第37話 アバウト・ア・ガール(4)
(1)
エイミーがブノワと出会ったのは三年前、彼女が二十歳の時だった。
当時のエイミーは弁護士事務所でタイピストのアルバイトをしており、ブノワは事務所が入っているビルの清掃員として働いていた。
ある時(エイミーは言葉を濁したが、ブノワによって強引に一線を越えてしまった時だろう)を境に、ブノワとしばらく連絡が取れなくなった。かと思いきや、二週間程していきなり彼から電話で一方的に別れを告げられたという。
『オレ、清掃員の仕事辞めたから。あとさ、オレと別れてくんないかなー、お前色々面倒くさいし、付き合うのが正直しんどいんだわー』
おまけに、彼は退職直前、エイミーの職場の人間に彼女についてあることないこと吹き込んでいたらしく、仕事に行き辛くなったエイミーも結局自主退職を余儀なくされてしまった。
「……まぁ、タイピストの仕事と掛け持ちしてたネットライティングの仕事だけでも生活できなくもなかったし、ノートパソコン持って昼間のバブーシュカに毎日通ってたことが縁で、こうして今の仕事に繋がった訳だから結果オーライではあったけど……」
まさか、忘れた頃になって突然連絡が来るなんて。
最初は顔本やツ××ターのDMが一方的に送り付けられてきた。
当然返信せずに即ブロック。顔本は公開を友人限定に変更。(ツ××ターはネットライティングの業務連絡等があるため、鍵をつけられなかった)同時期に電話やメール、ラインメッセージまで届くようになったので、ラインも即ブロック。電話番号とメールアドレスも変更する羽目に。
「なのに……、どこで知ったのか、最近じゃ私の住むアパートの周りをうろついたり、後をつけられる時もあって……。それも毎日とかじゃなくて動きが変則的なせいで、いつまた出くわしてしまうか予測できないのが……、却って怖いの……」
「エイミー、何で黙ってたんだ。俺かメアリに相談の一つでもしてくれれば良かったのに」
「迷惑かけたくなくて、ごめんなさい……」
フレッドと並んでカウンター席に座ったエイミーは落ち着きを取り戻したけれど、顔色はまだ冴えないままだ。
「あいつが送ってきたDMやメールは残してあるのか」
フレッドの問いにエイミーはこくりと小さく頷き、スマートフォンのメール画面を開いて二人に差し出した。複数のメールの内容に目を通すごとに二人の顔つきは険しくなっていく。
『シカトかよ。ナメてんの??』
『お前のこの×××××××っていうアドレス、ネットに晒しちゃうけど良い??無視したこと、謝るなら今のうちだけど』
『ついでに、あの時こっそり撮っておいた写真も晒しちゃうけどいい??』
『嫌なら俺と一回、ちゃんと会ってくれよ』
「これはもう、立派な脅迫じゃないか……」
シャッターとブラインドが下ろされ、最低限の照度類だけが灯された店内でフレッドのため息が静かに響く。カウンターの中ではゲイリーが腕を組んで天井を仰いだ。
「まぁ……、ブノワは割とハッタリかますところがあるし、本当にネットに晒したりとかはしない、と思うけど……」
エイミーを少しでも安心させようとするゲイリーに対し、フレッドは無言を貫いていた。それと言うのも、二年前、ブノワがブラックシープのファンに手を出した際、エドのLINEに謎のメッセージを送り付けてきたことがあったからだ。
『あのさぁ、これ、どういう意味か分かるか??』
バンド練習後の雑談だったか、フレッドの部屋での宅飲みの時だったか。
困惑しきった様子のエドが、ガラス製のローテーブルの上に女性もののアクセサリーが置かれた画像をフレッドとリュシアンに見せてきた。聞けば、ブノワからこの画像のみが送られてきたらしい。
『アンナにも見せて二人で考えたんだけどさー、ホント、さっぱり分からん。ただ、アンナはこのブレスレットに見覚えがあるような……、とは言ってて』
『もうちょっとよく見せてよ』
画像を食い入るように眺めて考え込んでいたリュシアンだったが、二、三分後には『何となくだけど、分かった……』と、彼にしては珍しく渋い顔をしながらスマートフォンをエドに返してきた。
『このブレスレットは
『……そういうことかよ……』
リュシアンに続き、フレッドまで眉間に皺を寄せるのを『ちょ、お前らだけで合点いってるんじゃねぇ、ちゃんと説明してくれよ』とエドが詰め寄ってくる。
『怒るなよ??端的に言うと、あいつがキャットを食っちまったっていうことを、暗に報告だか自慢だかしたかったんだろ……』
『あぁ?!』
そして、後日、例の騒動へと発展するのだが――……
この話はエイミーに更なる恐怖心を植え付けるだけだと思ったので、あえて伏せておくことにした。今度はあの時と同じ轍を踏みたくはなかったし。
(2)
「しばらくの間、仕事からの帰りは俺が送っていくよ。今日みたいに待ち伏せている可能性もあるかもしれんし」
「……ありがとうございます、助かります」
「今日帰ったら、嫁にも事情説明しておく。事情が事情だし、むしろそうしてやれって言われそうだけど。ただ、問題は火曜日とライブ予定のない日曜日だよな……。休日に何か起きたら……」
「だったら、火曜と日曜は俺がエイミーと一緒にいればいいんじゃないか」
「……え??」
意外な発言が意外な人物から飛び出したため、エイミーとゲイリーは揃って目を丸くして発言者のフレッドを凝視した。
二人の反応に眉を顰めつつ、フレッドは更に言葉を重ねる。
「今夜の件で当分はバブーシュカには近づいてこないかもしれないし、仕事の日に何らかの対策を練るのは想定しているかもしれない。代わりに休日――、昼間はあいつも仕事があるだろうから夜とかにアパート周辺をうろつくかもしれん。だから、休日の夜はなるべくエイミーを一人にしない方がいい気がする。それに」
「それに??」
「あいつ……、俺とエイミーが付き合っていると勘違いしたみたいだし、それっぽい振りしていれば、ひょっとしたら諦めてくれるかもしれん」
「あー……、なるほどねぇ」
「え、ちょ、ちょっと待って?!それって色々マズくないですか?!」
「あ??」
納得する空気が男二人の間で流れかけるのをエイミーが慌てて割り込んでくる。
先程まで顔色の悪さから一転、頬を真っ赤に染めて。
「だって!私なんかと付き合ってるだなんて、フレッドさんに迷惑が……」
「俺が既婚者だったり恋人か好きな女でもいりゃ迷惑極まりない話だが、生憎どれにも当てはまらないんでね。特に問題ないし、悪い虫除けくらいならいくらでもなってやるよ。あんたが嫌じゃなければ」
「イヤっていうか……、申し訳なくて胸が痛むんですけど……」
「あぁ、そこはあんまり気にすんな。確かに顔は良いけど、中身は至って普通の、俺と同じ三十路のオッサンだから」
「オッ、オッサン……って」
「エイミーみたいな若い子と噂になるなんて役得だろうよ」
「お前と一緒にするな。黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって」
カラカラと豪快に笑うゲイリーをフレッドが憮然と睨みつけるのを、エイミーはハラハラと見守っていた。
「冗談は置いといて、本当にお前に任せてもいいか??」
「あぁ」
「じゃあ、俺からも頼む。エイミーをブノワから守ってやってくれ」
「あぁ、分かった」
「ただし、手は出すなよ」
「……お前は俺を何だと思ってるんだ……」
「ちょっ?!ゲイリーさん、何言ってるんですか?!やめてくださいって!!」
ゲイリーの一言のせいで脱力してしまったが、固く神妙な雰囲気が少し和らいだような気がする。何より、エイミーがいつもの明るさを取り戻してくれたことにフレッドは内心ホッとしていた。
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