第12話

   第三章 魔術学院



 ――世界には数多の国々が存在するが、権力を持つのは魔術学院ただ一つである。


 その教育機関を語る際は、やや誇張気味にそう表現されることが多い。

 純然たる事実として、魔術学院以上の権力を持つ組織や国家など存在しないためだ。

 世界中から人種問わず才能ある若者を集め、魔術師としての教育を施す学び舎。

 そして同時に、世界の趨勢を決める国家機関ならぬ世界機関。

 それこそが魔術学院であり、この世の中枢ともいえる場所。

 そんな魔術学院で、ある事件が起こった。

 十年以上昔から計画され、綿密に進められてきた〈覇界〉――〝隣界〟と呼ばれる別世界への侵攻計画が、重要人物を欠いたことで中断せざるをえなくなった。

 即ち、隣界との扉を開く役割を担っていた生贄役、サクリファイスの逃亡である。

(愚かな。使命からは逃れられない)

 ――魔術学院が誇る魔力石造りの廊下を、二人の男女が黙して進む。

 先頭を行くのは背の高い銀髪の少年。

 暗色系のシャツにネクタイをしっかりと結び、皺のないズボンを履いていた。

 フードの付いたローブは白色で、一切の汚れがない。服装からして厳格な性格がにじみ出ていたが、それより特筆すべきはその容姿である。

 容姿端麗。だが無意味だ――親しい友人に限り『ガディ』と呼ばれるその少年は、他者からよくそういった評価を受ける。

 顔立ちの良さは誰もが美と認めるほどだが、それが称賛や羨望に繋がることはない。

 これは決して嫉妬などではなく、彼の存在理由がそうさせていた。

(俺は守護者であり――おまえは生贄なのだから)

 足早に歩くガディの後方には、少女が続く。

 二人はある一室にたどり着き、先頭のガディが扉を軽く叩いてから揃って入室した。

 そこは、学院の医務室である。

 訪問の目的たる人物はベッドの上に寝かされ、ギラついた目つきでガディを見やった。

 ガディもまたその視線に応じ、ベッドの上の人物――レオ・ニードハルドのもとまで近寄って、声を掛ける。

「強いのか?」

「俺様よりは弱い」

 レオが尊大に言い放つ。

 その腹部に、赤色の果実が落ちた。

「ごふぅ!?」

 落ちた、というより投げつけられた。

 当然の反応として、レオは痛みに悶絶する。

「バーカ。アンタのが弱いから、みっともなく逃げ帰ってきたんでしょうが」

 見舞い品の果実を投げて渡した犯人は、ガディの後ろにいた少女だった。

 ガディやレオと同じく、暗色系のシャツとネクタイといった服装。しかしサイズが窮屈なのか、ネクタイを緩め胸元は大胆に開けられていた。

 下はズボンではなくスカート。こちらは太ももを見せつける意図でもあるように短くされている。本来上から羽織るべき茶色のローブは、腰に巻き付けていた。

 名は、ロズメルカ・グランサード。

 彼女は左右二つに結った赤髪を尾のようになびかせ、ベッドの隅に腰を下ろす。

 レオは苛つきを隠そうともせず、彼女の若葉色の瞳と向き合った。

「逃げてねえ! 強制帰還の術式のせいで無理やり帰されたんだ!」

「だからボコボコにされたからでしょ。ユエルちゃーん。このバカの容態どんな感じ?」

 ロズメルカが尋ねると、医務室の奥から小柄な少女が顔を出した。

 ガディら三人と同じく、魔術学院の制服を身にまとった学院生である。

 ただしシャツの上はフード付きのローブではなく、白衣を羽織っていた。これは彼女が学院生であると同時に、養護教諭を務めているためだった。

「ふむ」

 ユエルと呼ばれた眼鏡の少女は年齢もまだ十三歳で、十七歳のガディたちよりも幼い――が、この学院内において年齢差など意味はない。最低限、十代であるならば。

 ユエルは極めて事務的に、ロズメルカの質問に答えた。

「顔面を強打され、口の中が切れております。殴り飛ばされた際に頭を強く打ったようで、帰還直後はふらふらな状態でありました。身体も捻ったらしく腰を痛めております」

「うわっ、ダッサ」

「ぐぬっ……」

 ユエルは嘘をつかない。ロズメルカの辛辣な一言にレオが言い返せないでいるのも、事実の裏付けとなる。

 殴られて敗北した――火属性の魔術に長け、〈爆焔狂〉とまで呼ばれるほどの実力者であるレオ・ニードハルドが、だ。

「魔術を封じられたと聞いた。確かか?」

 ガディは最も重要な事柄を問う。

 レオは少しだけ沈黙したあと、苦々しい表情で口を開く。

「……本当だ。だが、こっちに戻ってきたらまた使えるようになってた」

「一時的なものだったということか」

「念のため、わたくしが解呪の儀式魔術を施しております。魔術ではないと思われますが、なにをされたかわかりませんので」

「おかげで寝台から動けねえ」

 ガディが見ても、レオにそれほど酷い外傷はない。骨も折れてはいないようだ。

 しかしユエルの言うとおり、見えないなにかをされている可能性はある。

 そのための対処が、部屋の天井――碧色に輝く球形をした、彼女の契約精霊だろう。

 彼女のそばには、〈窓〉も現れている。

 契約精霊の顕現、そして〈窓〉の展開は、魔術の発動を意味する。おそらくはガディたちが駆けつけるより前から、魔術による治療行為を行っているのだろう。

「魔術封じの方法は?」

「こっちが知りてえよ。確かなのは、ユエルちゃんが言うとおり魔術じゃねえ。野郎、俺様の〈イフリート〉を見てビビってたしな」

「そこ、ウソくさくなーい? ゼッタイ脚色してるでしょ」

「茶々を入れるな、ロズメルカ。レオ、続けてくれ」

 小馬鹿にした態度のロズメルカを制し、ガディはレオの言葉を待つ。

「前兆はなかった。なんの前触れもなく、いきなり魔術が使えなくなったんだ。〈窓〉に表示されているどの魔術を選んでも、〈イフリート〉はうんともすんとも言わねえ。しまいには〈窓〉に小せえ契約精霊みたいなのが――ちょうどロズメルカの〈ノーム〉みてえのが現れて、俺様が修得している魔術を全部喰らっていきやがった」

「へえ。相手の〈窓〉に契約精霊を顕現させるなんて、聞いたことないわね」

「魔術に対抗しうる力を持っているのは間違いない、か……他に気づいたことは?」

 ガディの問いに、レオは考え込む。

 彼は短気だが、ロズメルカが言うほど馬鹿ではない。観察力と記憶力は、学院内でもむしろ優秀なほうだ。

「……そういや、なにか持ってたな。掌に収まるくらいの薄い板だった」

「板ぁ? なにそれ。武器?」

「俺様が知るかよ。わかんねえが、武器とは違う。ただずっと手に持ってて、〈窓〉みてえに指で操作しているようにも見えたな。ああそうだ、俺様が魔術を使えなくなったことを指して、これは『ハッキング』と言う、とか講釈垂れてもいやがった」

「魔術封じの板に、ハッキングか……」

 ガディらに思い当たるものはない。だが単純に考えれば、それはこちらの世界にはない――隣界が保有する技術なのだろう。

 問題は、それがこちらの保有技術である魔術と比してどうかという点。

 レオは魔術を封じられるという最悪に等しい結果を与えられたようだが――と、ガディは思索を巡らせる。

「ま、とりあえずアンタは惨敗に終わったんだから、負け犬ちゃんはおとなしく寝てれば? あとはアタシとガディがやるからさ」

「うっせえな、わかってるよ。あのクソ野郎をぶっ殺してえのは山々だが、決まりは決まりだ。黙って引き下がってやる」

「……そういえば、まだ肝心のクソ野郎とやらの詳細を聞いていなかったな。どんな奴だ?」

 思索を打ち切り、ガディが問う。

 敵の能力も気になるが、敵そのものの人柄に関する情報も必要だ。特に、なぜサクリファイスを守ったのか。行動の裏に潜む心理を読み解ければ、攻略も容易になるはず。

 レオは再び苦々しい表情を浮かべ、敗北の記憶を呼び起こす。

「死んだ魚みてえな目をした陰気な男さ。歳は俺らと同じくらいだな。名前は……アリマだ。アリマ・ユウ」

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