第68話 シーズ・ソー・ビューティフル(9)

(1)

 

 倉庫街を改装したこの通りは似たような外観の建物ばかりだった。

 個々の店が出す看板、壁の色、扉の形など、細かな部分で見分けるしかないが、クリスマスシーズンの今、どの店も扉にはクリスマスリース、窓か外壁にはモールやオーナメントが飾り付けられているので見分けがつきにくかった。更には曇天の夕暮れ時で辺りも薄暗くなりつつある。

 そんな中、エイミーは目を凝らして目的地の目印――、鳥かごを模した鉄看板の店を探す。あった。鳥かごの下方には『The forth avenue cafe』の文字。ここで間違いない、と思う。


 玄関扉の前へと急ぐ。つるりとした鉄扉には、トップに赤いリボンだけのシンプルなリースが飾り付けてあるのみ。三窓並んだアーチ窓にはどれもブラインドが下がっている。

 何となく入りづらい雰囲気だな、と若干気後れしつつ、玄関前で脱いだコートを腕にかけ扉を開ける。紳士然とした壮年の店員に出迎えられ、『二名で予約のアナイス・モートンの連れ』だと告げれば、コートと鞄をその場で預かり、奥まった場所の席まで案内された。

 一席につき一灯、ダイヤモンド型のアントシャンデリアが揺れている。えんじ色のキルティング壁、黒檀製のテーブルセット、落ち着いた服装の客達。眩いばかりの照明だけでなく、店全体に漂う高級感に目が眩みそうだ。


「エイミー!」


 各席の間に建てられた分厚いアンティーク風パーテーションと席の間から、アナイスは軽く手を振っていた。照明の光に負けないくらい、輝かんばかりの笑顔にエイミーもほんの少し頬を緩める。普段見せる笑顔と比べて固くぎこちなくはあるが、アナイスの前で笑えるようになっただけでも随分進歩した、と思う。


「ごめん、少し遅れた」

「ううん、実は私も時間ギリギリで来たから気にしないで」

 エイミーが着席するとアナイスはスッとメニュー表を差し出した。

「ここはマリアージュフレールの紅茶を扱っているのよ」

「へぇ、そうなんだ。アナイスはよく来るの??」

「よく、っていうほどでもないけど、月に一回は来ているかしら」

「そっか、オススメはある??」

「うーん、個人的にはマルコポーロかボレロ、エロスあたりがお薦め??ん、どうしたの??」

 最後に上げた銘柄を、何の抵抗なく口にしたのが意外で思わずアナイスをまじまじと見つめてしまった。昔の彼女なら『品がない』と嫌がっただろうに。

「んー、何でもない……。マルコポーロにしよっかな、東洋の花とフルーツの香りがするって書いてあるし、癒されそう」

「じゃあ、私も同じのにするわ。ケーキはどうする??」

「ケーキねぇ……」


 再び視線をメニュー表に戻し、パラパラと捲る。

 紅茶だけでなくケーキまでお薦めを聞いたりしたら、自分の意思がないのかと思われないだろうか。いつまでもメニューを決め兼ねていては優柔不断だと思われないだろうか。

 自分が変わったように、アナイスだって昔と変わってきている。頭で理解していてもまだ彼女への劣等感、卑屈さが完全には抜けきれていない。


「ね、エイミー。三段ティースタンドを注文して二人でシェアしない??ケーキ以外にもサンドウィッチとか色んな味が楽しめるし」

「あ、いいね!そうしよっか」

 通り掛かったウェイターに注文を告げるアナイスを横目に、三段ティースタンドに関する記憶を思い出す。

 アフタヌーンティーの時間は母による『作法の指南』という名の躾の時間で、幼いエイミーにとって苦痛の時間でもあった。母の叱責を恐れ、美味しい菓子も紅茶も楽しむことができなかった。

「どうかした??」

 昏い気持ちに捕われかけたところ、不意にアナイスに呼びかけられた。

「え、ううん、なんでもないよ」

「本当に??」


 薄緑の美しい双眸が不安げに覗き込んでくる。下手にごまかせば、『今日のお誘いが迷惑だったのでは』と思い違いするかもしれない。

 和解の際、『これからはお互い、思ったことは正直に話す』と決めたのだし、この場にふさわしくない内容だろうが、打ち明けることにした。


「……思い出させてごめんね」

 案の定、アナイスの笑顔は消え、しょんぼりと肩を落とされてしまった。

「ううん、違うの!アナイスのせいじゃないし、私が勝手に思い出してしまっただけ。それにね、小さい頃はゆっくり味わえなかったティーセットを今からいただくの、本当に楽しみで仕方ないの」

「……本当??」

「本当!」

 小声ながら力強く頷けば、アナイスは安心したようにはにかんだ後、姿勢を正した。

「私、本当に何も見えていなかったんだな、って、最近ひしひしと思い知らされるの」

「それはしょうがないよ。私こそ、どうせ言ったところで分かんないから!って殻に閉じ籠って何も言わなかったし。自分しか見えてなかったのは、まあ、お互い様かな……。でも、アナイスが間に立ってくれたお蔭で結婚の許可だけはどうにか降りたしね。感謝してるよ」


 まさか、自分がアナイスを慰める立場に回るなんて。少なくとも一年前には想像すらしていなかった。

 内心の自嘲を含めて肩を竦めるエイミーにアナイスがなにか言いかけたところで、折よく二人分の紅茶と三段ティースタンドが運ばれてきた。

 鉄看板の鳥かごと似た形のティースタンドの一段目にはワインビネガーに漬けたキュウカンバーキュウリのサンドイッチ、二段目にはスコーン、イチゴジャムとクロテッドクリームの小瓶、三段目には焼き立てのアップルパイが乗っている。


「エイミーはシャーロック・ホームズの影響でキュウカンバーサンドウィッチが好きだったでしょ??」

「覚えていてくれたの??」

「アップルパイも。甘い物あんまり好きじゃないけど、アップルパイのサクサクした生地とシナモンの苦みは好きって。あとは……」

「ミントチョコもね!」


 声が重なった瞬間二人は顔を見合わせ、フフッと微笑んだ。







(2)


 ティーセットの菓子類を取り分けながら、(サスキアやナンシーによる一連の騒動については伏せつつ)互いの近況報告を行った。


「国家試験受かるといいね」

「ありがとう」

「医師免許取得したら二年くらいは大学で研修するんでしょ??で、その後はやっぱり地元に帰って、お父さんと同じ病院に勤務するつもり??」

 エイミーの何気ない質問に、アナイスはアップルパイに切込みを入れるのを止めた。心なしか表情が翳っている。

「実は……、そのことでお母さんと揉めているの」

「え、どういうこと」

 只ならぬ様子に、エイミーも手にしたスコーンの欠片を皿に戻し、アナイスに向き合う。

「小さい頃からお父さんの病院で一緒に働くことが夢ってずっと言ってたけど……。私、勤務医よりも研究職に就きたいの。この間、お母さんから電話かかってきた時にそう伝えたら、『なんで??研修終わったら地元に帰ってくるって約束したじゃない!親戚や私のお友達にも『アナイスはいずれ夫の病院で働くから』って話しているのに!!貴女まで私に恥をかかせるの??ずっと自慢の娘だと思っていたのに!!』って……」

「そんな……」

「今までお母さんの言う通りにしてきたのは、単純に自分のやりたいことと重なっていたっていうだけ。大学行くまではそれでよかったわ。でも……、大学で世界が拡がったから地元に帰る気になれなくなってきて……。なんだか、エイミーの気持ちが少し、分かった気がする……。お母さんにとって、私達は自分の価値を上げるためのブランド品に過ぎないんだって……」


 疎まれ続けたことも辛いが、溺愛され続けてきて突然掌返されるショックは計り知れない。


「お母さんはさ……、お父さんが家庭を顧みない寂しさから、ああいう人になってしまったんだろうね……」

「うん、そうだよね……」

「きっと気持ちの行き場がなかったんだろうけど……、私達に依存されても、ね。私達はお母さんのお人形でもペットでもないんだし」


 アナイスが自分を誘ったのは、この話を聞いて欲しかったからかもしれない。

 形はどうあれ愛されていた分余計に辛く苦しいし、吹っ切れるまでには時間を要するだろう。


「将来も大事だけど……、国家試験に受かるために頑張るのが一番大事だよね??まずは試験勉強に集中しなきゃ。今はまだスタートラインにすら立っていないんだし」

「うん……」

「難しいと思うけど、嫌な事は一旦忘れよう??……どうしても苦しかったら、またいつでも私に話してくれればいいよ、ね??」

「……ありがとう、エイミーに話したら、ちょっとすっきりした、かも」


 ぎこちない笑顔は変わらないが、アナイスとの距離がまた少し縮まった。その理由に複雑な気持ちが湧くけれど。

 そして、ふと脳裏にある想いが過ぎった。

 フレッドとサスキアも互いに胸の内を明かして話し合えば、もしかしたら――

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