第38話 アバウト・ア・ガール(5)

(1)


「探している本があって……、パソコンの検索では館内に保管されていて貸出もされていないって出ているけど、どこの棚にあるのかがいまいち分からないんです」


 カウンター業務中、利用者から本の貸出に関する相談を受けたフレッドはパソコンの検索画面と睨み合っていた。手渡されたメモを元にキーボードを叩くこと、数分。


「あぁ……、お探しの本でしたら閉架書庫に保管されていますね。すぐに探して持ってきますので、少々お待ちいただけますか」


 利用者にそう告げると、画面が示す分類番号、棚の場所を控えたメモを手にカウンターから出ていく。

 カウンター及び、奥の事務所の裏側に回り、閉架書庫のある二階へ続く階段を静かに上る。途中、併設された手摺付きスロープを下っていく車椅子の利用者と軽く会釈を交わし合う。

 職員の大半が女性の中、男性司書は存在の珍しさも手伝ってか利用者から覚えられやすく、逆にフレッドもよく来館する利用者については顔、名前のみならず、借りる本の傾向も把握している。新刊の選書の際には、きっと〇〇〇さんや×××さんは読みたがるだろう、などと考えながら選書する時もあった。

 二階の階段から廊下に出て、(職員会議の時以外)自習室として開放されている会議室、展示室、資料室の横を通り過ぎ、閉架書庫の手前まで来たところで扉が開き、初老の男性が出てきた。


「館長」

「おや、探し物かね、オールドマン君」

「えぇ、閉架保管の書籍貸出を希望されている方がいまして」

「ちなみに書籍名は??私も一緒に探そうか」

「分類番号からどの棚に保管されているのか大体見当はついてますし、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」


 この図書館に三十年以上勤務する館長は、フレッドを幼少時から――、アビゲイルに手を引かれ、よちよち歩きで絵本を借りに来館していた頃から知っている。

 アビゲイルが出て行った時期に図書館までついてきたいじめっ子達を追い払ってくれたこともあり、本の貸出、返却の時以外に直接言葉を交わすことはほとんどなかったが、ここに来る度に影ながら見守られているような、不思議な安心感を覚えていたものだ。だから、館長に対しては上司という以上にもう一人の父親みたいに感じていたし、館長もまた、フレッドを息子みたいに思っている節があるせいか、時々甘やかされそうになることも。

 気持ちは有難いし、もう少し若く新人であれば厚意に甘えるかもしれないが、さすがに年齢的にも仕事的にも中堅の域に差し掛かっている訳で……、と、謝意は示しつつ丁重に断りを入れる。館長も特に気を悪くする風でもなく「わかったよ」と答え、扉を開けて入室を促す。礼を述べながら、閉架内に一歩足を踏み入れた時だった。


「あぁ、そうだ。今日仕事が終わったら、久しぶりに飲みに行こうか」

「今日、ですか??」

 フレッドは眉尻を下げ、申し訳なさそうに館長を振り返った。

「折角のお誘いですが、今日は先約が入っていて……、すみません」

 一度ならず二度も上司の厚意を断るなんて非常に心苦しかったが、こればかりは仕方がない。

「あぁ、そんな顔をしないでくれたまえ。急に誘った私も悪かったんだし」

「いえ……、ここのところ火曜と日曜の夜は予定が入っているので」

「じゃあ、今度は火曜と日曜以外に声を掛けることにするよ」


 お喋りはこの辺で、と、扉を閉めて遠ざかっていく足音を聞きながら、薄暗く埃臭い閉架内で目的の本を探し出す。館長があえて深くは追及してこなかったのは有難い。

 そう、あれから――、エイミーをブノワのストーカー行為から守る一環での偽装交際を始めてから、一か月が過ぎようとしていた。






(2)


 仕事を時間内に切り上げ、図書館から最寄りの地下鉄の駅まで足を急がせる。

 遅延が日常茶飯事とはいえ(ストライキが起きないだけ幾分マシではあるが)、イライラしながら待った電車に飛び乗る。乗り換え含めて三駅目で降りた後、飲食街含む繁華街とは反対方向の住宅街へ、エイミーが住むアパートへと向かう。

 図書館から外へ出た時は茜色だった空は濃い群青色の薄闇に染まり、スマートフォンで時刻を確認すれば十九時をとっくに過ぎていた。

 この辺りのアパート群は比較的新しいものが多く、外観も昔ながらの煉瓦や石造りではなく、コンクリートに赤や黄色等の色鮮やかな塗装が施されている。

 エイミーが住むアパートも例に漏れず、郵便ポストを彷彿させる赤い塗装の三階建ての小さなアパートだった。

 エントランスのインターホンに部屋番号を押すと、間を置かずして『はい』とエイミーの声が返ってきた。


「悪い、いつもより少し遅れた……」

『え、全然気にしてないよ?!すぐ降りてくから待ってて!』

「別に慌てなくても……」

 フレッドが言い終わらぬ内に、ブツッと唐突に音声が途切れる。

 そんなに焦る程のことでも、と思いつつ、自分もここに到着するまで随分と焦っていたかも、と自嘲している間にエントランスの扉が勢い良く開く。

「お待たせしました!」


 息を大きく弾ませたエイミーが、ポーチで待つフレッドの前に飛び出してきた。

 ハァ、ハァと、荒い息遣いと共に上下する胸からついと目を逸らす。胸元を強調する服を着ている訳でもないのに、彼女の胸の大きさは目立ってしまう。屈んだ姿勢というのが余計にそうさせているが、指摘など口が裂けてもできるものか。


「むしろ待たせたのは俺の方なんだが……」

「私は一日休みだったけど、フレッドさんは仕事帰りにわざわざ来てくれるんだし」

「いや、あんただって店が休みの日はネットライティングの仕事しているんだろう??」

「まぁ、そうだけど……。一日の内のほんの数時間だし、音楽聴きながら本読んだり、猫と遊んだりしてる時間のが長いよ??」

「ということは、昼間にあいつは来ていないんだな」

「うん……、フレッドさんの言う通り、多分、昼間は仕事してるんじゃないかな……。だから、きっと昼間は大丈夫……」


 ブノワの話題が出た途端にエイミーの表情が曇り、声に微かな震えが生じた。

 明るく振る舞っていても、彼への恐怖が頭に、心に強く残り、離れないのだろう。


「フレッドさんは……、大丈夫なの??」

「俺か??特に何も」

「そっか……、よかった……」

 ふっと、力が抜けたように微笑むエイミーに、「さて、今日は何を食べに行くか??」と尋ねる。

「とは言っても、バブーシュカ近辺の飲食街のどこか、に限られちまうけどな」

「あは、でも、あの辺はアパートから近いし、色んな種類のレストランやパブが沢山あるから」

「まぁな、で、どこがいいとか決めてるか??」

「うーん……、あ、ピザが美味しいって評判の……」

「あぁ、あそこのイタリアンパブか。確か、ワインの種類も豊富だと」

「うん、そこがいい!」

「……今、ワインに飛びついただろ」

「え、あ……、へへ……」

「……飲むのは構わんが、ワンボトルだけに留めておいてくれ……」

「わ、わかってるってば!せいぜいグラス二杯までで我慢するから!」


 我慢って何だよ、と盛大に呆れつつ、エイミーの笑顔を見つめるフレッドもまた、いつになく優しい顔で笑っていた。

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