第6話

「……あ?」

 レオが怪訝な声を上げる。

 彼の契約精霊たる〈イフリート〉は微動だにせず、炎は幻影のまま熱を生じない。

「〈焼き尽くせ炎砲〉……なんだ? 〈燃やし包め炎柱(エム・バファン)〉。おい。〈熱し朽ちよ炎風(エム・ケルサス)〉……〈蹂躙せよ炎涛(エム・ブロウ)〉!」

 何度も〈窓〉に指を突き、魔術の行使を試みるレオ。

 結果は等しく、無反応。

 魔術を選択し指で触れる。サクリファイスが説明したとおりの行動を取っているのに、〈イフリート〉の炎は一向に膨れ上がらない。

「んなっ……ざけんな! なにが起こった!? どうして魔術が発動しやがらねえ!?」

「無駄だ」

 片腕でサクリファイスを抱き寄せ、もう片方の手ではスマホを操作しながら。

 悠は、魔術師にチェックメイトをかける。

「テメェの〈窓〉は俺が掌握した。いくら試したところでもう魔術は使えねえよ」

「ああ!? オメーがなにかしたとでも言うつもりか!? 魔術師でもねえ隣界人が!」

「魔術か……自分たちの身につけている技術こそが最強、なんて勘違いをしているんなら、世界が狭すぎるぜ。教えてやる。これは『ハッキング』って言うんだ」

 魔術が使えないという異常、その真相を伝えても、レオの反応は鈍かった。

 胸元のサクリファイスも同じく。やはり異世界にはない言葉なのだろう。

「状況が掴めてねえようだから、要約してやる。テメェはもう終わってんだよ」

 悠がスマホを翳す。

 その画面には、大きく成長した怪獣形のアバターと共に三つの文字列が表示されていた。


 ルール――【対象端末の詳細を知る第三者との接触中のみ使用可】

 リスク――【対象端末との距離十メートル以内への侵入】

 エフェクト――【〈窓〉の内容改竄】


 悠がスマホに指を滑らせる。ただのスワイプ操作。それが、

「なっ――は、はぁああああ!?」

 レオの〈窓〉に甚大な被害をもたらした。

 先ほどまで悠のスマホ画面にいたはずのアバターがレオの〈窓〉上に現れ――

 魔術の名を記した文字列を、喰らっていく。

 喰らわれた文字は消え失せ、そこには無機質な空白だけが残った。

「おいおいおい……なんなんだよ! なんだこのゴミクズみてえな生き物は! 精霊か!? 他人の〈窓〉に直接顕現するなんざ聞いたことねえぞ!」

 レオは〈窓〉を殴りつけ画面上のアバターを排除しようとするが、もちろんそんな真似に意味はない。コンピュータウイルスを拳で黙らせることなど不可能なのだから。

「あってたまるか、こんなこと……クソがぁああああ! 消えろ! 俺様の〈窓〉から! このクソゴミがぁあああ! あああああああぁ消えろぉおおおおおお!」

 対処法もわからず、レオはがむしゃらに〈窓〉を殴り続けた。

 しかし画面上の顛末に変化はない。アバターが縦横無尽に駆け回り、片っ端から文字を――レオの使える魔術を喰らい、消していく。そして空白が生まれる。

 やがて空白が占めるスペースが大部分になり、

「っ、んだと――」

〈窓〉から、すべての魔術が消えた。

 絶句するレオをよそに、画面に唯一残ったアバターは喜びの仕草を取る。

「削除完了だ」

 悠が言い、アバターが〈窓〉から退散する。

 空白だらけの〈窓〉はただの四角い枠と成り下がり、最後にはそれも消滅した。

 レオの傍らで沈黙を貫いていた〈イフリート〉も、静かに消え失せる。

「ありえねえ。ありえねえ……ありえねえだろクソがぁあああああ!」

 レオは癇癪を起こした子供のように叫び散らした。

 悠は抱きしめていたサクリファイスを放し、スマホもしまって、レオに歩み寄る。

「興味本位で質問する。魔術師ってのは魔術が使えなくなったらどう戦うんだ?」

 錯乱したようにも思えるレオに、悠の接近を止める余裕はなく。

 二人の距離は、あっという間に拳が届くほど詰まっていた。

「あ? なっ――がふっ!?」

 戸惑うレオの顔面に、悠は問答無用で拳を叩きつける。

 体重を乗せた打撃は細身の身体を軽々と吹き飛ばし、魔術師は地面を転がった。

 たった、一撃。

 悠としても拍子抜けするほどの結末だが、レオはただの一撃で脳震盪を起こし、気を失ったようだ。

「魔術師は後方支援タイプだから体力が低い、ってか? コマンドウインドウといい、とことんゲーム的だな。喧嘩のやり方くらい覚えてから侵略してきやがれ」

 そう吐き捨てたあと、悠はスマホのカメラを使って倒れたレオを写真に収める。

 襲いかかってきた異世界人を返り討ちにした、という物的証拠の誕生だ。

「さて――とりあえずは落ち着いたが、おまえはこれからどうする?」

 悠は振り返り、追われる身であった少女に声をかける。

「なっ、なっ……」

 一部始終を目撃しながら、いや目撃したからこそ、サクリファイスは動けないでいた。

 なにが起こったかわからないのは、レオと同じ。安全を得た、という喜びと比べても、圧倒的に戸惑いのほうが大きい。

 そんな誰にでも見て取れる様子を見て、悠は嘆息する。

「ハッキングがわからねえようだから、説明してやる。俺がやったのは改竄だ」

「かい……ざん……?」

「俺のスマホに入ってる異能力開発アプリ――スキル・クラフトを使って、あの野郎の〈窓〉にアクセスした。見た目がまんまコンピュータだったから試してみたんだが、特に異常もなく能力が適用されて俺も驚いてる。ファンタジーじゃねえのかよ、異世界魔術」

「えっ? えっ……?」

「……手っ取り早く状況を把握しろ、って言っても無理そうだな。一から説明する必要があるか。仕方ねえからこれだけ受け入れろ。おまえは助かった」

「は、はい! ありがとうなのです! で、でもわからないことだらけで!」

 首を振って頭を悩ませるサクリファイス。

 自身の常識と想像以上の未知、そのギャップに脳の処理が追いついていない様子だ。

(そんな奴に『とにかく助かった。安心しろ』って言っても無理だな……)

 悠は億劫そうに頭をかき、そこでふと気づいた。

「そういや……まだ名乗ってなかったな。俺は在真。在真悠だ」

「アリマ……アリマ・ユウ。あの、私はこの世界を魔術の存在しない世界と捉えていたのです。それに類する力もなければ、抗する術もないと。だから〈覇界〉を防ぐためには、そもそも二つの世界を繋げない……私が生贄になるより前に死ぬほかないと」

 そう思っていた、というところまでは言い切らず、サクリファイスは言葉を溜める。

 頭の中の疑問をすべて声に乗せるようにして、次の一言を解き放った。

「いったい、ここはなんなのですか!?」

 異世界人にとっての『ここ』――という問いに、悠は簡潔に答える。


「S2シティ――またの名を、異能力開発専攻領外学園都市」


 この街は、こちらの世界という枠組みの中でも異端扱いされる特殊な街。

「魔術はないが、代わりに科学技術が発展しすぎた。住人のほとんどが異能力者になっちまうくらいにな」

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