第10話

   ◆ ◆ ◆


「無数の穴から大量のお湯が!? すごいのです!」

 バスルームなる一室で、サクリファイスは現代の湯浴み文化を体験していた。

 身体を清め温めるため浴槽に湯を張り、そこに身を沈める。基本は彼女が暮らしていた世界のそれと変わらないが、この『シャワー』という道具には大いに驚かされた。

「わっ、わっ、わひゃ~!」

 シャワーヘッドなる部分から噴き出す、程よい温度と水圧の湯。

 これが頭から浴びているだけなのに声が出るくらい気持ちよく、全身から疲労感が流れ落ちていくようだった。

「魔術もなしにこんな道具を作り出すなんて……これがアリマの言っていた『科学技術』なのですね。なんだか感動なのです!」

「……感動してるのはこっちもです」

 ちょこんと椅子に座ったサクリファイスの後ろには、凍火が座っていた。

 二人とも浴室に相応しい、一糸まとわぬ姿である。

 凍火はサクリファイスの洗髪をしようと、彼女の銀色の髪をしきりに指で梳いていた。

「髪がお湯で濡れて、輝いてる……すごく綺麗。銀髪って、こんな風になるんですか?」

「綺麗……私の髪が、なのですか?」

「髪だけじゃなくて、肌も。傷や汚れはもちろん、なんだろう。素材が違う……?」

「と、トウカ? 手つきが……」

「な、なんだか羨ましい……! このボディが凍火にもあれば~っ!」

「く、くすぐったいのですトウカ!」

 羨望の眼差しを向けながら、サクリファイスの身体のあちこちを触る凍火。

 押し返すような弾力のある肌はお湯すら弾き、煌めきを放つ銀髪とも相まって、ある種の美を作り上げていると言えた。

 しかしそれは、サクリファイスにとって褒め言葉に値するものではない。

「……たしかに、元いた世界では私の容姿を指して『美しい』と表現する声はあったのです。でもそれは、意味のない称賛なのです。私は〈翅付き〉の一族なので」

「翅付き?」

 凍火は言いながら、シャンプーとやらが入っているらしい容器に手をかけた。

 先端部分からとろりとした液体が出てきて、凍火はそれを掌になじませる。

 その状態でサクリファイスの髪に手をやると、銀色の髪が泡立ち始めた。

 すごい。元いた世界にも洗髪剤はあったが、こんな風に瞬間的に泡立つものではなかった――という感動は胸の内の秘め、サクリファイスは凍火の疑問に答える。

「私はなにも、昨日今日でいきなり生贄になれと言われたわけではないのです。その運命は、生まれるずっと前から決められていたのです」

「えっ……」

「〈翅付き〉と呼ばれる私の一族は皆、生きる上で一つ役割を与えられるのです。それは権力者を守るための盾だったり、外敵を滅ぼすための剣だったり、様々なのです。私の場合は、それが〈覇界〉のための生贄だったのです」

「生まれる前からって……それじゃサクリファイスちゃんは、赤ちゃんの頃からずっと『侵略のために死ね』って言われてきたんですか?」

「使命でしたので。役割を果たすために生きる。それが〈翅付き〉の一生なのです」

 一族の者を始め、誰も彼もがサクリファイスを『生贄』として扱ってきた。

「魔術師の全盛期は、体内魔力が成熟する十代。その関係で、〈覇界〉の遂行は私が十二歳になったらと決められていたのです。十二歳になったら生贄として死ぬと、そう受け入れながら生きてきたのです」

 髪を洗ってくれる凍火の手つきが優しい。

 生贄といっても決して虐げられていたわけではなく、むしろ丁重に扱われていた。こんな風に他者に世話を焼かれることも多々あった。

 ……好意や親切心を向けてくれた人間も、少なからずいる。

 それでも――サクリファイスが生贄であったことには変わりない。

 だから逃げるしかない。

 逃げて、生贄になるより先に死ぬしかないと考えたのだ。

「十二歳になる直前……あることがきっかけで、価値観が変わったのです」

「あることって?」

「隣界――こちらの世界の光景を、魔術で見たのです。この街とは違う場所だと思うのですが、そこは誰もが幸せそうに暮らす、本当に平和な街で……こんな世界を壊してしまうのはおかしいんじゃないか、と。そんな風に考えてしまったのです」

 髪に付いた泡をシャワーで洗い流したあと、凍火は変わった形と材質の手ぬぐいに、シャンプーとは別の液体を染み込ませる。こちらもすぐに泡立ち、背中を洗ってくれた。

 ……優しい花の香りがする。これも科学技術なのだろうか。

「だからサクリファイスちゃんは、こっちに逃げてきたんですね」

「はいなのです。そこを運よくアリマに助けてもらって……」

〈覇界〉を阻止したい。

 自分の使命を、命を投げ売ってでも、この世界を救いたい。

 そのように思い立った末の、今。

 サクリファイスの中には、『生きろ』と言ってくれた悠の存在があった。

 彼がいなかったら、自分は今頃レオの手で連れ戻されていただろう。

 命の、というだけではない。

 進む先を決めてくれた、恩人だから――

 だからこそ、サクリファイスには悠のあの言葉が気になって仕方がなかった。

「あの、トウカ。さっきのアリマはなにを怒っていたのですか?」

「……湯船に浸かりながら話しましょうか」

 髪と身体を洗い終え、二人は揃って浴槽に入る。

 浴槽の広さはだいたい二人分。凍火と二人で入っても窮屈感はそれほどない。

 この家は悠と凍火の二人暮らしのようだし、なるほど合理的な作りのように思える。

 ……脱線とはわかっていつつも。

「もしや、トウカとアリマは夫婦なのですか?」

「夫婦ぅ――っ!?」

 訊かずにはいられなかったことを訊く。

 向かいの位置にいる凍火は顔を真っ赤に染め上げ、見るからに動揺していた。

「ととと、凍火と在真くんは、あの、残念ながらそういうのじゃ……まだ学生ですし」

「なのですか。二人で住んでいるようだったので、てっきり」

「でも! 一緒に住んでるんだし、夫婦っぽく見えちゃいますよね! でへへ……」

 凍火はまんざらでもなさそうに笑みを作る。締まりのない顔だった。

「…………」

 サクリファイスは少し懸念を抱きつつも、好奇心に駆られこんな質問をしてみた。

「そういえば、アリマに助けてもらったとき抱きしめられたのですが」

「ハイ?」

 瞬間的に、空気が凍りついた。

 凍火の締まりのない笑みが威圧感を放ち、サクリファイスの総身に怖気が走る。

 そして凍火は、表情を変えぬまま――なぜかサクリファイスに抱きついてきた。

「トウカ!? く、苦しいのです!」

「嫉妬より実利を優先しての関節ハグです。あ、たしかに在真くんの残り香が……」

「たった今身体を洗ったはずなのです!?」

 男女の機微に詳しいわけでもないサクリファイスにも、なんとなくわかった。

 きっと凍火は悠のことが好きなのだ。同時に、ものすごいやきもち焼きでもある。

「っっっ!! こ、こうしていると在真くんに包まれている感覚が……でへへ……」

「想像力が豊かすぎるのですっ! やめ……やめ――――っ!」

 サクリファイスは力を振り絞り、凍火の抱擁を無理やり解いた。

 ぜーはーと息をつきながら、再び凍火と向かい合う。

「あ、あらためて、質問に答えてもらっても? アリマが怒っていた理由を」

「あ、はい」

 凍火は気持ちつやつやした様子で答えた。

 しかしいざ話し始めると、寂しげに目線を湯船に落とす。

「在真くんは……妹さんを亡くしているんです。それも、自殺で」

「自殺――」

 それは。

 方法の差異こそあれど、サクリファイスがやろうとしていたことと同じだった。

「異世界での魔術師がどういう立場がわかりませんけど……こっちの世界の異能力者って、実はそんなに持て囃されるようなものじゃなくて。むしろ社会からは煙たがられているんです。『怪物』なんて呼ばれちゃったりして」

「そんな――あっ。怪物量産企業って……」

「エボルトの蔑称ですね。実際、異能力に目覚めた人たちは現代社会にとっては紛れもなく怪物でした。怪物らしく街を破壊したりとか、そういう事件もいっぱいあったんです」

「でも、アリマは私を助けてくれたのです! トウカも最初は怖かったけど、いい人なのです!」

「ありがとうございます。だけど、そう思ってくれる人は少なかったんです。みんな、異能力者を恐れました。赤の他人はもちろん、仲のいい友達から、ときどき挨拶するくらいの知り合いまで……それに、実の両親なんかも」

 語る凍火の様子は、少し辛そうだった。

「私も、そうでした。この『凍結』の力がきっかけで、取り返しのつかないことをしてしまって……在真くんがいなかったら、こんな風に笑ってお風呂に入ることもできなかった」

 ひょっとしたらそれが彼への想いの源なのだろうか、とサクリファイスは思った。

 だがこの場は追求せず、続く言葉に耳を傾ける。

「凍火には在真くん以外に誰もいませんでしたけど、在真くんには妹がいたんです。怪物と呼ばれた自分を人間扱いしてくれる、唯一の味方。たった一人の大切な家族が、その子だったんです」

「それがどうして、自殺なんて……」

「その子の異能力が『転生』だったから」

 転生。

 先ほど悠からの質問にあった言葉だ。

「ある条件を満たした状態で死を迎えると、現在の記憶を保持したまま異世界に転生できる――生まれ変われる。それが在真くんの妹の異能力」

「ある条件というのが、もしかして自ら死ぬことだったのですか?」

「それは在真くんが詳しく教えてくれないからわかりませんけど、たぶん……」

「でも、本当にそんなことが可能なのですか……?」

「わかりません。だから在真くんは、確かめたいんだと思います」

 妹が本当に転生できたのかどうか。

 だから悠は、妹が転生した先――異世界の住人であるサクリファイスに、あんな質問を投げたのだ。おそらくは、転生の成功を願って。

「妹を亡くしてから、在真くんは生きる目的を失いました。少し前までは『このS2シティの王になる』なんてキャラだったのに、急に『人生なんて消化試合だ』とか言うようになっちゃって」

「生きる目的……あのアリマが、ですか?」

「なんとなく学園に通って、なんとなく凍火と暮らしてくれて、なんとなくエボルトの依頼を受けて……でも凍火は、たいしたことしてあげられなくて」

「……ひょっとしてアリマは、妹さんのように死のうとしていたのですか?」

「えっ? ううん。後を追おうとまでは考えてなかったと思いますけど……」

「だとしても……だとしても! なのです!」

 悠の言動の理由、その裏に抱えているだろう気持ちまで理解して、サクリファイスは。

 むかっ腹が立った。

 居ても立ってもいられなくなって、浴槽を出る。

「へ?」

 きょとんとする凍火を置き去りにし、サクリファイスは感情の赴くままに動いた。

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