第45話 アバウト・ア・ガール(12)

(1)


 子供達のはしゃぎ声にかき消されかけながら、エイミーは地元からこの街に移り住むに至った経緯を訥々と語り始めた。


 地元の総合病院に勤務する内科医の家に生まれたこと。

 上位中流アッパー・ミドル家庭への羨望によって(エイミーの家は中位中流ミドル・ミドル)、服装から家具調度品、庭作り等身の回り全てを上位中流風に揃えるだけに飽きたらず、上位中流の人々と率先して交流する母親の意に添うよう、双子の妹共々養育されてきたこと。服装から言葉遣い、マナー、習い事だけに留まらず、あえて上位中流の子達が集う学校へ通わされたこと。


「前もちょっと話したけど……、妹は勉強もスポーツもできるし美人で順応性も高いから、本来なら私達には場違いな学校の中でも上手くやれてた。でも、私は妹みたいにはなれなくて……」


 母は妹を溺愛する一方、エイミーについては何かと妹と比較しては叱るか嘆くかするばかりだった。

 エイミーの赤毛を『みっともない』、色違いの目も『犬や猫みたいで気持ち悪い』と詰り、『貴女はアナイスと違って見た目が悪いのだから、せめて勉強とか他のことでカバーしなきゃいけないのに、どうして何もかもがアナイスより劣るのよ!』と――


 親に否定され続け、自分に自信が持てない子供が場違いな場所で上手く馴染める筈もなく。中学校に上がる頃には登校拒否に陥ってしまった。


「辛うじて中学セカンダリースクール卒業して、職業ファーザーズ訓練校エジュケーションにも何とか通ってタイピングの資格を取得したけど……、中位中流なら大学進学は当たり前なのにそれすらできなかったから、失望した両親にはほぼ無視されているような状態で。妹だけは普通に接してくれたけど……、自分も周りも何もかもが嫌で嫌で仕方なかったし、もう自分の好きなように生きてみようと思って地元からこの街に出てきたのよ。もちろん、辛いこともうまくいかないことも沢山あったけど、地元にいた頃の鬱屈しきった生活よりも今の方が比べ物にならないくらいにマシ……、え、なに?!」


 突然、フレッドに頭をポンと撫でられ、エイミーの目が驚きでまん丸に見開かれる。フレッドは何度もエイミーの頭を撫で、慈しむように薄灰の双眸を細めてみせた。


「だから、あんたの笑顔はきれいなんだな」

「…………」

「笑顔の裏で、折れず腐らず、ここまで必死に積み重ねてきたものがあるから」

「…………」


 エイミーの唇がかすかにわななき始めた。

 潤んだ瞳、紅潮する頬――、くしゃりと歪めた顔は今にも泣き出しそうだ。

 奇しくも上空を覆う雲の色が一気に暗くなっていく。空模様まで今にも泣き出しそうになっているのを二人は気付いていなかった。

 エイミーが泣き出すのが先か、空が泣き出すのが先か――、すると、フレッドの鼻先や唇にポツ、ポツと冷たい滴が落ちてきた。エイミーの顔にも滴が落ちてきて、空の様子を窺うべく仰ぎ見ている。

 本降りになる前に、噴水よりも更に奥まった場所にある、神殿に似た外観の美術館へ避難しよう、と、エイミーの手を再び取って縁から立ち上がった時だった。


 ザアァァァ――――


 満杯のバケツをひっくり返したように、雨は勢いと激しさを急激に増して二人の上に降り注いだ。


 土砂降りの雨の中、美術館を目指して湿った芝生の上を駆けていく。

 かすかに響く遠雷の音、もしくは光に怯えてか、エイミーの指先がフレッドの掌の中で強張っている。

 石造りの階段を駆け上がり、高い天井を幾つもの太い石柱に支えられた玄関回廊に辿り着けば、フレッド達と同じく雨宿りするために多くの人が集まっていた。


「夕立はいずれ止むから、しばらくここで待っていよう。三〇分もあれば服も余裕で乾くだろうし」

 石柱に凭れかかり、横目で空の様子を窺うフレッドにエイミーは無言で頷いた。

「雨が止んだら映画館があった方へ戻ろう。あの近くに去年できたばかりの空中庭園がある。今度はそこへ行かないか」

「うん、いいけど……、でも、あの空中庭園は人気でいつも一か月以上前にHPで予約券発行しないと入れないんじゃ……」

「決められた特定の時間帯狙えば、平日なら夕方の六時以降は予約券無しで現地直行しても入場できるんだぜ??」

「そうなの?!」

「雨が止むのと身体が乾くの待って、移動している間に丁度いい時間になるし」


 フレッドの言う通り雨は三十分程経った頃には止み、二人の濡れた身体もほとんど乾いてしまった。泥濘で靴を汚したくなかったので広場には戻らず、一旦美術館の地下連絡通路へ下りて再び地上にあがることにした。

 地下鉄で目的の空中庭園に行ってもよかったが、たった一駅分移動するためだけに帰宅ラッシュで込み合う電車は乗りたくなかった。

 地下連絡通路から広場の石門前付近に出れば、雨上がりの埃っぽい臭いが車道のアスファルト、石畳の歩道から立ち上り、不快に鼻先を顰めてみせる。エイミーに内側を歩くよう促し、行きと同じ歩道を戻る途中、背後から一台の乗用車が近づいてきていた。

 先を急いでいるのか、前方を走行する車がいないからか。明らかに規定の速度を大幅に超えて走行するその車が二人の脇を横切った瞬間、車道にできた大きな水溜りがバッシャーン!!と盛大な飛沫をあげ、二人の身に降りかかった。


「…………」


 避ける間もなく泥混じりの飛沫を頭から被った二人はその場で足を止め、思わず顔を見合わせた。一度ならず二度までもずぶ濡れになるばかりか、泥はねまで浴びたせいで最早閉口するしかない。

 フレッドの白いパンツの左側半分以上、エイミーのワンピースの小花柄部分の白にも点々と茶色い泥はねの跡が染み付き、髪に付着した泥を拭うエイミーも間の抜けた半笑いで呆然としている。この状態で空中庭園に行こうものなら、入り口で警備員に追い返されてしまうだろう。

 通りには衣料品を扱う店はないし、映画館や空中庭園付近のデパート内にあるのは高級ブランドの店ばかり。地下鉄に乗るべきだったと後悔するフレッドに、「あの……」とエイミーが恐る恐る声を掛けてきた。


「せ、折角だけど……、今日はもう、空中庭園行くのはやめよ??また今度、改めて予定合わせて行かない??」

「……そうだな……」


 無駄に気を遣わせてしまって非常に居た堪れないが、次の約束を取り付けられそうなのは喜ぶべきか。

 複雑な思いに駆られながら、「……アパートまで送っていくよ」とだけエイミーに告げ、元来た道をUターンして地下鉄の駅へと向かう。

 車内で会社帰りの人々に囲まれながら、乗り換えも含めて二〇分程揺られた後、電車から降りる。駅の階段から地上へ上がれば、上空を覆っていた雨雲に代わって斜陽が明るい金色に輝いていた。

 見慣れた赤い塗装のアパートに到着すると、階段を上がってエイミーの部屋の前までついていく。週二回会っていた時からの習慣は数か月経た今、すっかり身についてしまっている。


「今日は誘ってくれてありがとう。途中で色々ハプニングに見舞われちゃったけど……、それも含めて楽しかったし、また時々こうやって会えたら……、嬉しいかな」

 あの打ち明け話を聞いた後だとエイミーのいつもの笑顔がひどくいじらしく思えてしまう。

「じゃあ、また近いうちに連絡するよ」

「うん」

「少し早いけど……、おやすみ」


 そう言ってエイミーに背を向けた時だった。

 急にシャツの裾を強く引っ張られ、危うくつんのめりそうになった。


「おい、何なんだよ……、危ないじゃないか……」


 眉間に深い皺を寄せて振り返ると同時に言葉を飲み込む。

 エイミーはブノワに侵入されそうになった時に見せた、途方に暮れる迷子のような表情を浮かべていた。


「やっぱり、まだ……、離れたくない、の……」

「…………」


 触れてもいいものか迷いを見せつつ、エイミーはフレッドの腕を恐る恐る両手で掴んできた。


「まだ……、一緒に、いたい……」

「…………」

「私……、フレッドさんのことが……」


 縋りつくようなエイミーの告白はそれ以上続かなかった――、否、続けられなかった。フレッドがエイミーの唇ごと言葉を塞いだからだ。

 色違いの目を大きく瞠り、極度の緊張と僅かな怯えで全身を強張らせたエイミーからすぐさま顔を離し、優しく抱き寄せる。


「……怖がらせて悪かった」

 腕の中で二、三度首を振るエイミーの耳元に唇を近づけ、ある言葉を低く囁く。

 すると、所在なさげに宙に仰がせていた白い細腕が、ゆっくりとフレッドの背中に回された。

「嬉しい。私が、勝手に好きなだけだって……、ずっと思ってたから」


 小さく洟を啜る音、震える声に反し、回された腕にぎゅっと力が籠る。

 たちまち込み上げてくる愛おしさに彼女を抱くフレッドの腕にも力が籠った。












(2)


 ふわふわと風に靡く栗色の髪が、遠ざかっていく華奢な背中が。未だに脳裏に焼き付いて離れてくれない。

 声が枯れそうなくらいの大声で何度も呼びかけているのに、聞こえていない筈などないのに。『あの人』は振り返る素振り一つ見せなかった。

『誰かの身代わり』でしか愛されないなら――


『傷ついた子供の自分』が醒めた目つきで『忘れた振りをする大人の自分』を責め立てるように見つめていた。








 意識がはっきり覚醒すると、後頭部全体に金槌で殴られたような、重い痛みが走った。視界に映る薄暗い天井にチカチカと星が散る。

 眩暈と吐き気に耐えながら、冷や汗で濡れた裸の上半身をふらつきながら起こす。瞬きを繰り返しながら室内を見渡している内、狭いベッドで隣にあるべき筈の気配が感じられないことに気付く。途端に、言いようのない孤独と強い不安に襲われた。


「起きたの??」


 隣にあるべき筈の気配――、ブラトップのキャミソールと短パンに着替えたエイミーが水の入ったグラスを片手にベッドに近づいてきた。


「酷く魘されていたから、目を覚ますかもって思って……」


 差し出されたグラスを受け取ると、ごくごくと喉を鳴らして一気に飲み干す。

 フレッドの尋常でない様子を心配そうに見守るエイミーに、空になったグラスを返そうとして――、無意識に彼女をきつく抱きしめていた。

 真夜中の静寂の中、ゴトン!と大きな音を立ててグラスは床に転がっていく。相当息苦しいだろうに、エイミーは嫌がりもせず成すがままフレッドに身を委ねる。


「もしかして、お母さんの夢を、見たとか……」

「…………頼むから、あんたは何処にも行かないでくれ…………」

「私は何処にも行かないよ。の傍にずっといるから」


 その言葉に少しだけ安心して腕の力を緩める。

 抱きしめられながら、エイミーはフレッドが落ち着くまでずっと、彼の背中を撫で続けていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る