第5話
「その板はなんなのですか?」
「その質問もあとだ。次、あの炎の魔人について頼む」
「あれはレオの契約精霊で〈イフリート〉――魔術師は一人一体、火、水、土、風、光、闇の六属性いずれかを司る精霊と契約することで魔術を会得するのです」
「奴の属性は見たまんま、火か。一人一体ってことは他の属性の魔術は使えないんだな?」
「はいなのです」
「あの〈イフリート〉自体が自律行動することは? レオと契約精霊、どちらを叩けば攻撃の手は止まる?」
「いえ、あの〈イフリート〉の姿は幻影なのです。実体はないので叩いてもすり抜けますし、身に纏う炎もレオが魔術を発動させるまでは無害なのです」
「幻影……つまり立体映像みたいなもんか」
たしかに、レオはあれほどの炎を纏う魔人を傍らに置きながら汗の一つもかいていない。熱すら発生してないのだろう。魔人が踏みしめる地面にも焦げた様子はなかった。
「わかった。じゃあこれで最後だ――あの〈窓〉の正体は、コンピュータか?」
悠が投げた質問に、サクリファイスは「コン……?」とだけ言って首を傾げた。
聞き覚えはないらしい。
(事実はそうじゃないのかもしれない。だがその類いのものとしか考えられない。現状、アクセスはできちまってるわけだからな。あとは弄り方をどうするか、だ)
悠はスマホの操作を続け、試行錯誤を繰り返す。
「チッ。緩すぎる条件だとアバターが餌を食わねえな。なら情報端末への有線接続……も、無理か。あのディスプレイにコネクタがあるとも思えねえし、そもそも近づけねえ」
「あの、なにを……?」
サクリファイスが身を近づけ、悠の手元のスマホ画面を覗き込む。
画面上では、3Dモデルによるデフォルメされた怪獣キャラクター――起動中のアプリのアバターが、ちょこまかと動いていた。
「なんなのですか、これ? 操作方法が〈窓〉とよく似ているのです」
「たぶん同じようなものだと思うぜ。画面内のこれも、契約精霊みたいなもんだ」
「これが……!?」
「ああ。おまえの話であの〈窓〉ってのが魔術発動の要なのはわかった。こいつを使ってあれを封じるから、手伝え」
「わ、私に手伝えることならなんでも手伝うのです! でもいったいどうやって……」
「まずは確認だ。この内容は奴の〈窓〉と同一で間違いないか?」
悠は画面を切り替え、サクリファイスにスマホを見せる。
そこには法則性のある文字の羅列――おそらくは魔術名が並んでいた。
「〈焼き尽くせ炎砲〉……これ、レオの修得している魔術の一覧なのです!?」
「閲覧だけならルールもリスクも緩めで済む。少し試したが、ここから先は身体を張る必要があるな。手伝うと言ったからには覚悟しろよ」
「わ、わからないのです! あなたのそれは、いったいなんなのですか……?」
「奴の力が魔術なら――これは科学技術ってとこだろ」
混乱に目を泳がせるサクリファイス。
S2シティの住人でなくとも、現代を生きる者なら多少なりとも予備知識は持っている。それすらないということは、つまり彼女は本当に異世界人というやつなのだろう。
だとしたらなおのこと――逃すわけにはいかない。
「画面をよく見ろ。ここに載っている魔術は、すべての詳細を知り得ているか?」
「魔術学は得意なのです! レオが実際に使用している場面をすべて見たわけではありませんが、どんな魔術かくらいは」
「上出来だ。ならルールに組み込める」
「どういう――あっ!」
悠がスマホを下げようとした瞬間、サクリファイスがなにかに気づき声を上げる。
「〈辿れ火蛇(エム・ベウ)〉……まずいのです! これ、探知魔術なのです!」
「探知――おい。ひょっとしてあれか? 俺たちの居場所を探る、みたいな――」
言い終わる前に、悠は見た。
サクリファイスの背後、悠たちが移動してきた道を、火の蛇が這っている。
炎の魔人や先の火炎放射に比べれば視覚的な脅威もない、踏めば消えてしまいそうな小さな火の蛇。だがそれが攻撃用でないことは、魔術を知らない悠にも察しがついた。
再び窓の外を窺う。
足を止めていたはずのレオは、こちらを見上げ――今、悠と目が合った。
「見つけたぞオラァ!」
〈イフリート〉が両腕を構える。攻撃魔術の発動体勢。
悠はサクリファイスの身を抱え、滑り込むような勢いで窓から離れた。
直後、窓の周囲を炎熱が包み込む。
回避はしたものの、むせ返るような熱が悠の身を襲い、肌が悲鳴を上げた。覚悟もないままサウナに放り込まれたようだ。一瞬で汗が噴き上がる中、おそるおそる惨状を確認する。
「炎……ってか、マグマじゃねえか」
窓のあった壁は、焼け焦げていた――という状態を通り越し、焼け溶けていた。
馬鹿な、鉄筋コンクリートだぞ――と脳が現実を疑ってかかるが、つい先ほどまで自分たちが身を潜めていたコンクリートの壁は中の鉄筋もろとも熱で溶け、消滅してしまっている。それほどの威力が襲いかかってきたのだと思うと、全身が震え上がった。
(っ、だから、どうした)
悠はその震えを、床に全力の拳を叩きつけることで黙らせた。
拳の皮が剥け、血が流れる。肉ではなく骨が痛んだ。
(動きさえすれば、なんだっていい。今はとにかく身体を動かせ)
馬鹿みたいに笑みを作った。
この状況を楽しくて仕方がないと思うことにした。
そこまでしてようやく、戦意が――生きるという意志が戻ってきた。
「あ、あの……? 大丈夫なのです?」
「……残りの人生なんて消化試合。そう思ってたんだけどな」
二年前のあの日。
大切なものを失ったときから、悠が持つ人生の価値は消失した。
取り戻す機会もないと思っていたのに……こんな展開が待ち受けているなんて。
「サクリファイス。おまえ、やっぱり生きろよ」
「えっ……?」
「捨てた人生にだって、こういうことが起こるんだ。だったら、全部投げ出すのは命を落としてからで遅くない」
そう言って、悠はサクリファイスを強く抱きしめた。
力を込めれば壊れてしまいそうな、華奢な身体だ。誰かを思い出さずにはいられない。
悠は思い出を噛み締めるように――執念を原動力にするように、彼女を強く抱いた。
「……ぁ」
サクリファイスはいきなりの抱擁にも取り乱さず、ただ悠の顔を見つめる。
しかし悠自身は、自分が今どんな表情を浮かべているのかわかっていなかった。
「どうだオラァ! 死んだかクソが!」
「喚くな! 今からそっちに出向いてやるから待ってろ!」
「ああ!? おもしれえ! 正面から焼き殺してやるからさっさと出てこいや!」
ビルの外で吠えるレオに、あえて生存を知らせる。もはや時間稼ぎの必要もない。
「行くぞ、サクリファイス。俺から離れるな」
「はっ、はいなのです!」
悠はサクリファイスを胸に抱いたまま、階段を下りてビルの外に出る。
そこには正面に〈窓〉、傍らに〈イフリート〉を顕現させた、臨戦態勢のレオ・ニードハルドが待ち構えていた。
纏う殺気は衰えないが、出てきた悠たちの姿を見て「くはっ」と笑い声をこぼす。
「かははははははっ! なんだそりゃ! まさか人質のつもりかぁ!?」
「だとしたらどうする?」
「意味ねえんだよバァァアカ! そのチビは大事な生贄様だが、ちょっと雑に扱ったところで死にやしねえ! 『これで攻撃できまい』とか思ってんなら爆笑だぜ、ド低脳が!」
「レオの言っていることは本当なのです! 私に施された守護魔術は範囲的なものではないので、どれだけくっついても……」
「心配するな。わかってる」
抱擁を強くし、腕の中で不安げに眼差しを向けるサクリファイスを黙らせる。
慌てた素振りも見せない悠が面白くないのか、レオは馬鹿笑いをやめ、首を振った。
「あー……いや、一つ意味はあるな。訂正します。サクリファイスの守護魔術も完全無欠ではありません。私の修得している高位魔術なら殺せてしまう。それは些か問題だ。となると、手加減する必要があります」
レオは言葉遣いを敬語に戻しながら、こう続ける。
「つまり――楽に即死できるような高威力の魔術は使ってやれねえんだわ! 自分の肉が焼ける感覚を味わいながらよォ! なかなか死ねない苦しみを噛み締めて贅沢に死ね!」
敬語が復活したのは一瞬。
レオは本性むき出しの狂気を放って、悠に死を宣告した。
「〈焼き尽くせ炎砲〉!」
敵を殺す魔術の名を唱え、〈窓〉に指を突き刺した。
事前に聞き及んでいた魔術発動のための動作、それが間違いなく実行されたことを目の前で確認して。
――しかし、なにも起こらない。
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