第8話 シーズ・ソー・クール(7)

(1) 


 かつて自分が渇望して止まなかったものを見せつけられた時、人はどう反応するのか。 


 純粋に憧れだけを抱くのか、羨望と嫉妬に身を焦がすのか。

 馬鹿馬鹿しいと否定に走るか、どこかに綻びがないかと探りを入れるか。

 手に入れた気になりたいがために彼らに近づくのか。


 彼らの稀有と言える関係を少し、観察してみたい。

 本や映画でストーリーを追うような感覚――、同調しようにも憧憬を抱こうにも、彼らの事情と自分の事情は全くの別物すぎるから。


 そう結論付けたが、ジル自身の中で確実に起きた変化には無自覚だった。

 どんな形であれ、他人に興味を持ち始めたということを。









 週末に突発的な仕事が入ってくれないだろうか。

 前日の土曜日まで抱いていた淡い期待は叶うことなく、オールドマン父子の自宅前にジルは佇んでいた。


 チェスターに教えられた住所を元にアパートから徒歩約三〇分で到着した家は、建売住居の多くに見られる茶色い煉瓦造りの三階建てセミデタッチド・ハウスで、左右対称に二つの玄関扉と部屋の窓が複数あった。右と左に分かれた二世帯住宅なので間違えないようにしなければ、と思っていたが、右側の駐車スペースに見覚えのある車が止まっている。

 ポーチの階段を上がり、数秒迷ってから扉横のインターホンを押す。室内から誰かが玄関に近づいてくる音と気配が扉越しに薄っすらと感じる。


「本当に来たんですか」

「……悪かったね」

 扉を開けたフレッドの不躾な第一声に、思わずムッとなる。

 いっそのことプレゼントだけ渡して帰ってやろうか、と思っていると、フレッドの後頭部に白い手が伸び、スパコーン!と小気味良い音が鳴った。

「いって!何するんだよ!」

「お客さんに失礼なこと言うからでしょ!」

 後頭部を抑えるフレッドの背後には、片手を腰に当てもう片方は拳を握るメアリの姿。

「えっと……、私、メアリっていいます!チェスターおじさんからは話を聞いてます……、どうぞ!中に入ってください!!」

「メアリ、勝手に」

「うっさい、フレッドは黙ってなよ」

 睨みを利かせてフレッドを黙らせると、メアリはしきりにジルに手招きする。にこにこ笑っているメアリの横では、フレッドが唇をへの字にひん曲げている。

「ごめんなさい、この子素直じゃないだけで、ギャラガーさんが来てくれたことが嬉しいんです」

 メアリの言葉に反し、誕生日会の主役からは歓迎されているようにはちっとも見えない。このまま参加してもいいものだろうか。

 一抹の不安が擡げるが、メアリに促されるまま遠慮がちに家の中へと足を踏み入れる。

「……言っておきますけど、別に、ギャラガーさんが来てくれたのが迷惑とか思ってませんから。ただ、半年遅れの誕生日会なんかに時間割いてもらうのが、ちょっと気が引け」

「『なんか』は余計!」

「いってーな!いちいち叩くなよ!」

「二人とも、仲良いのね……。あ、あと、メアリちゃん……の言う通りだと思う。時期はどうあれ、誕生日を家族とか友達に祝ってもらえるっていうのは有難いもんだよ」


 薄青の瞳が翳り、声のトーンが微妙に下がる。ほんの一瞬だけ見せたジルの憂い顔をフレッドは見逃さなかった。

 返答に詰まり、薄い唇を開けては閉じを二、三度繰り返し――、結局、諦めたように押し黙った。


「ですよね!」

 タイミング良くメアリがジルに同調してくれたので、フレッドとの気まずい空気はすぐに解消された。更には、前方の廊下をバタバタと駆けてくる足音が近づいてくる。

「ですよねー!!!!」

 騒がしい足音の主が背後からフレッドに飛びつき、羽交い絞めにする。

 げっ、と苦しげに息を吐き出すフレッドの肩越しから、彼はジルとメアリの間にひょいと顔を突っ込んできた。

「お、なになに、新しいお客さん?!ていうか、なに、フレッドさー、こんなきれーなおねーさんとー、どこで知り合ったんだよー?!」

「耳元ででかい声出すな!うるさい!」


 小柄なフレッドの背に合わせて落とした腰や膝の深さから、この年頃にしてはかなり背が高い。ひょっとしたらジルの身長よりも高いかもしれない。

 癖の強いアッシュブロンドの髪や大きな口がライオンみたいだが、悪戯めいた緑の目はまだあどけない。


「あのさー、エド。まずはお客さんにちゃんと挨拶しなさいよ」

 じゃれ合う少年達(片方はされるがままだが)にメアリはすっかり呆れ顔。エドと呼ばれた少年はジルに向かってニカッと笑ってみせた。

「こんちわー!俺、エドワードっていいまーす!エドって呼んで呼んで!!」

「こんにちは、ジル・ギャラガーよ……。よろしく、……エドくん??」

「へへへー、よろしくぅ」


 (約一名を除く)子供達の勢いに圧倒され、ジルの足は玄関よりも奥へ一向に進められない。いつまでも玄関で話し込むのも埒が明かないのだが、複数の子供に囲まれた経験がないのでどう話を切り上げればいいのか。


「あーあー、ギャラガーさんてば、子供達に人気じゃないですかー」

 エドが出てきた部屋――、きっとあそこで会が行われているだろう――、の扉が開き、チェスターが扉の影からひょこっと顔を覗かせた。

「ほらほらー、お客さんをいつまでも玄関に立たせておかないのー。早く、みんなでこの部屋までギャラガーさんを案内するんだぞー」

「はーい!!」


 この時、知り合ってから初めて、ジルはチェスターに心から感謝した。

 早く早くとメアリとエドに背中を押され、板張りの廊下をギシギシ軋ませてチェスターが待つ扉まで進んでいく。三人の後ろに続くフレッドは、相変わらずムスッと不貞腐れていた。


「フレッド君」

 メアリとエドに急かされて部屋に入る直前、ジルは斜めがけの鞄をごそごそ漁りながらフレッドを振り返る。

「何ですか」

「これ、あんたにプレゼント」

 怪訝そうにジルを見返すフレッドに、無地の青い包装紙でラッピングした本を手渡す。薄灰の瞳をパチパチと瞬かせるフレッドに、「吃驚しなくてもいいじゃない、プレゼントくらい、ちゃんと用意するよ」と軽く笑ってみせる。

「あんたくらいの年頃に夢中になった本。もしかしたら、とっくに読んでるかもしれないけど」

「ギャラガーさん、早く入ってー」


 チェスターとメアリ、エドの呼び声が重なり、今度は室内を振り返った。

 だから、本の端を持ったまま立ち尽くすフレッドがどんな顔をしていたのか。

 ジルは知る由もなかった。






(2)

 

 室内に入ると誕生会はすでに始まっていた。

 部屋の真ん中にはケーキや料理が並んだテーブルがあり、参加者個々への椅子は並べていない。

 右側に白い皮張りの広いソファーが二脚、間にガラス製のローテーブルを挟んで置かれている。左側にシステムキッチンがあることから、リビングとキッチンが続きになった部屋だと分かった。キッチン側の壁際に椅子数脚寄せられているのは、リビングまでテーブルだけを移動させたからだろう。

 軽快なポップスのBGMが流れている。リビング奥に置かれた飾り棚の上に小型のCDデッキがあった。

 音楽に気を取られて二、三歩進むと、靴裏で何かを踏みつけてしまう。そっと足を上げれば、リボンのような黄色の紙屑が。よく見ると、フローリングの床の上に同じような細長い紙屑が落ちている。


「はい!ギャラガーさんもどうぞー」

 チェスターからクラッカーを手渡され、さっきの紙屑がクラッカーの中身だと気付く。人が鳴らしているのは何度か見たが、自分が鳴らすのは初めてだ。

 記憶を頼りに三角の底辺部を天井に――、照明器具やエアコンは避け、人が前を通り過ぎないのを良く確かめて紐を引っ張る。パァン!と弾ける音、飛び出す色とりどりの紙吹雪。

「さ、今日は楽しんでくださいね!自分の家だと思って寛いで!」


 実家で寛げたことなんてないけどね、と、心中で反発しかけて思い直す。たまには素直になった方がいい――、かもしれない。

 返事の代わりに、ほんの少し唇の端を引き上げ頷いてみせた。


 車中でチェスターが話していた通り、フレッドは本当に友達が少なかった。

 この場に集まった者で彼と同世代の子供はメアリとエドくらいで、あとは大人ばかり。それも家族とチェスターの店の従業員だった。子供の誕生会はカフェやレストランを貸し切り、友達の他に近所の住民、親戚も集めて……、というジルの誕生会へのイメージとはかなり異なっている。

 ある程度成長した年頃だから、こじんまりとしたものにしたのか。

 フレッドの性格を考えれば、大々的に開くのを嫌がったかもしれないが。

 それとも――、余計な勘繰りは無粋だと、思考を遮断しかけた時、膝下辺りから好奇心と警戒心が入り混じった視線を感じた。


「にいちゃん、これ、だあれ」


 フレッドの足に抱き付く小さな男の子が、ジルとフレッド交互に視線を巡らせて指を差してくる。写真で目にした印象と変わらず、髪と目の色、顔立ちが父親とよく似ている。フレッドは一瞬考える素振りを見せた後、「兄ちゃんの……、ともだち……??」と、微妙な顔つきで答えた。

 薄灰の瞳がちら、とジルを見上げる。

 子供ながら随分色気のある目付き。これは将来女泣かせになるに違いない、などと、どうでもいいことを考えながら膝を深く折る。


「はじめまして。ジルって言うわ。君のお兄ちゃんと仲良くさせてもらっているの」

「ふうん」

「お名前は??」

「マシュー、四歳だよ!」

「そう、マシュー君っていうの。よろしく」

「うん!」


 無理矢理引き上げた唇の端や頬が、少し痛む。

 今までの自己紹介で一番緊張したかもしれない。


「ほら、マシュー。もういいだろ??それよりもみんな食べているから、お前も行って来いよ」

「にいちゃんといっしょがいい!」

「わかったわかった、じゃ、一緒にケーキ食べよう」

「うん!」


 マシューの背中をそっと押し、テーブルの方へ誘導していくフレッドの後ろ姿。

 意外に面倒見が良いのか、と、目を瞠っていると後ろから肩をポンと叩かれた。振り返ると、さっきまでテーブルの傍にいたチェスターの店の従業員達数名、ケーキや料理を乗せた小皿やワインのボトルを手に立っていた。


「どうも、初めましてー、この間フレッド君を店に連れて来てくれた方ですよね??」

「あ、はぁ……」

「ケーキ食べますー??」

「おいおい、モデルさんに高カロリーなもん薦めたらダメだろ?!せめて果物にしろって」

「お酒もありますよ、ビールよりワインの方がいいですか??」


 誕生会に参加を決めたものの、ジルが密かに気がかりだったこと――、『子供フレッドを手懐けてチェスターに近づき、あわよくば……』を狙っている、などと思われないか。

 人にどう思われようが気にしない、どうでもいいと生きてきたのに。

 幸い、矢継ぎ早に話しかけてくる、彼ら彼女らのジルを見る目は好意に満ちており、ただの杞憂だったと内心ホッとする。 


「ケーキもお酒もちょっとだけなら平気です。折角なので頂きます」

「それなら良かった!じゃ、どうぞ」


 副店長エリザと呼ばれていた女性が、ケーキの小皿とワインのグラスを差し出してくれた。

 表面を青、緑、黄色のマジパンとアラザンでコーティングされた三段重ねのスポンジケーキ。スポンジとスポンジの間には、ブルーベリー、ラズベリー、生クリームがたっぷり挟んである。

 他の人のケーキと比べ、大きさは三分の一小さく切り取ってあるものの、少量とはいえワインも飲むから今日は夕食抜き、ストレッチは普段の倍の時間やらねば。

 胸焼けしそうに甘ったるいケーキをワインで流し込む。さっぱりしたフルーツが食べたい。フルーツを盛り合わせた大皿へと視線が動く。


「取りましょうか??」

 エリザが気を利かせ、ジルに尋ねた。

 結構です、と断ろうとして、ふと思い止まる。

「……じゃあ、オレンジとグレープフルーツを少し」

「分かったわ」

 微笑むエリザに遠慮がちに小皿を渡す。

「お母さん!私がやりたい!!」

 急に横から入ってきたメアリが母からジルの皿を奪い、フルーツ皿の傍のトングを握りしめる。

「あの子ったら……、ごめんなさいね」

「いえ、元気な娘さんですね」

「元気というかお転婆すぎて……、誰に似たのやら」


 ため息をつくエリザの横顔、呆れてはいても娘に向ける眼差しは温かい。

 メアリも愛されて育っている――、微笑ましくもあり羨ましさも禁じ得ない。

 当のメアリはなぜか嬉しそうな顔で、フルーツを盛りつけた小皿をジルに返してくれた。無邪気な笑顔を前に、自然とジルの笑顔も引き出されていた。






(3)


「チェスター、私と賭けをしない??」

「賭けとはナニかな、エリザさーん??」

「この勝負に私が勝ったら……、一つだけ言うことを聞いて」

「はぁ??」

「出張仕事に他の従業員を同行させて欲しい」

「や、俺、一人で充分だし……」

「後進を育てるのは大事よ。現状、あなた一人だけが仕事をやたらと抱え込んでる。もっと私達を頼って欲しいのよ」

「えー、店の方はちゃんと任せてるじゃないっすか。ちゃんと頼りにしてますよー」


 ローテーブルを挟み、対面のソファーに腰掛けてチェスターとエリザが睨み合っている。それぞれの手にはトランプのカードが数枚。二人の周囲を子供達と従業員が囲む。

 元々は全員でトランプゲームに興じていたのだが、ジルが最初、フレッドとマシューのペアが二番目に勝ち上がり、次いで他の者が一人二人と勝ち上がっては抜けていく中、最終的にチェスターとエリザの一騎打ちと相成ったのだ。


「どっちが勝つか、あたしらも賭けようよ!あたし、エリザさんに5ペンス!」

「オレ、エリザさんに5ポンド!」

「私もエリザさんに10ペンス!!」

「俺もエリザ小母さんに8ペンス」

「ちょっと、なんでエリザさんばっかりに賭けるのよ!私もエリザさんに賭けようと思うのに」

「ちょっとちょっとちょっとー!君らねぇ!!何で誰も俺に賭けないのよ?!って、フレッド、お前はまだ子供なんだから賭け事禁止!!メアリとエドもだからね!!」

「はいはい、子供は引っ込んでるよっと。結果が分かり切ったオールドメイドババ抜きなんて見ててもつまんないし。二階でマシューを昼寝させてくる」

 フレッドは肩を竦めると、傍らでしきりに目を擦るマシューの手を引いて騒がしい輪の中から抜け出した。

「で、ギャラガーさん、どうするの??」

「何が??」


 扉の前で立ち止まったフレッドに問われ、ジルは首を傾げた。

 察しが悪いと言いたげにフレッドは眉を寄せ、再びジルに問う。


「父さんかエリザ小母さん、どっちに賭けるの??」

「端から参加する気ゼロだけど」

「ふーん」

「え、ジルちゃんも参加しようよ!!」

 短時間の間に、若く気さくな従業員達からはすっかりファーストネーム呼びされている。照れ臭くはあるが、決して不快さは感じない。

「ギャラガーさん、父さんには絶対賭けない方がいいですよ」

「だから、私はやらないって」


 ドアノブに掛けた手を回しながら、フレッドは珍しく笑ってみせた。

 彼の言葉と笑顔の意味――、ジルは後々深く理解することになる。

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