第11話
◆ ◆ ◆
悠の妹――在真諒は、十四歳で人生に幕を下ろした。
聞けば、サクリファイスは十二歳。容姿や性格は似ても似つかないが、年頃が近いというだけで無意識に重ねてしまい、思い出してしまったのかもしれない。
という、滑稽な自嘲。
食器を洗い終え、残ったカレーの後片付けも終えた悠は、一人キッチンで物思いに耽る。
(最後に確認できた、諒のスマホ……スキル・クラフトが起動していた画面には、異能力を発動する上でのルールが表示されていた)
――【最愛の人の目の前で自殺することにより発動可能】と。
そして事実、諒は悠の眼前で命を絶った。
二年前のあの日、ビルの屋上から飛び降りた妹の姿は……今でも瞼に焼き付いている。
(兄貴にトラウマ遺しやがって。そうまでして俺に勝ちたかったのかよ)
なにかにつけて兄に挑戦状を叩きつけてくる妹だった。
異能力を手に入れる以前はゲームで対戦を挑んでくる程度の可愛らしい妹だったのだが、成長するにつれてそのスケールはどんどん大きくなっていった。
悠はそんな諒の挑戦をすべて受け、兄の威厳を守るべく無敗を通した。
この街に移り住んでからは、『どちらが先にS2シティの王になるか』を競いもした。
そしてそれは、諒との勝負の中で唯一、決着がつかなかった勝負となってしまった。
いや――諒の死によって悠はS2シティの頂点に立つという気概を失ってしまったのだから、負かされたも同然だ。ジャッジはドローだとしても、精神的には敗北している。
(『転生』なんていう汎用性ゼロの異能力を手に入れて、死という最悪以上のリスクを背負い、あまつさえ転生先には存在するのかもわからない異世界を選んだ。そして、その異世界はこっちの世界を侵略しようとしている……)
諒は遺書もなにも遺していない。
屋上から飛び降りるその直前にも、その心理はまったく説明してくれなかった。
(わからねえ。諒――おまえはいったいなにがしたかったんだ?)
なにを求めて異世界転生など望んだのか。
もしも。
もしも彼女が本当に、異世界への転生を果たしているのだとしたら――
「アリマ!」
思索を吹き消すように、リビングに入り込んでくる声。
幼い少女特有の甲高い声音が、悠の視線を誘導し――あがっ、と口を開けさせた。
凍火と一緒に入浴していたはずのサクリファイスが、そこに立っていたのである。
バスタオル一枚を身体に巻いただけの、扇情的な姿で。
「おまえ……服を着ろ!」
「服はトウカによって洗濯機とやらに放り込まれたのです!」
「ほ、放り込んでませんよぉ! 丸洗いしていいかどうかわからなかったからとりあえず畳んで置いただけです!」
バスルームのほうから凍火の声が響いてくる。慌てたような口調からして、サクリファイスがバスタオル一枚でここにいることには関与していないようだ。
あらためてサクリファイスと向き合う。
身長の低さが幸いしバスタオルだけでも隠すべきところは隠せているが、問題はそういったところにはない。
お湯に濡れて輝く銀髪。わずかに上気した白くつややかな肌。
離れていても漂ってくる椿オイルのシャンプーの香り。
身体の凹凸のなさや容姿の幼さなど関係なしに、その美しさは暴力的といえた。
「――っ」
一瞬、我を忘れて見惚れる。
らしくもない反応をしてしまっていると自覚しながら、悠は言葉を探した。
「アリマは私に生きろと言ったのです!」
そんな悠を制するように、サクリファイスが強く言い放った。
拳を固く握ったその姿勢からは、今にも爆発しそうな感情の波を感じる。
「全部を投げ出すのは、命を落としてからで遅くないと。そう言ってレオから守ってくれたのに……そんなアリマが、生きる目的を見失っているだなんて。なんか……なんか……」
「……なんだよ」
「なんかイヤなのです!」
サクリファイスが叫ぶ。
あれは、悠としては何気なく発した言葉だった。異世界に転生した妹を追い求める方法などないと諦め、無気力に暮らしていた自分自身への自嘲の意味も強い。
「うまく言葉にできないけど、なんかイヤなのです! あのときのアリマは格好良くて、暖かくて! アリマのおかげで、生きようと思えたのです! 生きていいんだって、嬉しくなってしまったのです!」
だがその言葉が、自死を選ぼうとしていた少女に想像以上の影響を与えていたようだ。
悠自身、サクリファイスの言いたいことや内に抱えている感情は、なんとなくわかる。
その上で、やはり諒とは正反対――むしろ凍火のほうに似ている、と思った。
(自分の命で、見ず知らずの世界を守ろうとしたんだ。今さらな気づきだな)
端的に言って、お人好しのおせっかいなのだ。この少女は。
「だからアリマにも、きちんと生きてほしいのです!」
「別に死のうだなんて思っちゃいねえよ」
「しっかり意志を持って生きてほしいのです! 消化試合なんて言わず!」
「将来を見据えろとでも言うつもりか? 現代の若者に無茶言うぜ」
「無茶でもなんでもやるのです! 転生した妹さんを探したいというのなら、私も全力で協力するのです! だから……だから……!」
いろんな感情が渦巻きすぎてめちゃくちゃになっている少女に、悠はため息をつく。
そして一旦視線を外し、バスルームのほうに声を投げた。
「おい凍火。おまえ、諒のことサクリファイスに喋ったな?」
「ご、ごめんなさい! でも、在真くんからは言い出しづらいかと思って!」
「さすがだよ」
悠が生きる目的を失っていたなど、そんなことを知っているのは凍火しかいない。
状況的に幼なじみが過去を語ったのは明白だ――正直、助かる。
悠はリビングのソファに腰を下ろし、サクリファイスの目を見て言う。
「別にあらたまって宣言しなくても、協力はしてもらうつもりだ。なにしろ、おまえはここにそうして立っているだけでも、俺の目的に協力していることになっている」
「えっ? ど、どういうことなのです?」
「魔術学院とやらはおまえを狙ってんだろ? 一人目は退けたが、追手はまだ来る。違うか?」
「違わないのです。期間は空くかと思いますが、学院が諦めるとは思えませんし……」
「なら問題ない。俺はおまえを狙ってやってくる異世界の奴らを締め上げ、勝手に欲しい情報を手に入れる。尋問でも拷問でもなんでもしてな」
「ご、拷問って」
「要するにおまえは魚釣りの餌だ。竿は餌を食わられる前に上げてやるから安心しろ」
「あっ! そういえばレオのことを情報源と……!」
「そういうことだ」
入手したい情報は、異世界転生した諒のその後。
サクリファイスが知らずとも、いずれは知る者が現れるかもしれない。少なくとも異世界という足がかりが掴めたのだから、それは十分、生きるための目的に値する。
「なんだったらこっちから異世界に出向いたっていいくらいだ。それは可能か?」
「私の力では無理なのです。他の魔術師なら……私を連れ戻すには転移魔術の儀式が必要なはずなので、それを使えばあるいは」
「なら次の追手を締め上げたとき、それも視野に入れておくか」
悪っぽく口角を上げる悠に、サクリファイスは一歩身を引く。
「……じゃあ、それでいいのです!」
しかし表情の曇りは晴れ、清々しい声でそう言った。
「私はもう死ぬとは言わないのです。自殺のような真似はアリマが嫌がるので」
「おい。勝手に人の気持ちをわかった風になるな」
「その代わり、アリマには私を守ってもらうのです! アリマは私を餌にして妹さんの情報を手に入れる。私はアリマに守ってもらうことで〈覇界〉を阻止する。お互いにいいことづくしなのです!」
「……思ったよりいい性格してんな、おまえ」
悠はサクリファイスに対する認識を少しだけあらためる。
「わかったよ、お姫様。騎士役なんて柄じゃねえが、せいぜい利用させてもらう」
「はい。利用しやがるといいのです」
これは、契約だ。
世界の命運になど興味はないが、必要であるならついでに守る。
壮大な使命を背負うつもりもなく、悠はただ己の目的のために、生きると決めた。
◆ ◆ ◆
一方その頃、脱衣所の凍火は。
「っっっ!! どどど、どうしよう……どうしよう! サクリファイスちゃんがバスタオル一枚で在真くんのところに……っ! と、凍火も? い、いっちゃう? よ~し…………ムリムリムリムリムリ! 二人暮らしなんだから、そんな大胆な真似できたらとっくにどうにかなってるもぉ~ん!」
濡れた裸体で飛び跳ねながら、乙女ゆえの葛藤を繰り広げていた。
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