第13話

 医務室を出たガディとロズメルカは、中庭沿いの通路を歩く。

 見事な芝生と手入れの行き届いた庭園、多くの学院生が小休止したくなるような景観には目もくれず、ガディは歩みを速める。ロズメルカもしっかりその歩調に合わせてきた。

「アリマ・ユウねー。なんのつもりでサクリファイスを庇ってたんだか。あっ、あの子も顔はいいし、案外一目惚れとか?」

 冗談めいた口調で言うロズメルカだったが、ない可能性とも言い切れない。

〈翅付き〉の存在理由など知らぬ隣界人からしてみれば、サクリファイスはただの儚げな少女に映るだろう。思わず守ってしまいたくなるほどに。

「サクリファイスも、今頃はどんな気持ちで別世界にいるのかしらねー。まさかこれで助かった~なんて思っちゃいないだろうけど。レオもしっかり予告したみたいだし?」

「……そうだな」

 ガディは医務室を出る直前、レオが口にした言葉を思い出す。

 ――「そうそう。サクリファイスには言っておいたぜ。次はガディが行く、ってな」

 強制帰還が発動する瞬間に、そう言い残してきたそうだ。

 サクリファイスは絶対に連れ戻さなければならない。そしてレオに続く奪還役が、ガディ――わざわざ予告せずとも、サクリファイスならそう思い込むだろう。

 なにせガディは、サクリファイスの護衛役。

『彼女が生贄としての責務を果たすまで守り抜く』という大命を背負った身なのだから。

(その上で逃げられているのだから、世話はない)

 心中で己を叱責する。

 同時に、だからこそこの手で連れ戻さなければとも思う。

 ――「ガディ。おまえは俺が認める唯一絶対のライバルだ。負けんなよ」

 先んじてサクリファイスを追った友人――当時ガディは別件で手が離せずすぐに追うことができなかった――は、退室間際にそんな激励をくれた。

 ライバル。そう評してくれるのは魔術学院の中でもただ一人である。

(嬉しくも困ったものだな)

 レオとは入学当初から付き合いで、最初は彼が喧嘩をふっかけてきた。

 ガディはそれを返り討ちにし、以後何度か再挑戦を仕掛けられるも結果は変わらず、レオも諦めず……といったことを続けていたら、いつの間にか友人関係が築かれていた。

 後ろのロズメルカも、似たようなものである。

 ガディを友と慕ってくれる者は少ない。中でも、この二人は特別だ。

 だからこそ信じてくれた友に報いなければならないと思うし、大切にしたいとも思う。

「隣界に渡れるのは二人まで。たしかサクリファイスはそう勘違いしてるのよね」

「ああ。だが事実は、サクリファイスを含め三人だ」

 これはガディ自身、今日初めて知った情報である。

 隣界への転移、そして滞在は最大二名まで――長らくそう認識していたが、魔術学院を統べる〝王〟から直々に、実際には三名まで渡れることを教えられた。

「おそらくはこういった裏切りを想定し、事実を秘めておられたのだろう」

「あはっ。おかげでサクリファイスに油断が生まれるわけだ。追手がガディとアタシ、まさか二人も来るはずないって油断が」

「……ロズメルカ。悪いが、君は外れてくれ」

「はあ?」

 ガディは歩みを止め、後ろのロズメルカに話しかける。

 赤髪の少女は不服そうに眉根を寄せた。

 隣界への扉を開く儀式魔術の発動には数日を要する。追手として向かうのは二人――予定では、ガディとロズメルカがサクリファイス奪還の任に就くことになっていた。

 しかし、ガディはその予定を変更し、ロズメルカに退けと言う。

「敵の能力は未知数だ。もし魔術を封じる力がなんの制約もなく使えるのだとしたら、サクリファイスの奪還には大きな危険が伴う。だとしたらロズメルカ、俺は君を――」

「ガディ」

 大切な友を思っての進言は、しかし逆にロズメルカの怒りを買った。

 赤髪の少女はまっすぐガディに歩み寄り、通路の壁側まで追いやる。

 中庭からの日差しが当たらない陰に移動し、銀髪の少年のネクタイを掴んだ。

「今は二人きりよ。相応しい呼び方があるんじゃないかしら?」

 神経質なほどに固く結ばれたネクタイが伸び、わずかに首元が露出する。

 ガディは表情を変えない。

 ロズメルカの勇ましいような不機嫌なような目つきで睨まれて、無神経――というわけでもない。その心情は察していた。

 なればこそ、求められている名を呼ぶ。

「……メル」

「よろしくてよ、我が愛しの男」

「君が俺をガディと呼んでくれることには、君の語る愛で応えたい。だがその前に、〈翅付き〉としての俺の名はガーディアンだ。この命は、サクリファイスを守るために在る」

 ガーディアン。

 本来の名はそちらであり、ガディとはロズメルカが名付けてくれた愛称に過ぎない。 

 生まれたときから存在理由が決定されている〈翅付き〉の一族――ガディは、いずれ生まれてくる生贄の少女を守護する役割を与えられ、その名を付けられた。

「承知の上よ、愛しのガディ。アナタの人生は、サクリファイスが生贄としての務めを果たすまで彼女を守り抜き、〈覇界〉を成し遂げるためのもの。ただそれだけの、つまらない人生――だけど、その後の人生はアタシがもらう」

 この世界に住まう者の多くは、〈翅付き〉は使命を果たすまでの物だと断じる。

 だがロズメルカは、そんなガディを愛すると言ってくれた。

 グランサードという高名な貴族の出でありながら、本来愛欲の対象にはない〈翅付き〉を愛すると言ってくれたのだ。


 ――アタシはアナタを人間にする。


 彼の使命の終着点、〈覇界〉を成し遂げた暁には、グランサードの家名を与え〈翅付き〉の名を返上させると――自らの立場など度外視で、そう誓ってくれた。

「今さら確認するまでもないはずよ。アタシはアナタのために。覚悟の証明が必要なら、口づけの一つでもしてあげましょうか?」

「いいのか? 俺は君を使うぞ」

「それが必要なことなら、どうぞお好きに。アタシは喜んで愛する男の駒になるわ」

 ロズメルカの赤い唇から、大胆な言葉が出る。

 ガディもまた大胆に、その想いに応えることにした。

 彼女の腰に手を回し、優しく抱き寄せる。

「メル……もっと近くに」

「やん。情熱的ね、ガディ」

 豊満な胸を押し付け、体重を預けてくる彼女をさらに優しく包み込み――唱える。

「〈メタトロン〉」

 ――抱き合う男女の傍らに、白い軍服を纏った仮面の男が顕現した。

 さらに手元には、修得している魔術などを載せた情報領域――〈窓〉が浮かび上がる。

 ガディはロズメルカを抱いたままそちらに指をやり、続けて唱えた。

「〈防げ聖盾(ゼア・ブラド)〉」

 瞬間――壁際にいた二人と仮面の男を覆うようにして、無数の盾が出現する。

 そして一秒も間を置かず、盾目掛けて――本来はガディとロズメルカを目掛けて――殺意が殺到した。

 炎弾、水流、岩石、光線、瘴気、そのことごとくを盾が防ぐ。

 いずれも魔術による攻撃だ。

 突然の攻撃がやんだ頃合いを見て、盾が消失する。

 しかし〈窓〉と契約精霊たる仮面の男――〈メタトロン〉は消えず、ガディは中庭に立つ集団を見た。腕の中では、ロズメルカが不機嫌そうにしながら同じ方向に視線をやる。

「あーあ。せっかくガディが愛を囁いてくれてたのに」

「団体でなんの用だ? ヒューバート・アインス」

 目視した集団の人数は、六人。

 全員がガディやロズメルカと同様に魔術学院の制服を着込んでいる。ただし魔術の属性を現すローブの色だけが、赤、青、茶、緑、白、黒とそれぞれ分かれていた。

 傍らには外見様々な契約精霊が顕現済みで、もちろん〈窓〉も展開されている。

「睨むなよ。別に逢引の邪魔をしたかったわけじゃない」

 六人の中心人物とみられる緑色のローブを羽織った少年――ヒューバート・アインスが、挑発的な態度で呼びかけに応じる。

「聞いたぜ、ガーディアン。お友達の〈爆焔狂〉がしくじったそうじゃないか」

「そうだな。だから?」

「生贄一人連れ戻すのに難儀しているみたいだから、代わってやろうかと思ってね」

 叱責と提案、それらの前に仕掛けられた奇襲。

 とても穏便な交渉を求めているとは思えず、ガディは厳格な態度でこれに答えた。

「不要だ。サクリファイスは俺とロズメルカの二人が追う」

「護衛対象である生贄に逃げられた守護者サマと、グランサードの不良娘の、二人でか? おいおい、隣界に駆け落ちでもしに行くのかよ!」

「下世話な挑発はやめろ、ヒューバート。それに、次の転移で隣界に渡れる定員は二名までだ。代わってやると言うわりには、人数が多いようだが?」

 他五人の顔は覚えている。全員、ヒューバートの取り巻きだ。

 魂胆は見え透いているが、向こうは数の利を得たことで安心しているのか、語る場を設けたいらしい。

「なに、ちょっとした勝負の最中でね。俺が隣界へ向かうのは決定しているんだが、もう一人の枠は『誰が守護者サマの首を取れるか』で決めることにしたんだ」

 ガディは嘆息する。

(目的はサクリファイス奪還の資格、その強奪か)

 先にガディが口にしたとおり、次に隣界へ渡れる人数は決まっている。ヒューバートは実力でその枠を奪い取ろうというのだ。数に物を言わせての奇襲という方法で。

 卑怯となじることはできる。が、意味はない。

 ここ魔術学院では、魔術師としての力量が地位に直結する。

 貴族の出であろうが王族の出であろうが、強さこそが権力だ。

 そして強さの基準とはなにか。

 答えは単純明快――『死ななければ強い』。

「なにしろあの〈爆焔狂〉がやられただろ? あの汚い言葉遣いで他人を威嚇することしか能のない雑魚が。ここにいるみんなの実力は彼以上だが、証明の必要もあると思ってね」

 ガディは眉根を寄せる。

 それに対し、ヒューバートは下卑た笑みで答えた。

「悪いね。早いもの勝ちだから、こんな風に一斉に仕掛ける形になってしまったようだ」

「謝る必要はない。弱肉強食。それがこの魔術学院の法だ」

 何人がかりであろうと、殺せば強い――死ねば弱い。

 弱者に権利はなく、勝者にこそ権利は与えられる。ここでガディたちが殺されるようなことになれば、サクリファイス奪還の役目はヒューバートたちに移るだろう。

 そこに異を唱える者は、いない。

「寛容で助かるよ! じゃあさっそく、隣界行きの資格と命をもらおうか!」

 ヒューバートが号令するように手を挙げた。

 すると他の五人が一斉に、自分の〈窓〉に指を走らせる。

 各々発動する魔術の名を口にし、契約精霊から五種の攻撃が放たれた。

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