第8話

   ◆ ◆ ◆


「見苦しいところをお見せしたのです」

 涙で頬を赤くしたサクリファイスが、自らの足でしっかりと後ろを歩く。

 現在地はフィッシュポットを抜け、市街地に入っていた。

 夜遅くではあるものの、街には明かりがあり出歩いている者も多くいる。

「アリマには、あらためてお礼を言いたいのです。ありがとう、なのです」

 サクリファイスはもう『私を殺して』とは言わない。

 危機が去り、こうして安全の中で移動している最中も、しきりに感謝を言い表し続けた。

 それがもう、二桁くらいの回数になろうとしたところで。

「……おい」

「はい。なんなのでしょうか?」

「別に感謝されたいわけじゃねえが、礼を言うならちゃんと相手の顔を見て言え。おまえ、さっきからあちこち目移りしすぎだぞ」

 悠が指摘すると、サクリファイスは露骨に目を泳がせた。

 彼女の視線は先ほどから周囲の景色――S2シティの見慣れぬ街並みに注がれている。

 本人の意識はそちらに夢中といった様子だ。

「だ、だって! 目に映るもの全部珍しくて……建物も服も、私たちの世界では見ないものばかりなのです」

「そりゃ異世界だしな。想像はできる。カルチャーギャップも凄まじいだろうさ」

「想像? アリマには私たちの住む世界がどんな世界なのか、想像できるのですか?」

「ああ。そのへんは機会があったら詳しくな」

 実際に異世界を見た経験はないが、確固としたイメージはある。

 創作物における世界観の一種として浸透している、いわゆるファンタジー世界だ。

 魔法、あるいは魔術があたりまえのように存在しているが、科学技術は発展していない。人間の生活を脅かす魔物が生息し、ときには魔王なども――と、このあたりのイメージは現代を生きる者なら誰もが持ち合わせているだろう。

(あの〈窓〉は、そのイメージとは外れる代物だがな)

 悠とて異世界への知的好奇心を抱えているが、それを満たすのも後回しだ。

「言っとくが、おまえだって周りの奴らに珍しいものを見る目で見られてるぞ」

「私が、なのですか? なぜ……ひょっとして服なのですか!? 訳あって儀式に使う礼装のまま逃げてきてしまったのです!」

「いや、服もそうだが……」

 それよりも、端麗すぎる容姿と銀髪が原因だ。

 悠はサクリファイスをスマホカメラで撮影しようとした通行人を睨みつけ、歩く速度を少しだけ上げる。

「なにやらみんなアリマと同じような板を持っているのです。あれはなんなのですか?」

「モバイル端末はこの街じゃ生活必需品……を通り越して生命線だからな。ないと死ぬ」

「生命維持に関わるのですか!?」

「そうだ。死ぬ」

 大げさに言いながら、悠はスマホを片手にサクリファイスの先を行く。

 異能力は、スキル・クラフトを起動させた状態でのみ使用可能。

 ゆえにアプリをインストールした端末の携帯は必須であり、これを失うことはイコール異能力を失うということにほかならない。

「用途としちゃ、魔術師の〈窓〉と似たようなもんだな。あっちは自由に出し入れできて紛失の心配もなさそうだが、魔術を使う以外に使いみちはないんだろ?」

「そのとおりなのですが……そのスマホとやらには、他にも使いみちがあるのですか?」

「めちゃめちゃあるぞ。まず時間がわかる」

「ええ!?」

「明日の天気がわかる。周囲一体の地図を表示させることもできる」

「そ、そんなことが……!?」

「極めつけは、電話だ。これ一つでうんと離れたところにいる相手と話すことができる」

「それはさすがに嘘なのです!」

「本当だ。会話だけじゃなく、手紙みたいに文面でやり取りすることだってできるぞ」

「嘘をついているようには見えない瞳なのです……! 驚愕なのです!」

 サクリファイスの素直な驚きっぷりに、悠は楽しさすら覚える。

 スマホはおろか携帯電話すらない時代の人間を相手にしているような妙な感覚だった。

「目的地にたどり着いたら、おまえにも触らせてやるよ」

「本当なのですか!? わあ……ありがとうなのです!」

 爛々と目を輝かせて喜ぶサクリファイス。数時間前まで『私を殺して』とか言っていた人間とはとても思えない。生きる理由ができたのはいいことだが。

(なんて、『残りの人生は消化試合』とか割り切ってた俺が言えた義理じゃないか)

 自嘲し、悠は足を止める。

 目的地にたどり着いた――S2シティの一等地に立つ、高級タワーマンションだ。

「こ、こんなお城みたいに大きな建物が、アリマの家なのですか!?」

「期待させて悪いが、正しくはこの建物の一室だ」

 悠はサクリファイスをどうするか迷った末、自宅に連れていくことにした。

 一世一代の逃走劇で疲弊しているだろう彼女を休ませるという目的が半分、できるだけ手元に置いておきたいという目的が半分。双方を満たすには一番都合がいい選択だった。

 が――立ち向かわなければならない難題もある。

「……サクリファイス。家に入る前にいくつか注意させてくれ」

 悠は最上階に位置する部屋の前で立ち止まり、傍らの少女に緊張感のある声を投げた。

「まず、この中には俺と一緒に暮らしている同居人がいる。そいつはおまえにとってよくわからないことを言うかもしれない。だけど、なにも答えるな。黙って俺の後ろにいろ」

「……? わ、わかったのです」

「あと、たぶんすごく寒い。耐えてくれ」

「寒い……? よくわからないけど、我慢するのですっ」

 首を傾げるサクリファイスに、寒さ対策のためにと制服の上着をかけてやる。

 片手にはスマホを持ち、スキル・クラフトもあらかじめ起動しておく。

 使わないのを祈るが、万が一の場合に備えて。

「よし……行くぞ」

 意を決し、悠は玄関のドアを開けた。

「在真くん! おかえりなさ――」

 家に入ってすぐ悠を出迎えてくれたのは、同居人の白木凍火だった。

 可愛らしいパーカータイプの部屋着の上に、家庭的なエプロン。夕飯の支度をしていたのかわずかにカレーの匂いが漂う。長めの前髪の奥では悠の帰宅を心待ちにしていたような極上の笑みが作られており、思わず警戒が吹き飛んでしまいそうになる。

 しかし、その笑顔は一瞬。

 具体的には『おかえりなさ――』までだった。

「い」

 最後の一言を言い終える頃には、凍火の様子は一変していた。

 笑みは消え、無表情となり、目から生気がなくなる。

 大きく見開かれた瞳には、玄関に立つ悠と――

 その後ろのサクリファイスが映っていた。

「誰」

 疑問系ではなく、ただテキストを読み上げただけのような口調。

 問うているのは間違いなくサクリファイスの素性についてであり、もっと言えば――悠とサクリファイスの関係について、であった。

「え。誰。ウソ。在真くんが女の子を連れてきた。在真くんが女の子を。それも年下っぽい女の子を。可愛い女の子を。凍火以外の女の子を。凍火と在真くんのお家に」

「聞け、凍――」

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