Ⅲ デイジーΣぱにぱに
E33 ニアキスリフレイン
九月十七日日曜日、ひなぎくは、藤の間にて、子ども達の三フラワーズが午前から温泉へ行っている間、考え事をしていた。
今日は、ぽかぽかとあたたかい。
お土産物屋で買った二荒神のマスコット、パンダの親戚みたいな、ふるさとふっくんTシャツにジーンズで十分だった。
先日、リフォームセンターA&Aに提出した仮の案は、何かがしっくり来ない。
教会の明け渡しが九月二十九日なので、それまでにリフォーム案を固めたい。
A案からC案はできたが、自分でもボツにした。
D案は、これは大丈夫だと思ったので、木通の間で温泉に行かなかった黒樹に提出した。
「やり直しだな」
D案でも大丈夫ではなかったかと、ひなぎくは、ぎくっとした。
「ひなぎくちゃん、そのパンダの親戚みたいなのはなんだ? 自分で描いたのか?」
「二荒神温泉郷のマスコットですよ。ふるさとふっくんですよ。可愛いでしょう」
ゲラゲラと黒樹的ヒットを食らったらしい。
自分がダサいみたいで、ひなぎくの頬はふくれた餅みたいになった。
「ぶふっ。くっ。Eカップだと、ふるさとふっくんが歪むんじゃないかい」
「んー、もう。困ったわねー」
ひなぎくの左手で自分のバストを隠して右手で頭をぽかぽかしちゃうぞってポーズが、黒樹には可愛らしかった。
いつもみたいにふざけあっていたが、黒樹は本題の平面図のD案を畳に広げた。
「ひなぎくちゃん。このアトリエリフォーム案のD案だけど、先ず、平面の構成ね」
「はい」
こくりと頷いた。
「入って左側に展示室が続く突き当りにワークショップを設けているけれども、何か、開放感が失われていないかい? それから、ワークショップの横にベンチを並べているけれども、窮屈な感じがするぞ」
ひなぎくは、じいっと自分で描いた図面を見ていた。
「その通りですね、プロフェッサー黒樹。ワークショップはアトリエデイジーの目玉ですから、もう少し広めで入りやすい位置……。例えば、反対側に移動させて、面積も広げましょうね。全体に用途が決められて窮屈な感じは否めないですから」
ひなぎくもこのアトリエデイジーには本腰を入れている。
慎重に構成を整理して話す。
「そして、受付脇ロッカーだけれども、これだとロッカーを展示しているみたいだぞ。受付にアールを付けて構成しているのは構わないのだが、教会の広さからして、もう少し狭くてもいいと思うぞ。どうかい? ひなぎくちゃん」
その点は迷っていたので、図星の感があった。
相談に乗って欲しい所だ。
「はい。ロッカーは、無地のものがいいのか、明るく動物の絵を描いたりしてもいいかと迷っていました。先程のベンチを花の形をしたスツールと交えて、ロッカーの前に置いてもいいですね。あ、こうすると、ここからも東側と北側の展示が見えます!」
ひなぎくは、少しの発見が嬉しかった。
「そうそう。がんばれ、ひなぎくちゃん」
黒樹は、まるい銀ぶちメガネの奥でまるい目を細めた。
くっくっくと口髭をつんつんさせていた。
「事務所は受付奥を考えていましたけれども、それでもいいかしら?」
「うーん、悪くはないな。余計なスタッフの出入りは見せたくないからな」
ちょっとだけほっとするひなぎく。
黒樹は、褒める所は褒める。
特に、ひなぎくは褒めると伸びるタイプなので、できるだけ長所を伝えたい。
だが、この案は、黒樹の目からは、穴が目立つ。
「ひなぎくちゃん、これが、一番だと思っても、立体的な模型にしてごらん? このスリットの入った窓、反対の部屋から見たら、半分は隠れているよ」
「あ……」
立面図の矛盾に今になって気が付いた。
恥ずかしいと思ったが、黒樹だからこそ、嫌になったり傷付いたりはしないものだ。
「分かった? じゃあ、次は模型にして持って来てごらん。きっと、いいのができるよ」
「分かりました。プロフェッサー黒樹。次こそがんばりますわ」
ひなぎくは、さくさくと図面をたたんだ。
そして、グーの手を突き上げて、やる気を示した。
「またー。いつまで、プロフェッサー黒樹なんじゃい」
「私のプロフェッサーは、プロフェッサー黒樹が一番ですからね」
いじやける黒樹に、ごく普通に話した。
ひなぎくにとっては、プロフェッサーの中で一番の人の立ち位置は揺るぎない。
学生時代、それ程、社交的ではなかったひなぎくに、一番の情熱で教えていただいたのは、紛れもなく黒樹だ。
初めて、波長の合うせんせいに出会えて、今でも感謝している。
「褒められている気がしない。悠とかって呼んでおくれよう」
不満たらったらの黒樹は、まあ、たまにある感じだ。
「そ、それは……。む、難しいです」
ひなぎくは、恥ずかしいと顔に出るので、さっと木通の間の戸の方を向いた。
「できたら……。悠、愛しているとか……」
黒樹が立ち上がって、後ろから囁いた。
「失礼しました!」
三歩歩いて、カラカラピシャン!
慌てて木通の間を出た後で、ひなぎくの背に後悔が走り、戸の前で立ち尽くした。
本当に失礼な態度だったと思った。
黒樹は、日本にまで一緒に来てくれて、こうして、ひなぎくなりに煮詰めた案にもまだ直す余地を的確にアドバイスしてくれる。
ひなぎくは、黒ぶちメガネを外した。
何故だか自分でも分からないが、涙が出て来た。
ぽっろぽろ、ぽろぽろぽろぽろと、ふるさとふっくんのTシャツの目の辺りを濡らす。
カラカラ……。
優し気に引き戸が開くと、ふんわりとしたオーラを感じた。
泣いたせいか、喉がきゅんとなっている。
振り向かなくても分かる。
その人は――。
「泣かれたら俺が困るって知っているだろう? ひなぎくちゃん……」
――その人は、黒樹悠。
「わ、私、模型を作らないと……」
ひなぎくがピカソの鳩の刺繍をしたハンカチで涙とメガネを拭って、メガネを掛け直そうとした。
「ひなぎくちゃんの頭の中にもうできているだろうよ」
メガネをイタズラに取り上げた黒樹は、悪い子だった。
「それは、そうなのですが……。プロフェッサー黒樹、人が見ています。私達、見られています」
「自意識過剰だな、ひなぎくちゃん。どこにもいないが」
両の手首をつかまれて、木通の間の戸にカシャリとひなぎくの背中が当たった。
「俺は、後悔をする為に、日本に帰国した訳ではない。……プロポーズをしに来たのだが」
黒樹のまるい瞳にぐっと見つめられて、視線をくいっとそらすしかなかった。
「お、お、おお、お味噌汁ですか? はい、毎朝こさえますよ?」
ひなぎくは、黒樹のどっしりとした低い声に比べて、上ずってしまった。
黒樹の顔が近付いて来た。
もしかして、キスをされるのではないかと、反対側に身を反らそうとあがくが、両の手首をしっかりガリバー状態にされてしまって、避け切れない。
「……キ。……キスは……」
耳まで赤いひなぎくは、半分、観念していた。
「キ、キスは……。結婚前は、できないのですわ」
黒樹は、すかさず、それに飛びついた。
「バージンロードを通ったら、いいのか? なあ、ひなぎくちゃん! いいのか? 本当に?」
「バージンロード!」
再び、上ずった声を上げて、恥ずかしくなった。
二人で、木通の間にカララと戸を開けて入った。
ひなぎくの頭の中は、バージンロードのリフレインだ。
「ちゃらりー! 和の参上だい!」
「劉樹もいるぴくよ」
「何していたんっすか?」
男子チームが温泉から帰って来た。
バタバタバタと黒樹とひなぎくが、磁石のS極とS極のようにぱっと別れた。
「ほら、この図面! 教会のアトリエへのリフォーム案を話し合っていたのよ!」
ぱにぱに!
ぱにぱに!
ぱにぱに!
「えー、教会も美術館になるぴくか?」
「ええ、そうなのよー。困ったわねー」
ぱにぱにしていられないので、そそくさと、藤の間に帰る支度をする。
「何で困るぴく?」
「何でも……。ありませんわ」
ひなぎくは、まだ頬を染めたままだ。
黒樹は、心の中で、もう一息だったのにーをリフレインしていた。
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