E34 スマートフォンのざわめき

 ひなぎくのアトリエリフォーム案Eへの図面の引き直しは、黒樹のアドバイスもあって、すんなりとできたので、立体の模型に入るのも早かった。

 ふるさとななつ市に画材店がないことを知ると、スマートフォンで通販を利用して、模型の材料や制作道具を揃えた。

 こんな所にも通販アルコは、届けてくれた。


 いかにもミュージアムショップでお買い上げ感の高い『ゴッホ』のTシャツ、フィンセント・ファン・ゴッホの明るいカフェの黄色と夜空の紫色のあわせが美しい『よるのカフェテラス』を着たひなぎくが、木通の間をノックした。

 ひなぎくのバストを拝むなり、黒樹は、和と劉樹にはお小遣いをあげてお土産物を見に行かせた。


「ひなぎくちゃんのTシャツ。まーた、どこで買って来た?」


 ひなぎくは、お土産物好きである。

 ミュージアムショップへ行くと買い物が長い。

 ただ、画集とかは、撮影が甘いので、本物と違うと困ることがしばしばあった。


「てへ」


 目を細めて美しい黒い髪を触った。


「てへかいな。何歳だ」


 可愛いとは思いつつも、突っ込みを入れたくなった。


「あの、遅ればせながらできました。プロフェッサー黒樹」


 割と元気のいい笑顔だった。

 達成感があったのか。

 後は、黒樹の審判を待つのみだ。


「どれ……」


 黒樹は、じっくりと、正面図と平面図と側面図を結んだ三面図を見ながら、立体模型も観察していた。


「よくやったな、ひなぎくちゃん。これなら、いいと思うぞ」


 ひなぎくは、褒められると、やっと一息ついた感じがした。

 胸中は鼻歌で一杯だった。


「それから、古民家のモザイクタイルの案なのですが、宗教画ではなく、自分で可愛いパンダを描いてみました」


「パ、パンダか……。親子の感じが出ていて、まあまあじゃないか。その、まあ……。絵柄は置いておいて」



 ひなぎくのアトリエリフォーム案E案を持って、リフォームセンターA&Aに相談をしに行ったのは、九月二十日水曜日だった。

 その日は肌寒く、ひなぎくも藤色のスーツの上に白いコートを羽織った。

 

「これなら、構造上も大丈夫ですし、既製品のミュージアムパネルで対応できます。温泉地ということでしたら、こちらの展示ケースからサイズをお選びできます」


 先方の飯森太雅いいもり たいがは、ひなぎくと同じ学年だと話していて知ったが、いつも黒樹を見ているので、若すぎるとさえ思った。

 黒樹の目は、その髪がふさふさなのにいった。

 ひなぎくが彼になびく素振りもないと分かると、黒樹は、ほうっと安堵した。


「スツールやベンチや受付カウンターなどは手作りで大丈夫でしょうか?」


 ひなぎくは、印伝の手帳をパタリと閉じて訊いた。


「加工センターがありますので、そちらの利用を依頼されてはいかがでしょうか」


 飯森太雅は、この敷地内に加工する所があると教えてくれた。


「ひなぎくちゃん、無理しない方がいいぞ。展示やワークショップに先ず目を向けるんだ」


 黒樹は、本気で倒れる気でいるのかと、慌てずに止めた。


「そうですか。通販アルコで、いい感じのものをチェックはしておりますので、ベンチとスツールはそうします。受付カウンターは……」


 ひなぎくが言い淀んでいると、すかさず、黒樹がバトンタッチした。


「和にやらせてくれ。アイツは木工得意だから、ひなぎくちゃんの満足の行く仕事をしてくれるぞ。その代わり、一つだけな」


「コインロッカーの絵柄はパンダがいいですよねー?」


 ひなぎくは、夢がほよほよで、浮かれていた。

 黒樹が、さっさと危険なパンダ案は回収した。


「そ、そうだが、パンダはお風呂で堪能できるので、蓮花に描かせてやってくれ。アイツは、亡くなった父親に似て絵が上手いんだ」


「んー。分かりました」


 その他、専門的なものは、リフォームセンターA&Aになるべくお任せして来た。


「お財布がやせて来たな……」


 去り際の黒樹の小さな声に、ひなぎくはひたすらに謝った。

 遠慮は要らないと言われたが、黒樹にどうお返ししたらいいかと思うばかりだ。

 そうして、小学生チームを迎えに行って、福の湯に帰って来た。

 仕事の話は、木通の間ですることになっている。


「はい、はい。そうです。メールでもご連絡をさせていただきました。よろしくお願いいたします」


 いつも黒樹がやってくれるからと、ひなぎくがスマートフォン越しに頭を下げた。

 白咲の家から作品の搬入を十月二十八日土曜日にお願いしたいと、通話とメールでArt運搬アートうんぱんしろいぬ株式会社ふるさとななつ支店に連絡をしたのだ。


「大丈夫だったか?」


 心配すると、黒樹は覗き込む。


「はい。任せてください。プロフェッサー黒樹、ね?」


「ね?」


 意外なので、黒樹が真似た。


「はい」


 こくりと頷くひなぎく。


「ね?」


「はい」


 再び、繰り返した。


「ご機嫌だな、ひなぎくちゃん」


「何でも順調に行っていて、嬉しいのです。この頃アレが出ないのですよ」


 アレとは、青いバラのことのようだ。


「ああ、アレだな。お化け」


「はい」


 ひなぎくは頷いた。


「ね」


 黒樹は可愛らしく振舞った。


「はい?」


 ひなぎくの黒ぶちメガネがずりこけた。


「ね」


 黒樹はかなりぶりっ子になっていた。


「真似しないでよー! もう」


 ぽかぽかされてもちっとも痛くないと、黒樹は笑った。

 二人にも何もかもが順調に思えていた。



 五日後、九月二十五日月曜日、黒樹は、事前に連絡していた下野県の県公安委員会へ外国語免許証の日本語翻訳文等の提出書類を持ち、フランスの運転免許証を日本の運転免許証に技能試験と学科試験を免除されて切り替えられた。



 翌、九月二十六日火曜日、和は、黒樹の運転するレンタカーで、受付カウンターの材料を買い、加工センターに行った。

 黒樹も一つ腕があるもので、二人で少しでもひなぎくの力になろうと、彼女の製図に従って形作っていた。


「父さん、楽しいっすね」


 飯山教会の明け渡し日の九月二十九日以降には持って行きたいと、和も願っていた。


 一方、ひなぎくは、古民家のお風呂場をパンダで彩るモザイク画案を古民家組に持って行った。

 微妙なパンダトレーナーにブラックジーンズの動きやすい恰好で、古民家のある現場で合流した。

 まさか、大変なことになるとは知らずに。


「今ですね、タイル職人さんが、事故で怪我をされたのですよ。急ですみませんが」


「え……。事故ですか」


「仕事復帰まで、三か月は掛かります。本当に申し訳ないのですが。ここ以外でしたら、我々に任せていただいて大丈夫です」


 ひなぎくは、ショックを受けたが、その場にいたのは自分一人だったので、黒樹に頼らずに耐えなければならなかった。

 それなのに、心の中は黒樹の笑顔で一杯だった。

 その笑顔が隣にいてくれたら、どんなに助かったか。

 今、会いたい。

 今、話を聞いて欲しい。


「その……。お怪我なさった方に、お大事になさってくださいとお伝えください」


 やっとのことで、口から一言出た。


「少々、お待ちくださいね」


 ひなぎくは、メールで黒樹に連絡を取ろうとした。

 送信したばかりなのに、返事が来ないとどきどきしていた。

 トクントクンと自分の心の返信ばかりで、黒樹からは来ない。


 ピッピッ。


 暫く待っても何の音沙汰もないので、電話を掛けることにした。


 トゥルルルル……。

 トゥルルルル……。

 トゥルルルル……。


「おかしいわ……」


 不安が募って行く。

 胸の中から、ザワザワと何かがうごめいた。


 その一方、黒樹は和と加工センターにいたが、ひなぎくの描いた受付カウンターの製図にミスがあり、修正をしようと考えていた。

 黒樹のスマートフォンは、鞄に入れたままで、一人マナーモードで震えていた。


 ブブブブブ……。

 ブブブブブ……。


「お願い、出てください!」



 ひなぎくが、電話を掛けている一方、ひなぎくに電話を掛けている人がいた。

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