第67話 シーズ・ソー・ビューティフル(8)

(1)

 

 フレッドは血縁によって生まれる愛情や絆を信じていない。

 血を分けた肉親を己の都合次第で見捨てる人々もいれば、血の繋がりがなくとも寄り添い、支え合う人々もいると知っているからだ。

 自身の境遇が複雑かつ特殊な事例だと踏まえた上ではあるし、認識の歪みも自覚しているけれど――、サスキアを妹だと受け入れ難かった。高慢な態度や物言いを差し引いたとしても、『自分とよく似た顔立ちの他人』としか思えなかった。

 両親、サスキア、元恋人ナンシーとの因縁をエイミーに全て打ち明けた後、『俺の妹はシャーロットだけ』『マクダウェル家の内輪揉めに巻き込まれる筋合いはない。あいつらとは金輪際関わりたくない』と心中を吐露した。事実、確かに彼には関係ない話ではあった――






 ――あの夜からしばらく後、あと数日で十一月も終わりに差し掛かった某日――






「お願い!一生のお願い!!フレッド兄達であたしのバックバンドやってよー!!」


 硝子製のローテーブルをバン!と叩き、ソファーからシャーロットが立ち上がった。少々勢い余ったためにカップがカタカタ揺れ、紅色の液面が波打つ。机上についたシャーロットの手からさりげなくカップを遠ざけ、自らのカップもソーサーごと持ち上げて避難させる。

 身を乗り出すシャーロットの切迫した薄青の瞳から、ローテーブルの真ん中に置かれたCD—Rと四人分の楽譜に視線を巡らせる。最終的には、隣でフレッドと同じくソーサーごとカップを手に持つエイミーの困惑顔に視線の置き場を定めた。


「俺からも頼むよ、な??ちょうどクリスマス休暇の時期だし!」

「ちょっとマシュー兄!もうちょっと真剣に頼んでよ!!」

「なんでシャーロットだけじゃなくてマシューまで……」

「いやぁ、シャーロットには子供達の面倒よく見てもらってるしさぁ」

「そ!マシュー兄は日頃お世話になってる可愛い妹の『お願い』に付き合ってくれてるの!!」

「……自分で可愛いとか言うか??」

「細かいことは突っ込まないでよ、フレッド兄!……じゃなくて、お願いします!!」


 弟妹揃って家に押しかけてくるとは珍しい、と、リビングに上げたはいいが――、平身低頭に頼み込む二人にフレッドはため息を零す。

 クリスマスが間近に迫ると、(オールドマン三兄妹の母校の)小学校では生徒による生誕祭の劇や聖歌隊の合唱等の催し物が毎年開かれる。今年は、聖歌隊の合唱の前座でシャーロットが生徒代表で歌を披露するという。ちなみにシャーロットが歌うのは、一〇代の若者を中心に絶大な人気を誇る女性アイドルのクリスマスソングだ。


「俺はまぁ、別に構わないし、たぶん、エドとルーも大丈夫だと思うけど……」


 渡された譜面を真剣に見入るエイミーの眉間には皺が、色違いの目は真ん中に寄ってしまっている。平素から人前での演奏に慎重な質だし、小学校の全校生徒、教師、その父兄と大人数が集まる前での演奏は難色を示すのでは。

 フレッドの気遣わしげな視線と、シャーロットとマシューの期待と不安に満ちた視線が混ざり合い、エイミーに集中した。

 妙な緊張感を孕んだ空気が流れる中、エイミーはふぅと小さく息を吐き、楽譜を重ねて机上でトントンと整えた。


「……うん。これなら……、まぁ、練習すれば、なんとか弾ける、かな……??」

「ほんと?!やったぁ!!」

「いいのか??」

 意外な返事に驚きつつ、心配と確認の意味を込めて尋ねる。

「あくまでサポート的な演奏なら大丈夫かなって。うん……、ちょっと頑張ってみる。だって、シャーロットちゃんが一生懸命歌の練習してるの、隣から時々聴こえてくるし。協力できるならした方がいいじゃない??」

 エイミーがにっこりと笑いかければ、シャーロットの表情はたちまち晴れ、明るい笑みが拡がっていく。

「へへー、エイミーちゃんありがとう!大好き!!」

「おいおい、兄さんにもちゃんとお礼言えよなぁ」

「分かってるって!フレッド兄もありがとう!!あぁ、これで一安心!!」


 ソファーに倒れ込み、大袈裟に胸を撫で下ろすシャーロットにやれやれ、と呆れ、ちらっと壁時計を盗み見る。


「エイミー、時間大丈夫か??」

「あ、うん、そろそろ出かける準備するよ」

 壁時計が示す時間を気にしながらエイミーは腰を浮かせ、立ち上がろうとした。

「エイミーちゃんお出掛けするの?!」

「あ、うん。これから妹と会う約束があって」

「そっかー」

「またいつでも遊びに来てね。私は出掛けるけど、今日も好きなだけゆっくりしていって」


 残念そうに眉を下げるシャーロットに向かってエイミーは再び笑いかけたのだった。









(2)


 玄関の扉を開け放す。粉雪混じりの風が吹き込んだ。

 頭上に拡がる空はどんよりと曇り、薄灰色に染まっている。少し前に見た、幼き日の苦い記憶の夢を思い出し、自然と唇が引き結ばれた。

 夢と違うとすれば、扉を開けた先には成長した弟の背中が見えること。煙草を吸うため外へ出たマシューに続き、フレッドも玄関ポーチへ出ていく。


「あれ、兄さん、煙草辞めたんじゃなかったっけ??」

 煙を吐き出し、振り返ったマシューから視線を逸らす。

「……今だけ、特別に一本だけくれないか」

「いいけど……、エイミーさんに叱られない??あ、連帯責任で俺まで怒られないよね??」

「たぶん、大丈夫だとは思う……」

「えー、たぶんかよー」


 苦笑しながらもマシューは煙草の箱をフレッドに差し出した。

 柔和な笑顔も、蜂蜜色の髪も薄茶の瞳も。マシューは若い頃のチェスターと瓜二つ。性格も父親同様に朗らかで快活だ。

 唯一違うとすれば、明るさの中にもどこか陰を背負っていたチェスターに対し、マシューの明るさには一点の曇りも混じっていない。自分とは違い、捻くれることなく真っ直ぐ育った弟に、フレッドは心から安堵していた。


 慣れた手つきで煙草に火をつける。

 禁煙生活に慣れてきたせいか、煙を吸った瞬間にむせて咳き込んだ。

「ちょっと、大丈夫かよー??」

 無理すんなって、と、心配そうにフレッドの背中を軽く叩いていたマシューが、ふと笑顔から真顔に変わる。

「もしかして、俺になんか話したい事でもあった??」


 フレッドは無言で煙草を咥え直した。今度は咽ることなく、ゆっくりと煙を吐き出す。マシューの顔は見ずに足元の冷たいコンクリートを見つめながら口を開く。


「実は……」


 フレッドはエイミーに打ち明けた話をかいつまんでマシューにも打ち明けた。マシューは終始神妙な面持ちでじっと話に耳を傾けていた。


「サスキアっていう女の子、俺の所にも来たよ」

「……本当か?!……」

 マシューの口から思わぬ言葉が飛び出し、フレッドは反射的に詰め寄っていた。

 驚きも狼狽えもせず、神妙な面持ちのままマシューは続ける。

「二週間くらい前だったかな。兄さんから今聞いた話と同じことを俺にも話してきた。運がいいのか悪いのか、ちょうど家に父さん達が来ていてね。だから、この話については皆知ってる」

 おそらく、フレッドがアビゲイルと会うことを拒否したため、今度はマシューに交渉しにいったのだろう。

ってことは、母さんもってことだよな。……シャーロットは」

「一緒にいたから知ってる」

 懸念が的中し舌打ちするフレッドに、「大丈夫だよ」とマシューの慰めが降ってくる。

「母さんは言わずもがな。シャーロットは家の事情を全部知った上で受け入れている子だ。うん、ああいうところは母さんそっくりというか……。サスキアっていう子の話にも『だから??うちには関係ないじゃん!超迷惑!!てゆーか、今更本当のお母さんに会ってとか言われて、フレッド兄もマシュー兄も気の毒だよ!』ってぷんぷん怒ってただけだったよ。だから気にしちゃダメだぜ??あと、持ちかけられた話は俺も断った。アビゲイルなんて女は知らない、俺の母親はジル・オールドマンだけだって。そしたら、激怒された上に兄弟揃って薄情者だと罵られたよ」

「そうか……」

 その時のことを思い出したのか、マシューの薄茶の瞳に明らかな苛立ちが宿る。心なしか口元も強張っている。

「……確かに俺は薄情かもしれない。だけど、はっきり言うと『あの人』のことはほとんど覚えていないんだ。周りからは、『あの人』を恋しがってよく泣いていた、って言われるけど、記憶にないものはないんだから仕方ないじゃないか……」

「『あの女』が出て行った時、お前は四つだったし、覚えてないのも無理はない。気にするなよ」


 マシューには年齢のせいだと慰めたが、実際は少し事情が違う。

 アビゲイルはフレッドを溺愛する一方でマシューを放置するところがあった。嫌っていた訳ではないし、マシューから寄ってきさえすればそれなりに可愛がっていた。だが、彼女が常に気に掛け、構いたがるのは断然フレッドの方だった。

 このことに気づいてから、フレッドはアビゲイルに素っ気ない態度を取り始めた。勿論、他にも理由はいくつかあるけれども。


「会いたくないと言うより、会うことに意味を感じないんだ。だから、断った」

「それでいいじゃないか。ちゃんとした理由さ」

「兄さんはどうなんだよ??」

「俺か??勝手に子供を作って生んでおきながら、勝手に捨てるような女、母親だなんて認めたくないね」

「本当に??自分のことを棚に上げるようだけど……、俺、兄さんは会った方がいいと思う」

「……何故そう思う??」


 風が一段と冷たさを増した。

 マシューの言葉の真意が汲み取れず、フレッドは表情を歪める。兄の勘気を被ったかとマシューは青褪めたが、言葉を止めなかった。


「かなり以前の話だけど……、俺に『あの人の夢を見たことがあるか??』って聞いたよな??」

「……あぁ」

 一時期、毎晩のように『あの女』の夢にうなされ不眠症を患いかけていた頃、一度だけマシューに尋ねたのだ。マシューの答えは『あの人の夢なんて一回も見たことがない』だった。

「……兄さんは、今も『あの人』の夢を見るのか??」


 煙草が短くなってきた。

 マシューは携帯用灰皿の小袋をササッとフレッドに手渡してくれた。マシューはとっくに煙草を吸い終えていた。

 受け取った小袋に吸殻を放り、間を置いてからフレッドは答える。


「……あぁ。時々な」

「じゃあ、会うべきだ」

「なんでだよ??」

 マシューは一瞬返答に詰まったが、口早に答えてみせる。

「それって、兄さんが未だに『あの人』のことで苦しんでいる証拠だろ??だったら、いっそのこと会って、気持ちの整理をつけるべきだと思う……」

「………………」

 尻すぼみになっていく言葉を聞きながら、フレッドは顔付きを険しくさせて黙り込む。

「……ごめん、出過ぎたこと言って。これは、あくまで馬鹿な弟の戯れ事だと思って聞き流してくれよ」

「……いや、大丈夫だ。お前が俺を思って言ってくれたってことは充分わかるし、むしろ感謝するよ」


 顔色を窺うマシューを安心させるべく口角を引き上げ、笑みを形作る。

 咄嗟に取り繕った微笑みだが、弟の顔色は見る見るうちに良くなった。

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