歩いていた時、年配のサラリーマンと若いOLさんが、何とかさん、何とかちゃんと呼び合っていたのを見て、中学生だった私は、二人の社会人が私たちに似ているな、なんて思ったりした。

 私が十三歳で、中学校に入学したばかりの頃、私は袖の余った制服で、いつものように、父と待ち合わせしていた。

 場所は、かつて父が勤めていた会社のすぐ近くにある喫茶店。父がブレンドコーヒーを飲み、私はコーヒーゼリーを食べて、一時間ぐらいでまた別れる。

 父はお母さんには不釣合な、よくいるおじさんで、二人はどこで知り合ったのだろう、と私はずっと不思議に思っていた。バリバリのキャリアウーマンのお母さんと、お腹がたるんで、くたびれた中年男性の父。お母さんは絶対に、父に関することを話そうとしないから、私はこうして、本当にたまに父と会う機会に、少しずつ、質問をしていた。

 例えば、

「二人はいつからの付き合いなの?」

 とか、

「二人はいつ結婚したの?」

 ということ。質問するたび、父は困った顔で笑っていた。

 あの日、私は思春期で、人並みの悩みを抱えていた。自分が何だかとっても軽い存在で、透明なような気がして、つい、こんなことを言ってしまったのだ。

「二人は、デキちゃった結婚なの?」

 多分、父に言うから、遠回りな言い方になっただけで、母に言うつもりだったら、きっと、私なんか産まなきゃよかったのにね、って言っていたと思う。

 仕事、仕事と、家にいない母。お金だけは稼いでいたみたいで、大きなマンションには、家政婦さんが通いで来てくれた。料理も、掃除も洗濯も、全部、家政婦さんがしてくれて、だから、今も私は家事ができない。

 いや、そんなことはどうでもよくて、あの時の私が言いたかったのは、お母さんは私のことなんて愛してないんじゃないの、って。

 そして、それは私のことを大切に思ってくれているんだか、分からない父も一緒で、つまり、私は望まない妊娠から生まれた子どもだったんじゃないかな、ということ。

「それは違うよ」

 父は、そう言った時、一度も見たことのないような顔をして、低く、包み込むような声で、私をやさしく諭した。多分、私が本当に言いたいことを分かっていたんだろう。どうして、分かったのかは、今となっては知りようもないけれど、それが親というものだと言われたら、私は両手を上げて、降参するしかない。

「梓さんは、純ちゃんのことを、本当によく考えて、出産したんだよ。梓さんは、一から十、ううん、百まで考えに考え抜いて、それで純ちゃんを産むことに決めたんだ」

 私は、父の真剣な声に、理屈もなく納得して、ちょっとうれしくて、ちょっとお母さんが誇らしい気持ちで、コーヒーゼリーの残りをすくった。コーヒーの苦い香りが、私に一つのひらめきを置いていき、私はそれを深い考えもなく、口にした。。

「お父さんも、そう?」

 ちょっと間があって、父が答えた。

「うん。ぼくも梓さんと一緒に、考えたよ」

 中学生の私は気付かなかった。もしかすると、お母さんの考えの中で、父はいらない存在だと思われたんじゃないかって。

 父の悲しそうな顔を思い出すたび、私の脳裏には、そんな考えがよぎる。

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